原哲夫氏の伝説的SFマンガが25年の時を経てよみがえった!『サイバーブルー』吉原基貴先生インタビュー――「原先生からの“筋肉ダメ出し”に学びました!」
1988年に『週刊少年ジャンプ』で連載された原哲夫先生のハードSFマンガ『CYBERブルー』。
そのリバイバル版となる『サイバーブルー失われた子供たち』の単行本第一巻の発売を記念し、作者である吉原基貴先生にインタビューを行った。
別な作家がマンガでマンガをリプロダクションするという挑戦は、どのようにはじまって、どんな困難を経て今に至るのか。
新たなる『サイバーブルー』の秘密に迫った。
●80年代のSFと現代のSFの融合
――まずはこの『サイバーブルー』の連載の経緯についてお尋ねしたいのですが
吉原先生(以下、吉原):編集部の方から連絡を頂いたのが最初だと思います。いきなり知らない番号から電話がかかって来て…という感じですね(笑)。
5年ぐらい前に別の企画で誘われてはいたんで、まったく知らない人というわけではなかったんですけど。
――今までの吉原先生のマンガとはかなり作風が違う印象を受けたのですが?
吉原:自分の中ではそんなに違いは意識していないんです。もともと原先生のファンだったので、動機としてはそちらの方が強かったです。
もともと存在している作品をリメイクするというのはかなり特殊なケースですし、“原哲夫”という名前で読まれる読者の方もいると思うので、チャレンジというよりは「申し訳ないけど原先生の作品を描かせて貰います」と思いつつ、完全に同じものを描くわけにもいかないので、難しいところですね。
ただ、まったく違う人間がそれを描くというのはどういう反応をするのか、あまりにもイメージを崩されたと思われては申し訳ないですし、読者さんの方が“これなら読んでもいいかな”と思って貰えればいいなと。
――原作である原哲夫先生版は1988年という時代に描かれたSFなわけですが、それを20年後の今描くというのは非常にバランスが難しいと思うのですが?
吉原:そこは今でも最も苦戦している部分ですね。80年代と今では“未来”という感覚が全然違うんですよね、パソコンも携帯電話も無かった時代の、映画でいえば『ブレードランナー』的な未来感。それを今描いてもしょうがないというか、「それはリアルじゃないよな」と思ったんですよ。
でも、ひょっとしたら今これを描いている最中にも新しい技術だったり、宇宙の表現に関わるような新しい発見があったりするかもしれない。直接的な表現として絵に表れるかどうかは別として、三月の震災だって、あの報道を見た人達がガレキの廃墟の絵を観て何を思うのか、そういう事の影響もありますし、あまりがっちり決めない方がライブ感も出て良いのかな、とも思います。
――ではかなりオリジナルの要素も入ってくるのでしょうか?
吉原:とはいえ、原作のファンに「こんなの『サイバーブルー』じゃねぇよ」と言われるようなものを描くつもりもないんです。
というのは、それでもストーリーというか、作品の根幹は変わらないわけで、さじ加減は難しいんですけど、そこだけは変わらない。だからこそ自分が描く意味があるし、『サイバーブルー』である意味があると思っています。
●受け継がれる“原イズム”
――その根幹とは、どのようなものなのでしょうか?
吉原:舞台が西暦2400年なんで、今では全然理解できないような価値観とかが発生しているんだろうけども、読んでいる人がまったく理解できないようなことを描いても意味が無いと思うし“現代にも未来にもあるもの”を描かなきゃいけないとは意識していますね。
――それは絵の部分というよりも、気持ちの部分ですよね。というと“原先生イズム”のようなものを重視されているということでしょうか
吉原:そうですね、そこは難しいところなんですけど…キャラクターというか、人間を形成しているものは例え『花の慶次』だろうと『サイバーブルー』だろうと一緒なんですよね。世界観も未来だったり世紀末だったり戦国ものだったりしますけど、原先生の描いてきた“男の生き様”のようなものは不変だと思うんですよ。
結局、“困ってる誰かを助ける人”ってどんな奴なんだろう?とか、どんな男が人を助ける資格があるんだろう?って考えた時に、それは時代により少しは変わっていくんだろうけど、原先生が描くそういうヒーロー像と、僕が描いているヒーロー像はそんなに離れていないと思います。
それは、何の関係もない人を「じゃあ助けてやるよ」って言えるような、そういう人間じゃないかと。第一話ではかなり悲惨な光景を描きましたが、あれを経験しているから主人公は「あれを他人には味わわせたくはない」と思うわけです。
――そのお話は例えば読者に伝える為のコマ割りであったり、演出的、技術的な面に於いても言える話ですよね。
吉原:コマ割りには毎回悩んでます。どんなに話が良くてもコマ割りが悪ければ台無しになりますからね。読みやすさ、コマ割り、カメラワークの三つは常に意識していますね。原先生の『サイバーブルー』と違う面を出せるならここかなと思っています。
実は第一話のネームが90ページぐらいありまして、それを担当と話して「ここはわかりにくいからもっと描写を増やそう」とかやってると100ページ超えちゃうんですよ。
それを前半部の50ページで切ってまた調整したんですが、結局70ページ以上になる。で、それを原先生に見て頂いたときに言われたのは「どんな時代でもマンガというのは感情だ、人の気持ちが描かれていないものに人は感動しない」と言われまして。
だからどんなにテンポが良かろうが、どんな世界を描こうが、人間の感情をベースに、その感情が読んだ人に伝わっていくように描くことは、全てのマンガがやらなければいけないことだと思います。
●『サイバーブルー』から『CYBERブルー』へと至る道
――確かに原先生版の『サイバーブルー』と比べてブルーが若い分、感情がストレートに表現されているように思えます。
吉原:原先生の当時のマンガの主人公は本当に完成された男の魅力があったんですけれども、このブルーはまだ完成しきってはいないと思いますね。これからの物語でも“ブルーの成長”というのは重要な部分になっていくと思います。
まだ女も知らないし、酒も飲んだこともない、親になったこともないような奴だけれども、だからこそ純粋な正義感を持てるというか、色々な事を乗り越えて成熟したヒーローになってくれればいいなとは思いますね。
――原作の原先生とはどのようなやり取りをされているのでしょうか?
吉原:出来あがった物には全てチェックを頂いています。その前の段階でも、ネームを見て貰う時にアドバイスを伺ったりという感じですけど、意見を頂いたり、アクションシーンの演出とかでも「初動作を描いていないと読者にとってわかりにくくなる」とか、そういう具体的なアドバイスを頂くこともありますね。
あとは筋肉ですね、男キャラの筋肉にはもう…原先生は拘りがある方なので。ブルーのイメージ画をお見せした際に「ここの筋肉はこういう動きをしないんだよ」とダメ出しをされまして。
というのも「読者はページを隅から隅まで見ている。その中で一か所違和感があったら、読者はずっとそれを気にし続ける、それが二か所になるともう読んで貰えない」という教えがあるんです。だから一か所たりとも手を抜けなくて、特に筋肉は服を着せて誤魔化せばいいというものではないんです(笑)。
――では最後に読者のみなさんに、これからの見どころや、メッセージをお願い致します
吉原:見どころ…というのはやはり“痛快サイバーアクション”を目指しているので(笑)、現代でも歴史ものでもない強みというのはありますよね。
想像だにしないバケモノが出てきたり、そういうことが出来るんですよね。最終的には神様と戦いたいんですよ、惑星一つが一個の生き物で…みたいな、そんな奴相手に銃をぶっ放すとか、そういう現代じゃ絶対不可能な場面もこの『サイバーブルー』では描けると思うので、そういう気持ちよさに注目して貰えたらと思いますね。良い意味で「予測不可能なマンガ」というのが理想なので。
<取材・文:渡辺佑>
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