押井守監督が自身の映画理論を熱弁した映画『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』トークイベントが新宿バルト9で開催!
完全な平和が実現した世界で、「ショーとしての戦争」を戦うさだめを背負わされた不老の子供たち“キルドレ”の愛と生と死を描くSFアクション『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(新宿バルト9ほかにて全国公開中)。8月21日、新宿バルト9にて上映後に押井守監督のトークイベントが開催された。押井監督は「映像表現とテーマ」といった本作の核になる話から、他の監督のスタイルとの比較などを取り入れつつ、制作方法を語って観客を沸かせたりと、集まった押井ファンを前にここぞとばかりに濃いトークを展開していた。
●3Dと2Dの使いわけは映像とテーマの一致と関係がある
この作品でまず目につくのは、雲の上と地上で描写手法が異なる点だろう。戦闘機に乗って離陸してからの世界である雲の上は3DCG、地上は2Dの手描きで主に描かれている。そしてその映像手法の違いと作品のテーマには密接な関係があると押井監督は語る。
監督はまず、今回の作画の苦労話から語り始めた。特に大変だったというのが、空戦時のコクピット内。戦闘機は3DCGで作られているが、コクピット内のキャラクターは手描きであり、キャノピーの枠の影が身体の上を流れるといった表現を作画で再現するのに相当苦労したそうだ。まずダミーの3D人形モデルを作り、3DCGの戦闘機を機動させて人形に影を落とし、それを作画の時に1コマずつ写し取って描く。さらにゴーグルのハイライトや、キャノピーに映り込んでいるコクピット内部とパイロットの反射、キャノピーのアクリル樹脂の傷などの表現も、戦闘機の機動に合わせて加えていく。「三次元を主として二次元を追従させる」のが雲の上の世界の描き方だと言う。
逆に地上では、ずらりと並ぶ酒瓶のラベルをテクスチャを貼り込んで作るなど、手描きでは描ききれない細かい情報をCGに任せるというように、表現力を補佐するものとしてCGを使っている。CGも手描きも両方必要であり、求める表現に応じて主と従を入れ替えることが肝心なのだと押井監督は主張する。
「ハリウッドみたいに3Dで全部作るとか、反対に全部えんぴつで描くというのは、素材の一元化であり、同じ考え方をすればいいから作り手としては作りやすいんです。でもCGと手で描いたもののように様々な素材をうまく使いこなして、最終的にひとつの画面にすれば、必ずリッチな画面ができる。レベルの異なる素材をいかにして料理するか、深い味わいというのはそうやってできるものだ。今回はそれに加えて、演出的に二次元の素材と三次元の素材をいかに使いこなすかを作品のテーマにしたかったんです」(押井監督)
●押井監督「映画とは構造的に重層的に表現されるべきである」
本作品の最大のテーマは「どんなに辛くても、僕らは日常に生きるしかない」ということだそうだ。
老いることがない“キルドレ”たちは、空を飛んで死と隣り合わせの空中戦をしている時だけ、自分の生の実感を感じ取れる瞬間がある。ただしそこは非日常の世界であって、非日常に人間は居続けることはできず、必ず日常に帰ってくる。彼らが一生飛び続けていたいと願っても、飛行機の燃料が尽きるか、撃墜されて地上に墜ちるか、いずれにせよ必ず地上という日常に帰ってくることになる。
だが退屈な日常の中でも精一杯生きることで、非日常での素晴らしい体験に匹敵し得る時間を獲得できる。雲の上と地上を明らかに違う絵柄で表現したのも、対比を鮮やかに描くことがこの作品のテーマと一致すると考えたからだという。
まったりと流れる地上での時間と、濃厚で目まぐるしい雲の上の時間。瑣末なディテールに満ち満ちた地上と、空と雲しかないシンプルさゆえに大きな広がりを感じられる雲の上。
「映画とは構造的に、重層的に表現されるべきであると思うんです。『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』は地上と空という、雲で分断された2つの世界で描かれています。飛行機が降りてくるたびに犬が吠える。これは地上で空から降りてくるものを待つ存在としての犬だったりするわけです。キルドレたちも地上ではバイクや車に乗り、水平方向にしか移動していない。そういうふうな構造がこの作品の一番大きな仕掛けと言えると思います。世界観とドラマの芝居の一致というのは、そういうことを指すんですよ」(押井監督)
地上と空、2Dと3D、手描きとデジタル――。2つの世界の違いに想いを馳せつつ、映画館という日常の中で非日常が体験できる場所に足を運んでみてはいかが?