セーラーヴィーナスに憧れて声優をめざし、夢のプリキュアに!村中知スペシャルインタビュー・前編「人間、村中知を知る」
『オレカバトル』の俺牙ファイヤ、『ワールドトリガー』の空閑遊真など、ハスキーボイスを活かした少年役が印象的な女性声優・村中知さん。
一方で少女役を演じる機会があまりなかった中、2017年2月より放送がはじまったばかりのプリキュアシリーズ最新作『キラキラ☆プリキュアアラモード』の立神あおい/キュアジェラート役が決まり、新たな魅力を見せています。
またプライベートを語る取材はこれまでほとんど受けたことがないそうで、今回アニメイトタイムズでは村中知さんのこれまでの歩みから声優としての様々な話まで、初公開エピソード盛りだくさんで語っていただきました。
前編となる今回は、声優をめざすきっかけから物事の考え方まで紹介します。
▲村中 知(むらなか とも)
12月15日生まれ。茨城県出身。血液型A型。主な出演作『オレカバトル』俺牙ファイヤ役、『ワールドトリガー』空閑遊真役、『アイドルマスター シンデレラガールズ』大和亜季役、『超ロボット生命体 トランスフォーマーアドベンチャー』ラッセル役、『フューチャーカード バディファイトDDD』太陽の竜バルドラゴン・超太陽竜バルソレイユ役、『キラキラ☆プリキュアアラモード』立神あおい・キュアジェラート役、劇場アニメ『シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島』シンドバッド役ほか。東京俳優生活協同組合所属。
――アフレコ後の飲み会に頻繁に参加されているようですが、お酒が好きなんですか?
村中知さん(以下、村中):お酒はほぼ飲めないんですよ。だから飲み会には必ず行くんですけど、素面のまま喋っている感じですね。
注射のアルコール消毒でも真っ赤になっちゃうので、身体に合っていないんですね。度数の低いお酒をひと口飲んだだけで泥酔するんですよ。どうしても飲む必要がある場合は、薄めてほとんどジュースみたいになったものにお水を2杯くらいつけてもらって、中和しながら飲むんです。
――それでも飲みの席自体は好きなんですね。
村中:飲みの席でないと、自由に話ができないんですよ。スタジオの中で仕事以外の話をべらべら喋るわけにはいかないので、先輩方とお話するためにそういうところに行くんです。お酒が入ればフランクに話せるのかなと思うんですけど、私はお酒の力を頼れないので、相手を酔わせて……って、酷い女みたいになってますね(笑)。
――さて、まずは村中さんご自身のことについて色々と伺います。子供の頃は活発で、男の子とよく遊ぶような子だったそうですね。
村中:男女を認識する、小学4年生くらいまでは、男の子とばかり遊んでいました。ごっこ遊びをよくやっていて、おままごとなんだけど、地球を守る感じ。「今日はあたしが敵に捕まるほうをやるから」「今日は助けるほうをやるから」みたいな、戦う感じのおままごとをよくやっていましたね。
――それは何か具体的なヒーロー作品のごっこ遊び? それとも、なんとなくヒーローみたいな?
村中:なんとなくでした。女の子が混ざっているときは『セーラームーン』でやったりもしたんですけど、自分たちで勝手に設定を作って、その設定の中で遊ぶ感じなんです。いわゆるエチュード(即興劇)みたいな。
――その時点で既に「役者・村中知」が始まっていますよね。
村中:姉とも、ぬいぐるみに声をアテて遊んだりとかしていたので、昔から自分じゃない何かになりきるとか、シチュエーションごっこみたいなことは好きだった気がします。
――そうなると、けっこう早い段階から役者というものが将来の目標になっていたと。
村中:この職業を目指し始めたのは小学4年生くらいです。それ以前も、姉が私を巻き込んでラジオ番組ごっこみたいなことをやらせたりしていたんですよ。カセットテープにも録音して。それが潜在的な声優体験になった部分もあったのかな。
――そのカセットテープを聴いたときの、自分の声の印象は憶えていますか?
村中:地声で喋るというよりは、潰れた男の子の声だったんですよ。私の担当のぬいぐるみが。だから「うわー変な声! こんな声で喋ってんだ、わはは!」みたいな感じで姉と笑っていた記憶があります。
小学4年生で声優を目指し始めて、中学校では演劇部に入ったんですけど色々あってコーラス部に移り……。「オペレッタっていう、歌もお芝居もできるのがあるからやりなよ!」って勧誘されたんですね。
それと同じ時期に、劇団ひまわりさんのワークショップみたいなものにも友達と参加したんですよ。地元の茨城で子供たちに演劇を教えてくれて、舞台にも立たせてもらえる、みたいな。みんな動物や植物の役で、かつセリフも少なかったんですけど、本格的な演技に触れられてすごく楽しかったんです。
そこからますます本気で声優への夢を追うようになったので、高校でもさらにそういうことをやりたいと思って、放送部で有名な県の学校に進学したんですよ。その放送部にはナレーション部門と朗読部門があって、「声優になるにはどちらが必要ですか?」と先輩に聞いたら朗読部門を薦められて、そこで全国大会に出て、みたいな感じで今に至るんです。
――最初から女優ではなく、声優を目指したということでしょうか?
村中:女優さんに憧れたことは一度もないんですよ。顔を出すよりも、後ろでキャラクターを演じていたいんです。舞台はお芝居をする基本でもあるので、立ちたいなと思うんですけど、テレビのカメラの前で演じたいとは小さい頃から思わなかったですね。
自分を追い込んで伸びようとする姿は求道者!
――幼い頃から声を変えるのが特技だったと思いますが、趣味は?
村中:ダンスはずっと趣味でやっているんです。「村中知という人」が人前に出るのはすごい苦手なんですけど、ダンスとかで何かを表現しているのを観てもらうのは好きだったんですよ。
――どのようなダンスを?
村中:幼稚園の頃からクラシックバレエをやっていたんですけど、自分には上品すぎたんです(笑)。その後、武富士のCMを観てジャズダンスに転向しました。母親に「これ何?」って聞いたらジャズダンスだと教えてくれて、自分からスクールに通いたいと言いました。
ジャズダンスの「激しくて、女性らしさを残しつつかっこいい」みたいなところに憧れたんです。あとは大学で社交ダンスを少し齧ったり、大人になってからベリーダンスをやってみたりもしましたね。
――ダンスで拍手を浴びる快感みたいなものも、小さい頃から感じていた?
村中:それはあまりなかったです。自分が好きでやっていただけで。母親や友達が「良かったよ」って言ってくれても、「嘘でしょ!? 何か粗があったでしょ!? それを教えて!」みたいな。
――そこで「教えて」と言うのは、すでにプロの意識ですよ。
村中:おだてられるのが嫌いなんです。「あそこは良かったけど、ここは微妙だったからもっとがんばれ」みたいな言われ方なら、褒められても腑に落ちるんですけど、手放しで「良かった!」って言われると「どこが良いと思ったの?」って聞きたくなるんですよ。
――もはや求道者ですね。そこまで自分を追い込むような生き方をしていたら、外からの評価で挫折するようなこともあるのでは?
村中:実は挫折はけっこうしてきました(笑)。朗読大会で、最後まで1位にはなれなかったとか。この仕事を始めてからは、ボッコボコに言われて心がポッキリ折れたとか。
最初の頃はオーディションに落ちるとめっちゃめちゃ落ち込んでましたね。立て続けに落ちて、よく名前を見る方が受かっているのを見たりすると、「私はダメかも」ってどんどんへこんで……。あまりにも落ち込み過ぎて再起不能になっても困るので、最近は過度に期待しないようにする術を身に着けました。
――オーディションに通るようになったなと実感できたのはいつ頃ですか?
村中:いや、いまだにですよ。昔と何が変わったかといえば、昔はなんでもかんでも出来るはずと思っていたけれど、受かるものは受かる、落ちるものは落ちると割り切ったことでむやみに落ち込むことは減った気がします。
「セーラーヴィーナスになりたい」が声優を目指した原点!
――小さいときに好きだったアニメは?
村中:『セーラームーン』や『忍たま乱太郎』とか。家が厳しかったので、アニメをあまり見せてもらえなかったんです。ほかに観られたのは『名探偵コナン』『犬夜叉』『金田一少年の事件簿』ですね。母親が塾の先生をやっていた時期があって、家にいないタイミングで姉と一緒に隠れて観ていましたね。
『セーラームーン』と『忍たま乱太郎』は、この業界に自分が入る一番のきっかけにもなりました。最初はセーラーヴィーナスになりたかったんですよ。そして小学4年生のときに「セーラーヴィーナスの声をやっている人の仕事を、声優っていうんだよ」と教えられて、すぐに「なりたい!」って言ったんです。
『セーラームーン』は声優というものを知らないで観ていた時代で、声優という職業を認識しながら観たのが『忍たま乱太郎』や『名探偵コナン』なんですね。それで観ているうちに「あのキャラとあのキャラは、声が一緒なんだ」って気づき始めて、「こんなキャラも、こんなキャラもできる」って発見するのが楽しくなっていったんですよ。
しかも『忍たま乱太郎』は情操教育的な部分も担ってくれて、つらいことがあっても『忍たま乱太郎』を観て乗り越えていったりとか、色々と救われました。
――小学4年生で声優のことを知って、声優になるために放送部で有名な高校を選んだということは、将来の夢は声優しかなかった?
村中:そうですね。声優以外の夢を持ったことがないんですよ。
――声優になると決めた後、声優の技術的な面で注目していた作品は?
村中:アニメより、吹き替え作品ですね。しかもたまたまなんですけど、深見梨加さん。
――セーラーヴィーナスですね(笑)。
村中:そうなんですよ! 後々それを知るという。あとは田中敦子さんのお芝居を観て、自分が思っていた声優像と全然違ったことに驚きました。子供の頃のごっこ遊びでは、声を変えることを楽しんでいた感じなんですけど、声を変えるのが声優ではない。お2人を見たときに「あ、なんか全然違う」と思ったんです。そのときの私の耳では、お2人の何がすごいのかはわからなくて、でもお芝居を聴いていると鳥肌が立つんですよ。勿論、他にも沢山の先輩方、後輩からも沢山学ばせていただいています。
アニメ作品をそれほどたくさんは観ていないし、今も「こういうキャラを研究したいからちょっと観てみる」みたいな感じで、これに影響されました、みたいな作品はないですね。勉強のために観て、自分に出来ないことを発見をするという意味では色んな作品から常に影響は受けています。あ、『セーラームーン』とかはたまに観返したりしています。
――最初に生でプロの技を見て衝撃を受けたのは、いつ頃、どなたからなのでしょう?
村中:事務所に入って3年目か4年目かの、田中敦子さんでした。『コバート・アフェア』という吹き替えの作品だったんですけど、ビビりました(笑)。「なんだこれは!?」と思って。
それまで私、大勢でやる収録にあまり参加したことがなかったんです。ナレーター、ゲーム、ボイスオーバーなどは、ひとり作業が多いんですよ。その状態から田中敦子さんのお芝居を見たので、「格が違う!」と思いました。
――デビューするまでは、わりと順調でしたか?
村中:いや、けっこう苦労しました! 最初に俳協の養成所にお金を払って半年間通って、そこで10人にまで絞られる試験を通ると、また半年間の無料レッスンがあるんです。そこから事務所に所属するまでは、スムーズに行かせていただいたんですけど、そこからが大変でしたね。
――その頃は、少年声が自分の武器だと感じていたのでしょうか?
村中:武器というか、その時点で一番得意なものが少年の役だったんです。事務所の新人の中で目立たなければいけない…何を売りにしよう?と考えた時に、よし少年だ!と。
――仕事を始めた頃は、少年役が多かった……?
村中:少年をやることの方が少なかったです。ボイスオーバーは女性役が多くて、たまに男の子をやれる機会があると、嬉々としてやるみたいな(笑)。「これは得意だからきっとできるはず!」みたいな感じでやっていました。あと、女性役といっても若い女性はあまりなくて、30代とか20代後半が多かったです。おばあさんをやることもありましたね。
――ひとりでやる仕事が多かったということは、自分のペースで声優業に慣れて行けた感じでしょうか?
村中:最初から大勢の中に飛び込めていた方が、もっと早い時期から違いを知れたのかなとは思いますけど、ひとりで色々やって悩んだ結果、今ここに立っているとも思うので、あの3年間が無駄だったとは全然思いません。ただ、「あのとき気づけていれば、もうちょっと違ったのにな」と思うことはいまだにありますね。
――新人時代、何を一番知りたかったのでしょうか?
村中:芝居(笑)。自分が考えていた芝居と、現場でやっている芝居にかなりのギャップがあって、それに気づけないまま何年かやっていたのがもったいなかったなとは思いますね。
――そこで自分の芝居を振り返って、感じたことは?
村中:上っ面でした。肝心の芝居が疎かになっていたと思います。しかも自分の人生経験は何も活かしていない。こういうキャラっぽく喋る、というところから前に進めていなかったですね。
プロの芝居を見ていると、自分の人生経験が滲み出ていますし、別に変に声を変えることもない。それに気づいたのが3年目とかだったから、「今まで何やってたんだろう……」みたいな。その頃の音源も残してあるんですけど、ブッ壊したくなりますね(笑)。
――その状態から、役者としてひとつ乗り越えたかなと思えた作品は?
村中:最初にオーディションに受かって主役をやらせていただいた『オレカバトル』というアニメです。何も自信がなかった中で、初めて「1年間、演じてください」という許しを得た作品だったので。自分ががんばっていく道をちょっと照らしてもらったというか。またこの作品をきっかけに、気にかけてくださる人が増えた気もしますし、その頃の自分にとっても唯一「これをやりました!」と、自信を持って言える作品になりましたね。
――最初の頃は、バイトなども並行してやっていた?
村中:バイトは大学1、2年くらいまではやっていたんですけど、デビューするまですごい節約してお金を貯めていたので、切り崩せばなんとかなるだろう、みたいな感じでした。
――ちなみに今、ハマっていることは?
村中:あまり趣味が継続しないタイプなんですけど、最近は「アドラー心理学」の『嫌われる勇気』という本を読んでいます。
――同年代の周囲の女性と比べて、興味の方向性の違いを感じますか?
村中:そうなのかな。長続きしないというのも、そのときにある問題を解決するために、それにハマるみたいなところがあって。吹き替えのことで悩んだら、吹き替え作品を手当たり次第借りてきて一日中観ているときもあるし、今は人間関係に悩んでいるから心理学の本を読んでみる、みたいな感じで。
――やはり考え方が役者的ですね。まるで役を取り換えるように、自分も次々と移り変わっているように感じます。村中知とは何かと考えたときに、自分自身が求めているのはダンスになりますか?
村中:そうですね。唯一ずっとやっているのはダンスです。
――今後、ジャズアニメ的な作品に出演する機会があったら、イベントでジャズダンスを披露してみたいですか?
村中:以前から、できたらいいなとは思っていたんですけど、あまり人前で踊るような作品に携わったことがなくて。アプリゲームの『アイドルマスター シンデレラガールズ』で踊る機会を得たときは楽しかったです。村中知としてではなく、大和亜季というキャラクターで出ればいいし、踊るのは元々好きなので。
――最近流行の2.5次元ミュージカルといわれる、キャスト自身がキャラの衣装とメイクをがっつりやって、キャラクターとしてステージに立つような舞台ならやってみたい?
村中:そうですね! 自分のスッキリ感はそれが一番あります。あとはもちろん、普通の舞台もやりたいなとは思います。生のお芝居を勉強したいという気持ちがあるので。
――さて、お姉さんにお子さんがいるそうですが、その子たちの前で、役の声で喋ってあげたりはしないんですか? それこそ今度はプリキュアになるわけですが。
村中:プリキュアは一貫して、キャラクターとして見てほしいから、私とは結びつけないでほしいと思っているんですよ。今までは、姉がキャラクターを見せて「これ知ちゃんだよー」とか言っていたので、「●●の声やってよー」って言われたらやっていたんですけど。
自分の中では、小さいときに見ていたアニメは、キャラクターを実在の人物として受け留めて感性を磨いた感覚があるんですね。特に姪っ子はプリキュア世代ド真ん中なので、これは言わないほうがいいだろうと思っています。
――最後に、村中知とはどういう人ですか?
村中:家でひとりでいるのが好きで、ずっと仕事のことやオーディションのことを考えているから、つまらない人間なんですよ(笑)。あまり自分を前に出すのが好きじゃないんです。私の過去やプライベートを知ってもらうよりも私が携わっている作品に興味を持ってもらえたら嬉しいんですよ。作品を中心に生きている気がしますね。
人前に出ると人の目がこちらに集まることで焦って挙動不審になる習性もあるので、そういうギャップは楽しんでいただけるかもしれません。機会があったときにはせひ観ていただけたらと思います。
【後編へ続く】
インタビュー&文:設楽英一
撮影:相澤宏諒
ヘアメイク:小泉七穂
編集:柏村友哉