【ゲームクリエイターインタビュー】『カオスヘッド ノア』制作者・5pb.松原達也さん&林直孝さんに誕生秘話を直撃!(前編)
リリース直前の話題のゲームソフトを制作するゲームクリエイターに、新作ゲームソフトの紹介や開発秘話をご紹介いただきつつ、仕事の内容やゲーム業界に携わったきっかけ、ゲーム業界を目指す皆さんへアドバイスをしていただく企画『ゲームクリエイターインタビュー』がスタート!
『メモリーズオフ』シリーズや、昨年ゲーム界に衝撃を巻き起こした『CHAOS;HEAD』などを手がける5pb.に焦点を当て、話題作の制作に関わるクリエイター陣を直撃!
第1回目は2月26日にコンシューマーへ移植されたXbox360用ソフト『CHAOS;HEAD NOAH』の発売を控え、『CHAOS;HEAD』シリーズの開発・制作を担当する5pb.ゲーム事業部Division5のプロデューサー、松原達也さんと、『CHAOS;HEAD』シリーズのシナリオライティングを担当するクリエイティブ事業部の林直孝さんにお話をうかがった。
今章ではゲーム業界を目指すきっかけと『CHAOS;HEAD』の誕生秘話などについて語ってもらった。
●プロデューサーは彩色もこなす何でも屋
――まずお二人のお仕事についてご説明いただけますか?
松原さん:Division5のプロデューサーです。5pb.に入社して初めてプロデュースした作品が『CHAOS;HEAD』になります。それ以前はDivision2でディレクターとして『Lの季節2』に関わっていたりしました。
林さん:僕はシナリオライターをやっています。『CHAOS;HEAD』などの作品のシナリオを担当しています。また他社のゲーム作品のシナリオを書いたり、小説も書かせていただいたりしています。
――まず5pb.のゲーム制作部門の特色としてディビジョン制がありますが、このディビジョン制について教えてください
松原さん:弊社は制作しているタイトルがすごく多いため、5つのDivisionに分かれて制作をしています。各ディビジョンについて簡単に説明するとDivision 1は元KIDの柴田Pが率いるDivisionで、主に『メモリーズオフ』などの制作に携わっています。Division2は『怒首領蜂大往生ブラックレーベルEXTRA』などのシューティングゲームの移植やDSの『キモかわE!』など、他のDivisionとは毛色が違ったことをやっていて、Division3では『かのこん』や『ケメコデラックス』等、主にアニメ関連の案件やDS向けのRPG『アイテムゲッター』などを作っています。Division4は『モノクローム・ファクター』等、乙女ゲーを中心に活動しています。僕が所属するDivision5は『CHAOS;HEAD NOAH』を作る時にできたセクションで、まだ新しい部署になります。
――お二人のお仕事の内容についてお聞きします。まず松原さんはプロデューサーですが、ゲームプロデューサーとはどんなお仕事をするのでしょうか?
松原さん:僕の所属するDivision5はディレクターがいないため、プロデューサー兼ディレクターです。プロデューサーは普通予算を取ってきて、その予算を使ってゲームの売り上げを出す仕事なのですが、僕はディレクターも兼ねていまして、どういう人達で作っていくのか人選をしたり、どんなゲームにしていくのかを話し合いながら方向性を決定して、実際に作業に入ったら進行状況など細かくチェックしつつ、ディレクション作業も主に担当しています。もちろんプロデューサー業の全体の予算管理や宣伝戦略なども考えます。やることは多くてひとことで言ってしまえば何でも屋です。
林さん:PC版の『CHAOS;HEAD』ではプロデューサーが彩色をしてましたから(笑)。松原は以前、トンキンハウスというメーカーにいて、ディレクターやデザイナーをやっていたり、3D CGのモデリングやプログラミングもできるので、周りから重宝されちゃうんですよね。
●ゲーム制作のスタートはシナリオから
――林さんはゲームのシナリオライティングをされていますが、ゲームのシナリオ作りは他のシナリオ制作と違う印象があるんですが……
林さん:僕はアニメや小説、ドラマCDなどのシナリオを書いたこともあるんですけど、ゲームのシナリオは独特ですね。シナリオの占める役割が大きくて。例えばアニメの場合は監督がいて、シリーズ構成がいて、それらの方からの意向を受けて書きますが、ゲームでは企画の段階から関わっていけるし、シナリオがないと絵や音声などの制作作業ができません。最初にシナリオができて、2~3カ月後くらいにグラフィックやキャラクターデザインの仕事が始まります。シナリオライターは孤独な仕事で、スタートは人より早くて、制作が大詰めになった頃には自分の仕事は終わっていて、自分は他の仕事を始めていたり。取り残された気持ちになります(笑)。
松原さん:シナリオが遅れると全体が遅れるからプレッシャーも大きいよね。
林さん:そう(笑)。ゲームに関わる役割は大きいけど、その分、責任も大きいです。
――オリジナルで立ち上げる場合と、原作がある作品のゲーム化のケースがありますが、シナリオを作る時もやり方は変わってくるものでしょうか?
林さん:原作がある場合は作品ありきなのでライターが主張し過ぎてもいけなくて。版元さんのチェックも厳しいのでそこにどう合わせていくかに時間がかかる場合があります。セリフの語尾一つひとつにも突っ込まれることもあって。でも原作のイメージを守るという観点からもその意向に沿ったものを作れるかが僕らの腕の見せどころでもあります。原作ものドラマCDのシナリオをやっていた経験も大きかったですし、僕自身は割と原作がある作品のほうがやりやすいです。
●ミニゲーム作りが高じてゲーム業界へ
――ここでお二人がゲーム業界に携わるきっかけを教えていただけますか?
松原さん:僕は元々コンピューターが大好きで、小学校の時、学校にパソコンの雑誌を持っていき、みんなでパソコンのゲーム写真を見比べて「どのゼビウスが一番よくできてるかな?」とか話しているような子供で(笑)。中学の時、入学祝いにパソコン……PC-8801を買ってもらって、市販のゲームソフトでも遊んでいましたが、そんなにたくさん買うおこづかいもなかったので「自分でゲームを作ろう」とミニゲームを山ほど作って。
林さん:この間、その当時のゲームが見つかったと持ってきて、動かして見たらおもしろくて。立ち上げたらメーカーロゴが出てきたり、大爆笑しました(笑)。
松原さん:そのうちにコンピューターでものを作ることにおもしろさを感じて、高校卒業後に専門学校へ行って、バイトでゲームのグラフィックの彩色をやらせてくれるところがあって、そこがゲームに関わったスタートです。
●夢を追い、大学中退してシナリオライターに
林さん:僕は中学生の頃から小説家になりたくて、自分でファンタジー小説を書いてました。ライトノベルが盛り上がっていて、『スレイヤーズ』とかよく読んでいましたね。大学に進学しましたが夢が捨てきれずに「夢を叶えるんだ!」と一念発起して、大学を中退し、上京して小説家を育成する専門学校に2年通いました。
――同人で書いたり、大学に通ったりしながらも書くこともできたと思いますが、あえて大学を中退して作家を目指すのはすごい決意ですね
林さん:大学2年の夏頃、調べたらそういう学校があるのを知って、体験入学したら「もうやるしかない!」と。親も最初は反対しましたが、最終的には理解してもらって。ただ学費は自分で何とかしなくてはいけなくて、新聞奨学生になって新聞配達をしながら通いました。実は後で知ったんですけど、自分の実家から通えるところにも、同じ学校の同じ学科があって、「大学通いながら行けたじゃん!」って(笑)。
松原さん:いろいろなことを後で知るんだね。大学行ってからそういう学校があること知ったり(笑)。
林さん:専門学校卒業後にシナリオライターの方と知り合って、シナリオのお仕事をいただくようになったんです。一番最初にやったのはPC版のノベル系ゲームのシナリオでした。ちょっとしたお手伝い程度で、クレジットも出なかったんですけど、「このシーン書いてもらえる」と穴埋めをする感じで。そこから継続してお仕事をいただく予定になって。その方が自分にとって師匠と言っていいと思います。でもフリーでシナリオを書いて食べていけるようになるまで3年かかりました。それまでは新宿の歌舞伎町の居酒屋でバイトもしてましたから。でも人の縁があって、いろいろな方に助けていただきながらここまでやってこれて。本当に運がよかったと思います。
●入社初日に渡された『CHAOS;HEAD』の企画書
――5pb.に入社されたのはいつ頃ですか?
林さん:2年前です。会社が創設してから1年くらいしか経っていなくて。志倉(千代丸)さんという存在が大きいですね。『メモリーズオフ』の頃からご一緒させていただいて。実際にお会いした時に志倉さんの中にある構想や妄想を聞いた時、「この人、すごいな」と。そして「5pb.来たら」と軽いノリで言われましたが、僕は「ぜひ!」と。
松原さん:トンキンハウスで同僚だった盛(政樹さん)が5pb.に一足先に入社していたんですけど、本格的にゲーム事業部を立ち上げることになったから来ないかと誘われて、僕と同じくトンキンハウスにいて今、Division3に所属する野村(泰彦さん)が入社して、5pb.にゲーム事業部ができたんです。
――ここでゲームができるまでの簡単な流れをご説明いただけますか?
松原さん:最初に企画が立ち上がって、その企画書に基づいて、「このゲームを一番魅力的な絵師は誰か」などのスタッフ組みをしていきます。スタッフが決まったらそれぞれのスケジュール調整をして、どのくらいの規模と期間でできるかがわかったら、シナリオを発注すると同時にどのくらいの分量になるのかをスタッフに伝え、シナリオが上がってきたら音声の収録や絵を付けてプログラムして……といった実作業に入り、最後にデバッグや細かい調整をしたら完成という感じです。
林さん:うちの場合は開発のスパンが短くて、企画と同時にシナリオライティングに入ることが多いです。
松原さん:特にDivision5に関しては特殊で、『カオスヘッド』は社長の志倉が企画・原案した作品なので、企画の段階で大まかな流れはできていて、「これで作ってくれ」と林にドンと渡されて……。
林さん:妄想の塊をドンと渡されて(笑)。それをちゃんとしたシナリオの形にしていくかというのは社長と松原と僕の3人で連日連夜、会社に泊まって延々と議論しながら作っていきました。
●『CHAOS;HEAD』は志倉さんの妄想の塊
――Division5の誕生のきっかけとなった『CHAOS;HEAD』ですが、PC版ソフトが制作された経緯を教えてください
松原さん:僕が入社した日、2006年の7月、社長から呼ばれて、「こういう企画があるんだけど」とタイトルは今とは違いますが分厚い企画書を渡されて、終電間際までいかにおもしろい企画なのかを語られて、「ねえ、おもしろいでしょ? これ、やって」と言われたのが始まりです。志倉の頭の中にある妄想を、我々が形にしたという感じです。
――最初からゲーム化が決定していたと
松原さん:ハードは決まってないけどやるのは決定してました(笑)。
林さん:松原が呼ばれた時、僕も一緒で。当時はゲーム事業部には僕を入れて4人しかいなくて。プロデューサー3人とライターは僕一人。
松原さん:たまたま手があいていたのが僕と彼しかいなくて(笑)。
――『CHAOS;HEAD』のプロジェクトの立ち上がりからどのように推移していったのかをご説明いただけますか?
林さん:志倉からいただいた企画書は原案であって、実際の話の体裁にはなっていなかったので、スタートから終わりまでのザックリしたプロットをまず作りました。
松原さん:2006年末にキャラクターデザインをささきむつみさんにお願いして。その時点ではまだニトロプラスさんと一緒にやることも決まってなかったし、具体的にスタッフも決まってはいませんでした。二人しかいなかったので外部の人にお願いしなきゃと考えていた矢先、元KIDのメンバーが合流して、これである程度は社内でできると。
林さん:ささきさんと今のメンバーとは『メモリーズオフ』でも一緒にやっていたし、運命的なものを感じました。その頃にはプロットを元にシナリオテキストを書き始めていて、翌年の2007年の3月にシナリオが完成しました。その後、ニトロプラスさんと一緒にやることが決まったんですが、作ったシナリオがニトロプラスさんのカラーと違うかなと思って。ニトロプラスさんの作品にはハードなイメージがあって、僕が最初に作ったシナリオは『メモリーズオフ』に代表されるような色が強かった。淡い恋愛ものっぽい感じで。そこで「どうしましょうか?」と社長に聞いたら、「じゃあ、全ボツで」と。それが夏くらいのことでした。さてどうしようと……。
(次回に続く)
●プロフィール
松原達也さん……5pb.ゲーム事業部Division5プロデューサー。トンキンハウス在籍時に『Lの季節』、『Missing Blue』、『D→A』などを手がけ、5pb.へ。主な代表作は『Lの季節2』、『CHAOS;HEAD』など。
林直孝さん……5pb.クリエイティブ事業部所属。5pb.制作のゲーム作品やドラマCDのシナリオや小説を執筆するなど多方面で活躍。主な代表作は『Memories Off #5 とぎれたフィルム』、『戦国BASARA 2』、『CHAOS;HEAD』、『鏡原れぼりゅーしょん(小説)』など。
Xbox360用ソフト『CHAOS;HEAD NOAH』
2月26日発売
初回限定版 9,240円(税込)
通常版 7,140円(税込)
発売:5pb.