『シュタインズ・ゲート ゼロ』コラボ時計発売記念! 秋葉原の歴史を桃井はるこさんが語る!! ~モモーイが見た90年代のアキバ~
大沢商会/J.O(ジェイ・オー)クリエイティブからアニメ『シュタインズ・ゲート ゼロ』とコラボした商品「STEINS:GATE 0 公認腕時計」が、現在発売中である(11月22日発売開始)。腕時計は岡部倫太郎と牧瀬紅莉栖をイメージした黒と白の二種類。文字盤には作品の雰囲気を表現した幾何学模様が描かれており、アニメコラボグッズとしては控え目なデザイン。アニメのロゴは本体の裏側に刻印されているため、ビジネスシーンでも普段遣いできるのが嬉しい。どちらも限定200本の商品で、それぞれシリアルナンバーが刻まれている。
そしてもうひとつ、2019年1月頃(予定)には作中に登場した懐中時計をイメージした『STEINS;GATE 0 懐中時計 「まゆしぃモデル」』も発売される。文字盤はシンプルで見やすく、本体は手に持ったときに馴染むサイズ。日常での使用を考えて設計された懐中時計なので、高級感たっぷりの質感と視認性にこだわって開発された商品だ。こちらも限定200個での販売。こちらには作品全体の象徴的アイテムということでシリアルナンバーは入っておらず「ロゴ」のみのシンプルな外観に仕上がっている。
今回は3つの商品の発売を記念して、アニメ『シュタインズ・ゲート』シリーズで「フェイリス・ニャンニャン」を演じる声優・桃井はるこさんにお話を伺った。時計の企画……ということで、幼少期の桃井はるこさんが「秋葉原」の街に魅了されたきっかけや、その時代のお話をたっぷり語っていただいた。『シュタインズ・ゲート』に登場した秋葉原と、桃井はるこさんが過ごしてきた秋葉原の街の意外な関連性とは!? 作品のファンはもちろん、アキバを愛するすべての読者に読んでいただきたい超ロングインタビューです!
『シュタゲ』と腕時計を愛する桃井はるこさんにコラボウォッチを見てもらった!
──桃井はるこさんは腕時計がお好きだと伺いました。
桃井はるこさん(以下、桃井):ガジェットは昔から大好きで、特に腕時計は身につけていないと落ち着かないくらいです。いつもつけているので、忘れちゃったときも腕を見てしまうくらい習慣化していますね。
──普段はどのような腕時計をしていますか?
桃井:高級な腕時計を買うのではなくて、いろんな時計を付け替えて使っています。自宅の壁にはフックがあって、そこにはいろんな時計が一軍、二軍、三軍……と分けてかかっています。出かけるときは、それらを見ながら「今日はどれをしていこうかな?」と考えてから出発します。
──大沢商会/J.Oクリエイティブから『シュタインズ・ゲート ゼロ』のコラボウォッチが発売されます。商品をご覧になった感想をお願いします。
桃井:画像よりも実物の方が高級感がありますね。でも、ビビっちゃうようなお値段じゃないし、かと言って安っぽくない! アニメグッズだと知らされないと、パッと見た感じはわかりませんね。ビジネスシーンで使える腕時計だと思いました。
──黒と白の2種類が用意されていますが、どちらが好みですか?
桃井:黒と白は性別や年齢問わずに身につけられる色です。『シュタインズ・ゲート』シリーズのファンは男性も女性も多いので、考えられてるなぁと思いました。私だったらカジュアルな服のときは黒で、ドレッシーなときは白がいいかな?
──キャラクター名は書かれていませんが、黒は岡部倫太郎で、白は牧瀬紅莉栖をイメージしてデザインされたそうです。
桃井:あ、やっぱり! なんとなく「そうだな」って思っていました。キャラがドーンと描かれている商品じゃないのに、見た目でなんとなくわかるのが、よくデザインされてるなって思いました。ところで……私は「フェイリス・ニャンニャン」を演じさせているのですが、彼女のモデルはないんでしょうか?(笑)
──そしてもうひとつ、懐中時計も発売予定です。
桃井:『シュタゲ』ファンのみなさんが待っていた商品じゃないですか? 懐中時計はアニメの象徴的なアイテムだったので、放送時にSNSで実況を見ていたら「欲しい!」という声がいくつもあがっていましたよ。彼らは「これに近い時計はどれだ?」なんてつぶやきながら、似ている懐中時計を探していました。大沢商会さんのこの商品が公式見解ということでいいんじゃないでしょうか? 『シュタインズ・ゲート』の雰囲気にピッタリだと思います。
──公式見解ですか(笑)。
桃井:はい。なのでこれが止まってしまうと不吉なことが起こりそうです。手に入れられたファンの方は、ゼッタイに止めないようにしっかりメンテナンスすべきです。冗談はさておき、それくらいリアリティーがあるなと思いました。
──購入するファンのみなさんには注意してもらわねばいけませんね。
桃井:『シュタインズ・ゲート』は10年くらい続いているコンテンツなので、初期のころに発売されたグッズはすでに手に入りません。だからきっと、これを持っていたら今後自慢できるアイテムになると思いますよ。腕時計にはシリアル番号が入っているのも、ラボメンっぽくていいですよね。「僕は何番だ」みたいに、自分の時計に愛着が湧くと思います。自分用だけじゃなくて、プレゼントにもいいと思います。リア充の人は、彼女さんと彼氏さん用のペアウォッチに使ってほしいです。
元祖秋葉原の女王「モモーイ」がアキバに魅了されたきっかけは!?
──今回は時計の企画ということで、秋葉原の歴史を振り返ってみたいと思います。さっそくですが、桃井はるこさんにとって「秋葉原」はどんな街ですか?
桃井:えーっ、ひとことで表現するのは難しいですね(笑)。
──そうだと思います(笑)。では、初めて秋葉原に足を運んだときを覚えていますか?
桃井:私が秋葉原で遊び始めたのは、小学校高学年くらいです。そのころの秋葉原に対する世間のイメージは「家電が売っている街」くらいでした。わざわざ遊びに行く街としては、認識されていなかったように思います。
──なぜ秋葉原に行くようになったのですか?
桃井:家電とかCDとか、私が好きなモノがすべて集まっていたからです。アキバに行くと、『ウォークマン』の新しい機種が全部並んでるんです。しかもヘッドフォン売り場も充実していて、すべて視聴できるんです。初めて見たときは衝撃でした。CDショップも同じで、メジャーレーベルから出ているCDはすべて入荷していました。本当に「ここは天国だ!」と思いました。
──小学生で秋葉原に通っていたなんて渋い!
桃井:当時は中央線沿線に住んでいて、小学校のころから電車で通学していました。でも、学校と秋葉原は逆の方向なんです。だから下校するときに、自宅の最寄り駅を乗り過ごして秋葉原に通っていました。
──「寄り道」ではなくて、わざわざ行っていたのですね。秋葉原に頻繁に通うきっかけは、なにかあったのでしょうか?
桃井:きっかけのひとつは、当時アスキーが出していた雑誌『ファミコン通信』(現:ファミ通)です。いまは週刊ゲーム誌ですが、当時は隔週誌だったんです。小学生のころから私はゲームが好きだったので、二週に一度の金曜日を楽しみにしていました。ですが、ある日ふと秋葉原に行ったら、水曜日なのに新しい『ファミコン通信』が売ってるんです。「あれ? これはまだ私が持ってない号だぞ!」って。
──金曜日発売なのに、水曜日に売ってたのですか?
桃井:当時はまだゆるい時代だったから、月曜発売の『週刊少年ジャンプ』が日曜日に売ってる時代でした。近所の酒屋さんとかでね(笑)。それと同じで、アキバで水曜日に『ファミコン通信』を売っている店を見つけてしまったんです。それで私は、「これを買って読めば、誰よりも早く最新ゲーム情報を手に入れられる!」と思って、二週に一度は必ず秋葉原に行くようになりました。小学校高学年から中学生のころだったと思います。
──アキバに通うきっかっけは『ファミ通』だったとは。当時、桃井さんのような子供は多かったのですか?
桃井:秋葉原に中学生の女子なんて、私以外はいません(笑)。だから店員さんにすぐに覚えられちゃいました。顔見知りになった後は、店員さんは私の買いそうなゲームをキープしておいてくれるようになりました。
──予約もしていないのに?
桃井:もちろん予約はしていませんし、取っておいてと頼んでもいません。商品棚には「売り切れ」って書かれているけど、私が店に行くと「ちゃんと取っといたよ~」ってキープしておいてくれてたんです。
──えぇ、ズルい!
桃井:昔の秋葉原はそういう街だったんです。みんなが平等じゃなくて、ズルい街なんです(笑)。きっと私以外にも常連客の好みによって、その人が買いそうなものを言われなくてもキープしていたんでしょうね。あとは若い世代を大切にするべく(笑)贔屓にしてくれたのではないでしょうか? そんなことがきっかけで、私はアキバのゲーム屋さんに通うようになりました。そこからは日本のゲームだけでなく、欧米のゲームにもハマるようになりました。
──ずいぶんコアな女子中学生ですね。どんな欧米のゲームですか?
桃井:「スーパーファミコン」の北米版の「SNES(Super Nintendo Entertainment System)」です。日本のスーパーファミコンはグレーで丸っこい形をしているんですけど、SNESは紫色でクールなイメージがかっこいいんです。クリスマスにSNESの本体を親から買ってもらって、それから海外のゲームで世界の広さを知りました。
──洋ゲーのタイトルで、印象に残っているものはありますか?
桃井:たくさんありましたよ。おもしろかったのは「GENESIS(海外版メガドライブ)」のタイトルなんですが、『マリオホッケー』というのがありました。店員が書いたPOPを見て私は「セガなのにマリオ?」と不思議に思っていたら、髭の方のマリオじゃなくて、「マリオ」という選手をフューチャーしたホッケーゲームだったんです。
──セガのハードで、マリオのゲームがあるわけないですね(笑)。
桃井:いまみたいにメーカーの垣根を超えてキャラクターがコラボする時代じゃありませんからね。そういう変なゲームをたくさん知って、「世界にはいろんなゲームがあっておもしろいなー」って思っていました。海外のゲーム雑誌もおもしろかったですよ。
──『ファミ通』のみならず、海外の雑誌も読んでいたのですか?
桃井:私がよく買っていた雑誌は『Nintendo Power』という雑誌です。毎号すっごく変な洋風のポスターがついてくるので、部屋にいっぱい貼ってました。みなさんご存知の格ゲー『ストリートファイターII』ですが、海外版のパッケージはブランカがどかーんと描かれていて、リュウが倒されてるんです。そんなのありえませんよね? そういう文化の違いや知識を得られるのが、秋葉原という街だったんです。
90年代の秋葉原に「未来ガジェット研究所」のような溜まり場が実在した
──それから秋葉原に頻繁に通うように?
桃井:そうですね。まさに『シュタインズ・ゲート』のラボメンみたいに、秋葉原のお店に入り浸っていました。私にとっての「未来ガジェット研究所」は、そのお店でした。お金を持ってない中学生だから買い物はほとんどしないのに、店にずーっといるんです。店員さんとお話したり、それが飽きたら試遊台でゲームを遊んでいました。
──ずっとお店にいてもいいのですか?
桃井:むしろ「ずっと遊んでていいよ」って喜ばれるんです。店内に客がいないと誰も入ってこないから、店員さんは嫌がらないんです。だからお言葉に甘えて、他のお客さんが来るまではATARIのゲームなんかも遊ばせてもらっていました。
──そのお店の名前を伺ってもよろしいでしょうか?
桃井:メッセサンオーさんの海外ゲームコーナーです。その売り場は、平日でもゲーム会社の人がサボって遊びに来ていました。私はいつもいるから、彼らみたいな常連さんとも顔見知りになりました。あのお店はおもしろかったです。私は女子中学生だったから、始めは「こいつニワカだろ……」みたいに思われるんですけど、ちょっと話せばニワカかどうかはわかるじゃないですか。
──ゲーム好きなら、すぐわかります!
桃井:なのでちょこっと話して「こいつ話わかるな」みたいな雰囲気になったら、名前も知らない相手と話ができる場所でした。もちろん初めは店員が中心になって3人で話をしているんですけど、店員さんが忙しくなってどこかに行っちゃた後も、その客と話していました。
──仲良くなりましたか?
桃井:携帯電話がある時代じゃないので、連絡先は教えません。でも、お店で会ったら話します。あのゲーム屋さんは、そういう場所だったんです。きっと他の常連客も同じ思いだったはずです。
──お店では、どんなお話をしたか覚えていますか?
桃井:ゲーム会社で働いている常連が多かったので、「今度はこんなゲームを移植するよ」とか、「○○さんが○○で訴えられたんだよ」とか、他では聞けないゲーム業界の裏話です。それを聞いた私は、「大人の世界はすごいなぁ! こんなのファミ通にも載ってないよ!」って。
──載ってなくて当然です(笑)。
桃井:私は学生だから、大人の話を聞くのは楽しかったです。彼らも会社のグチや作っているゲームを、誰かに自慢したかったんです。いまみたいにSNSがないから、話が漏れて拡散する心配がありませんから。
──ゲーム業界で働く大人たちの生の声は新鮮だったでしょうね!
桃井:はい。とっても! それまで私たちは、おもちゃ屋さんに行ったら勝手にゲームが湧いて出てくると思っていたけど、秋葉原に通うようになってからは、「こういう大人たちが徹夜をして作ってるんだな」と知りました。「何日帰れなかった」みたいな話はさんざん聞きましたよ。彼らの自慢なんです。徹夜が偉いみたいな、謎のプライドを持っている人たちでしたね。
昔のプログラマーはみんな知的飲料・ドクターペッパーを飲んでいた!
──いまではブラック企業だとか言われて、すぐに叩かれそうです。
桃井:みんな好きで働いていたから、何日徹夜しても自慢になるんでしょうね。彼らはみんな『ドクターペッパー』をガブガブ飲みながら働いていたんです。
──岡部倫太郎が好む『ドクペ』ですか!? あれってアニメの設定ではなくて、当時の秋葉原で流行っていたのですか?
桃井:秋葉原のプログラマーとかエンジニアは、好んで飲んでいた印象です。ドクターペッパーはメッセサンオーの隣にも売ってましたし、ケースで買っている人もいました。彼らは『コカ・コーラ』や『ペプシコーラ』じゃダメみたいです。プログラマーは変わった人たちばっかりだったから、飲み物はマイナーであればマイナーであるほどいいんです(笑)。だから『シュタインズ・ゲート』の設定と美術を初めて見たとき、私は「おお、ちゃんとアキバをわかってる~!」と嬉しくなりました。
──そうだったのですね。てっきりアニメが流行ったから、アキバのあちこちでドクターペッパーが売られるようになったのかと。
桃井:いや、逆ですね。ドクターペッパーって、本国のアメリカではコカ・コーラとペプシコーラよりも歴史が古いみたいですよ。秋葉原って『おでん缶』とか変な商品が有名じゃないですか? 5回振ってから飲むゼリーとか。ドクターペッパー以外では、『マウンテンデュー』とか『ルートビア』を飲む人も多かったですね。
※公式サイトによると、コカ・コーラは1886年、ペプシコーラは1898年に誕生。ドクターペッパーは1885年。
──では、彼らの食事は?
桃井:なぜか辛いものばかり食べていたイメージです。めちゃくちゃ辛いインドカレーとドクターペッパーを飲んで、脳をブーストさせてプログラムを書きまくるんです。寝ちゃいけない仕事ですからね(笑)。
──過酷なお仕事ですね……。では、プログラマーたちから聞いたブラック系以外の話で、記憶に残っていることはありますか?
桃井:ゲーム業界や秋葉原のいろんな噂も聞けました。当時有名だった話は、ATARIが80年代に『E.T.』というゲームでクリスマス商戦に勝負したんだけど、大量に在庫が余ってしまってニューメキシコのどこかに埋めた……という噂です。それを聞いて、いつかニューメキシコに行ってみたいなぁと思っていました。そのときは作りすぎちゃった余剰品だけど、ゲームが好きな人にとっては宝の山です。でも、単なる噂なのか真実なのか、誰も知りませんでした。
──ロマンがあるお話ですね。
桃井:でもいまから3年前くらいに、ニューメキシコの土地を掘り返した人がいたんです。その様子は『Atari: Game Over』という映画で描かれているのですが、私が秋葉原で14歳くらいのときに聞いた噂どおり、ゴミ捨て場の地中から大量のソフトと本体が見つかりました。
──噂は真実だったのですか!
桃井:すごくないですか? いまみたいにネットが盛んじゃない時代なのに、内緒だった話がアメリカのオタクから日本のオタクに口コミで伝わってきて、ゲーム業界とアキバ界隈の都市伝説になった。時を経てそれが真実だったことがわかったときは、本当に嬉しかったです。
──それは感動します。
桃井:その後、発掘されたゲームの化石はオークションにかけられ、日本人でも何人かが買ったらしいです。十数万円くらいで落札した人に見せてもらったことがあるんですけど、めっちゃ生ゴミ臭かったです(笑)。
──ゲーム業界ではなく、秋葉原の都市伝説もあったのですか?
桃井:いま旧万世橋駅は「mAAch ecute(マーチエキュート)」という施設ができていますが、当時は入れない状態だったので、「どうやら万世橋駅があるらしい」という噂が流れていました。「万世橋駅があった」という事実も全然知られていませんでした。
──いまでは多くの人が知っているのに。
桃井:もちろん文献はあったはずなので詳しい人は知っていたと思いますが、当時の秋葉原は今ほどクローズアップされる機会も少なかったので、神田も含めてならともかく秋葉原の研究をしている人はいなかったんじゃないでしょうか? あの場所はラジオガーデンや石丸電気、万世橋警察署などがあったから、みんな普通に歩いているエリアです。でも、万世橋駅があった事実を知らず、「この下に駅があるらしい」とか「その駅には幽霊が出るらしい」とか、都市伝説だけが流れていました。
──都市伝説って夢があって、いいですね!
桃井:『シュタインズ・ゲート』で万世橋駅が出てきたとき、すごくワクワクしました。私としては、ずっと遊びに行っていた場所がゲームの舞台になって、しかもそれがアニメになったら映像として動いてるんです。とっても感動です。しかも、いまアニメ版の初代『シュタインズ・ゲート』を見ると、ちょっと前の秋葉原なんです。アトレが工事中になっていたりして、懐かしい秋葉原の映像なんですよ。秋葉原の空気を、ああやってアニメとしてパッケージしている作品に、自分が「フェイリス・ニャンニャン」として関わらせていただいて、すごくよかったと思いました。私は作中のラボメンたちのように、秋葉原でずっと遊んでいた人間です。なのでフェイリス・ニャンニャンの役は誰よりも上手くできる自信がありました。選んでくださって本当に光栄です。
──桃井さんが秋葉原でずっと活動していたから、それを汲んでキャスティングされたのではないでしょうか?
桃井:どうでしょうね?(笑) ですが秋葉原に対する思い入れは人一倍です。アキバを愛するセリフは、演技ではなくて素で言えます。台本を読むたびに、心の底から「うんうん、そうだよね」と思って演じていました。
90年代の秋葉原大手CDショップ事情
──学生時代の桃井さんは、ゲーム以外に趣味はありましたか?
桃井:「女性アイドル」も趣味のひとつでした。いまの女性アイドルは団体が主流ですが、当時はひとりとか3人組が多かったんです。当時は「アイドル冬の時代(90年代)」なんて言われていたので、世間的にアイドルはブームではありませんでした。
──ブームじゃないのに、桃井さんが女性アイドルに惹かれた理由は?
桃井:大人のプロが作った楽曲を、10代の女の子が歌っているのがおもしろかったんです。プロがまるでオートクチュールのように曲を仕立てて、それを少女たちが歌うんです。他の音楽、たとえばバンドとかポップスも聴いていましたが、特に女性アイドルが好きでした。
──他に聴いていた音楽は?
桃井:「TMネットワーク」とか「たま」とか「スチャダラパー」は、ライブにも行ってました。そういうのは他の友だちを誘えるんですけど、女性アイドルのイベントは「私はいいや」ってなる(笑)。あとはアニソンや特撮も好きでした。音楽は全般的に好きです。
──女性アイドルのCDを買うのも秋葉原だったのでしょうか?
桃井:もちろんです。バンドとかポップスのCDなら、新宿とか池袋でも買えるんです。ですが、アイドルCDを大量に売っている店は秋葉原だけだったと思います。石丸電気やヤマギワソフトに行けば、アイドルだけでなく、アニソンも特撮も、ずらーっと並んでましたからね。それに秋葉原のショップなら、インストアイベントも行われていましたから。そうそう! 石丸電気のサービスがすごかったんです。
──どんなサービスでしょうか?
桃井:CDを買うと必ずくれる割引券の還元率がお得でした。それだけじゃなくて、サービスも素晴らしいんです。あるとき探してるCDを店員さんに聞いたら、「ここにはないけど○号店にある。いまから走って取ってくるから待っててください」って、店員さんが取って来てくれたんです。教えてくれたら私が買いに行くのに、わざわざ走って取ってきてくれるんです。店内でそういう光景をよく見ました、誰にでもそうしてくれました。
──まるでVIPのような待遇ですね!
桃井:90年代前半はCDが売れている時代だったから、お会計の行列が長くて、30分くらい待たなければいけませんでした。だから待っている間に店員さんが走って取ってきてくれるんです。それが普通だったんです。
──秋葉原のCDショップでの思い出はありますか?
桃井:私がデビューした2000年の話なのですが、石丸電気さんとヤマギワさんでインストアイベントをやらせていただいたんです。当日、私が歌手として「よろしくお願いします」と店員さんに挨拶をしたら、「あれ? なんで? いつも水野あおいのイベントに来てた子だよね?」とビックリされました。当時、アイドルのイベントに来る女性客はほとんどいなかったから、完全に覚えられちゃってたんですね。
──そんなに頻繁に通っていたのですか?
桃井:そうですねぇ。しかも早朝から整理券をもらって並んでいましたから。私はスタッフさんたちに、「こちらでCDを買わせていただいてなければ、いまのシンガーソングライターの私はいませんでした」と返したら、店員のみなさんは「嬉しいな」と言ってくれました。
90年代の秋葉原はこんな世界だった
──桃井さんが頻繁に秋葉原に通い始めたころの秋葉原は、どんな街でしたか?
桃井:そうですね。山手線と総武線が交わるターミナル駅ということもあって、ビジネスマンが多く集まる街でした。駅前にあった「アキハバラデパート」は、新橋駅前にある「ニュー新橋ビル」を小さくしたようなイメージです。
──確かに新橋はビジネスマンの街ですね。
桃井:あそこのようなマッサージ屋さんはありませんでしたが、本屋さん、100円ショップ、謎の輸入ショップ、ビジネスマンのYシャツと靴下などが売ってました。そしてアキハバラデパートには秋葉原では珍しい飲食店もあって、「お好み食堂ロータリー」という店に行ってました。
──桃井さんが秋葉原に行ったとき、巡回ルートは決まっていましたか?
桃井:そのときによってバラバラです。でも、電気街口改札口は超混むから、デパート口から出ることは決まってました。デパート口を出ると、いっつも実演販売で包丁を売ってるんです。「電線も切れちゃうよ~」とか言って(笑)。普通の人は包丁で電線を切らないですよね? 切らなきゃいけない硬いモノといったら「魚の骨」とかですよ。あれはたぶん、そのへんに売ってる電線を買ってきていたから、むりやり電線を切ってたんでしょうね。その後、実演販売員が有名になってテレビの通販番組に出演したのを見たのですが、テレビの中でも相変わらず電線を切ってました。
──秋葉原駅前で実演販売なんて、いまでは考えられません。
桃井:いまは「アトレ秋葉原1」があるところでやってました。その隣に、ずーっとオリの中でシンバルを叩いているウサギちゃんとサルさんがいました。シャンシャンシャン♪ シャンシャンシャン♪ ってね(笑)。
──よく覚えていますね!
桃井:いっつもひとりで行ってたから覚えています。誰かと行くと会話に夢中になっちゃったり、道案内を任せちゃうじゃないですか。でも私はひとりだったから覚えています。そして、よく行っていたお店は、CD屋さんやジャンク屋さん、「リバティー」の中古屋さんとかが多かったです。あと、お腹がすいたときは「喫茶東洋」とかです。喫茶東洋は本格派のカレーが安いんだけど、あんまり美味しくなかった!
一同:(笑)。
桃井:「ザコン(ラオックス ザ・コンピュータ館)」ができてからは、地下にあった喫茶店「カフェテリア ウッド」もよく行きました。そこでは買ったばかりのゲームの説明書を読むんです。私だけじゃなくて、店内を見回すと自宅まで我慢できない人がたくさん集まっていて、みんなメロンソーダとかを飲みながら、小さい説明書を一生懸命読んでました。
──すぐ電車に乗って帰れば遊べるのに……。
桃井:みんなガマンできないんですよ。そのお店、とにかく冷房が強くてすっごく寒いんです。いつもキンキンに冷えてました。なんでか知らないけど、「喫茶店は寒ければ寒いほど偉い」という時代でした。
──偉いんですか?(笑)
桃井:そういう風潮でしたねぇ。とにかく秋葉原は、私が好きなものが全部ある街でした。いまみたいなネットがない時代なので、生きた情報を得るためには秋葉原に行くしかなかったんです。行ったのになにもなかったとしても、それはそれでいいんです。「今日はなにもなかったな」という情報を知れたわけですから。今日なにもなかったとしても、「明日はなにかあるかもしれない」と思わせてくれる街。それが秋葉原です。
孤独なファイターが集う街・秋葉原
──ゲームや女性アイドルなどを趣味にしていた学生時代、他の友だちで同じ趣味の子はいませんでしたか?
桃井:ゲームが趣味の男子はいたので、ゲームの話は学校でもできました。私が早売りのファミ通を学校で読んでいると、ゲーム好きの男子が「なんで持ってるんだよ! 見せてくれよ!」となるので、一緒に読むわけです。
──金曜日にならないと手に入らない雑誌を、水曜日に持っていたら人気者になって当然だと思います。
桃井:私からしたら、好きな物の話をできて嬉しい訳ですが、他の女子からは「なんで男子と話してるの? 変だよね?」ってなっちゃうんです。うちの学校はなぜか、女子は女子、男子は男子でかたまる傾向があって。ただ男子と話をしてるだけで変だと言われるので、「もう○○くんと話すのはやめよう……」って思ってしまいました。そんな学校生活だったから、ひとりで行動することが多かったんです。
──では、秋葉原へはずっとひとりで通っていたのですね。
桃井:秋葉原はいい街です。新宿とか渋谷は2~3人で行動している子が多い街だったので、私がひとりで歩いていると肩身が狭いんです。でも、当時の秋葉原はひとりの人ばっかり。誰も他人の顔なんて見てないんです。みんな自分の目的に忙しくて、さっさと足早に歩く「孤独なファイター」たちの街だったんです。
──孤独なファイターですか(笑)。
桃井:彼らはみな、「ネジを買う」とか「トランスミッターを探す」とか「ゲームを買う」とか、なにか目的を持っているんです。だから中学生女子の私がひとりで歩いていても気にしません。本当に居心地のいい街でした。
──桃井さんは新宿とか他の街は行かなかったのですか?
桃井:いえ、アイドルのイベントとか目的があるときは行きました。
──新宿ではどこに行っていましたか?
桃井:当時、アイドルのイベントがよく行われていた「紀伊国屋書店」の別館「アドホック」とか「帝都無線」に通ってました。あとは「さくらや」のゲームコーナーもですね。新宿以外でしたら池袋も行きましたよ。池袋は「WAVE」という大きなCDショップとか、サンシャイン通りとか「ロサ会館」のゲームセンターです。池袋のゲーセンには上手いプレイヤーが多く集まっていたので、プレイを見に行ってました。
──ゲームの観戦とは、かなり濃いですね。
桃井:懐かしいなぁ。ロサ会館に行くと、いっつも毛利名人がシューティングゲームをやっていて、人だかりができていました。ものすごく上手いから、クリアーすると大きな拍手が起こるんです。私もその輪の中に入って応援してました。
──目的は違うかもしれませんが、新宿や池袋なら女子向けのショップも多いので、友だちを誘えたのでは?
桃井:そうなんですけど、私は鶏卵アレルギーなのでスイーツとか食べられないんです。学校の帰りにみんなで原宿でクレープを食べたとき、私だけジュースとかゼリーを食べていました。同じ食を摂るのって、一体感を生むじゃないですか? でも私だけクレープを食べられないので、つねに疎外感を感じていました。気にしないようにはしていましたけどね。
──確かに同じ食事を摂ると仲間意識が高まります。
桃井:そこで、またしても秋葉原ですよ。当時の秋葉原は、そもそも食べ物屋がほとんどありません。アレルギーでも、なんのコンプレックスも感じません。
──桃井さんにとって、秋葉原はすべての条件を満たしている街ということですか。
桃井:秋葉原でお腹がすいたら、卵が使われていない「万かつサンド」を買ってました。飲み物は、そのへんにある自販機でなにが出てくるかわからない「?」のボタンです。それを持って駅前の広場で食べて、「じゃあ遊びに行くかー」って感じでした。
高校生になってアキバでバイトを始めた桃井さん
──秋葉原に友だちを誘って行ったことはありますか?
桃井:小中学校はいわゆる進学校に通っていました。ですが疲れてしまったので、高校は自分探しをするために定時制の学校に入ったんです。その学校は8時から昼の12時までが授業で、午後はみんな働いたり芸能活動をしていました。
──自由な時間がたっぷりありますね。
桃井:その高校で仲良くなった子がスケートボードが好きだったんです。当時、秋葉原は駅前に広場があって、スケートボーダーが集まる聖地だったんです。いまの「秋葉原UDX」や「ダイビル」がある辺りですね。その友だちはスケートボードを見たくて、秋葉原に行きたいと言うんです。彼女は私が秋葉原に詳しいのを知っていたから、利害関係が一致して一緒に行くようになりました。
──では桃井さんもスケートボードを見に?
桃井:いいえ。私は彼女と別行動で、あいかわらず『ディスクマン(ソニーのポータブルCDプレイヤー)』とか家電を見て遊んでました。でも、彼女はパナソニックの『ショックウェーブ』が好きだったから、彼女が家電を探すときだけ、一緒に家電屋を回ったこともあります。
──まるでアキバの観光ガイドですね。
桃井:あとは『ゲームボーイカラー』が出たときも、友だちを案内しました。CMにバンダナを巻いた木村拓哉さんが出ていたんですが、ゲームボーイカラーを買うとキャンペーンで同じバンダナがもらえたんです。ですがキムタクさんは大人気だから、地元のおもちゃ屋さんからはすぐになくなっちゃっていました。そんなとき、木村拓哉さんの大ファンの友だちから、「なんとかならないか?」と相談されました。
──なんと答えましたか?
桃井:「アキバに行ったらあると思うよ。アキバにキムタクファンはいないから」って答えました。
一同:(笑)。
──実際に残ってましたか?
桃井:たくさん残ってました。秋葉原はゲーム機がたくさん売ってるのに、女性はほとんど来ません(笑)。しかも、秋葉原は地元のおもちゃ屋さんよりちょっと安いし、なんなら「2個ください」って頼んだら2個もらえたこともありました。おおらかな時代でした。
──桃井さんは秋葉原がそんなに好きなら、この街で働きたいと思いませんでしたか?
桃井:高校生になってバイトをしたのが秋葉原でした。先程お伝えしたとおり、定時制の高校だったから、みんな『an』とか『FromA(フロム・エー)』とかのアルバイト雑誌を見ているんです。ですが当時は高校生不可の募集ばっかりでした。あったとしても時給700円とかの、安いお仕事ばっかり。
──高校生がアルバイトをするのが一般的じゃなかった時代なのでしょうか。
桃井:なのに、友だちが時給1000円以上のお仕事を探してきたんです。しかも仕事の内容はレジ打ちで、勤務地が秋葉原です。怪しいじゃないですか?(笑) その子は私が秋葉原に詳しいのを知ってたから「ひとりで行くのは怖いから付き添ってくれ」と頼まれました。
──桃井さんはついて行ったのですか?
桃井:所在地の「神林ビル(かんばやしびる)」という建物はもちろん知っていたので、面接に付き合ってあげることにしました。
──どんなお店だったのでしょうか?
桃井:怪しいことはぜんぜんなくて、秋葉原によくあるジャンク屋でした。私はドアの外で待っていようとしたら、面接をするオーナーから「君も働かないか? 誰も来てくれないから困ってるんだ」と誘われてしまいました。話を聞いたら専門的な知識はいらないし、本当にレジ打ちをするだけ。高い時給も本当だったんです。私も働くことにしました。
──いいお仕事を見つけましたね。どんなものを売ってましたか?
桃井:DOS/VのブームだったからPCのいろんなパーツを扱っていましたけど、そのとき一番熱かったのは「ダイヤルQ2」の中古です。テレホンサービスの流行が終わって、その機械が大量に流れてきた時代でした。高価なものは、パソコン用CPU「Pentium」です。
──そんな普通のジャンク屋で、なぜ1000円以上も時給をもらえたんですか?
桃井:お客さんがレジに持ってきた商品を袋に詰めて、お代を受け取るだけの仕事なんですが、条件がひとつだけあったんです。
──どんな条件ですか?
桃井:袋に詰めた商品をお客さんに渡すときは、ニッコリと笑顔で、心をこめて渡すことです。オーナーに理由を聞いたら、「男っていうのはね、かわいい女の子に商品を渡してもらえるだけで嬉しいものなんだよ」って言ってました。
──それは嬉しいです!
桃井:要するに「萌ビジネス」です。たぶんまだ、メイド喫茶の「キュアメイドカフェ」とか「メイリッシュ」も創業前だったはずです。そんな時代に「萌ジャンク屋」を作ったオーナーは、いま考えるとめちゃくちゃ先見がある人だったと思います。
──ジャンク屋どころか、PCショップも男の店員ばかりだったと思います!
桃井:そもそも秋葉原に女性がいませんからね! しかも店は「くず屋うさぎ堂」という名前で、ちょっとかわいいんです。他の店は「湘南通商」とか「たんせい」とか、かわいさのカケラもない時代なのに。
──そのお店で働いて、楽しかったですか?
桃井:めちゃくちゃ楽しかったですよ。バイトなのにラジカセを持ち込んで、自分の好きな音楽をかけながら仕事してましたから。しかもお客さんはほとんど来ないから暇なんです。私は自作PCをやっていたから少しは詳しかったので、パーツを聞かれても答えられましたし。置いてない商品を聞かれたときは、「ツクモに行ってください」とか「ザコンに行ってください」とか、言いたい放題の仕事でした(笑)。
──店員さんがかわいい女の子だったら、客から声をかけられたり誘われたりしないのですか?
桃井:まったくありませんでした。アキバに来る人はみんな紳士です。ナンパされたこともないし、ストーカーもいませんでした。ですが、渡される1000円札はつねに湿ってました。
一同:(爆笑)。
桃井:彼らはいろいろ本気なんです。1000円札はジーパンのポケットにそのまま入れちゃうから、くしゃくしゃだし汗で湿ってるんです。いっしょに働いてた同級生の子はアキバの人たちに詳しくないから、「なんでみんな1000円札が湿ってるの! お札って普通は湿らないじゃん!!」と困っていました(笑)。
──なんて説明しましたか?
桃井:「アキバの人たちは限られた時間のなかで効率よく回らないといけないから、みんな本気なんだよ」って。でも、彼女は私の説明を聞いても、わかったようなわかってないような表情をしてましたね(笑)。
──「くず屋うさぎ堂」で働いていたときの思い出はありますか?
桃井:働いていたジャンク屋の同じフロアに、とあるお店があったんです。その店の窓には「特殊漫画」と書いてありました。いわゆる「同人誌屋」ですね。当時、オタクの趣味のひとつに「テレフォンカード収集」がありました。なのでそのお店は、雑誌『ゲーメスト』のプレゼントとかで配布されたレアなテレフォンカードもいっぱい並んでいました。
──同人誌のことを「特殊漫画」と呼んでいたのですね。
桃井:秋葉原にはすでに「Kブックス」はあったと思いますが、私の認識では、まだ同人誌はメジャーじゃなかったと思います。まだ池袋のほうが、女性向け同人誌ショップが多かったと思います。
──そうだったのですね!
桃井:その隣にできた特殊漫画の店なんですが、「おもしろい店だなぁ」なんて思いながらたまに遊びに行っていたのですが、いまでは有名な「とらのあな」の一号店だったんです。
──ええええ!?
桃井:それまでは家電の街だった秋葉原に、ゲームとかLDとかが出てきて、だんだんいまで言う「オタク」が集まり始めてきた時代です。そのころの秋葉原は「ハードからソフトに移行する」と、よく言われていました。中古ショップも増えてきて、いらなくなったソフトを売って、そのお金で新作を買うというサイクルも生まれ初めてきました。
──「くず屋うさぎ堂」のお仕事は、どれくらい続けてたのでしょうか?
桃井:ずっとやりたかったけど、2~3ヵ月で潰れちゃいました(笑)。
──えっ!?
桃井:原因はたぶん、バイトに給料を払いすぎていたのと、8万円くらいする「Pentium」が万引きされたからでしょうね。万引きは多かったです。
──それは残念ですね。
桃井:でもオーナーは別の本業があったみたいだから、ジャンク屋は道楽だったみたいです。秋葉原にお店を出したかった夢を、「くず屋うさぎ堂」で叶えたんだと思います。あのお店は時代を先取りしすぎたんです。当時の秋葉原は硬派な人が多くて、女の子が出てくるようなアニメは恥ずかしがって好まれていませんでした。そんな時代に女の子に客商売をさせるジャンク屋を出すなんて、アイデアマンでした。なので、「秋葉原の萌えビジネスの発祥はどこか?」と聞かれたら、私は迷わず「くず屋うさぎ堂」と答えます。
『シュタインズ・ゲート』が世界で愛される理由は「オタクなじみ」だから
──歩行者天国や桃井さんがアイドル活動を始めたころのお話も伺いたいのですが、せっかくなので『シュタインズ・ゲート』についてお聞きしたいです。作品に出演して、嬉しかったことは?
桃井:たくさんありすぎて、なにをお話したらいいでしょうか?(笑)
──そうですよね(笑)。では、最近秋葉原には外国人観光客が多いので、海外での『シュタインズ・ゲート』の人気について、どうお考えですか?
桃井:私はいままでに、いろいろな国でイベントに参加させていただきました。なので『シュタインズ・ゲート』が世界中から愛されているのは肌で感じています。「こんなに人気なのはなぜだろう?」と考えたことがあるんです。
──なぜですか?
桃井:登場するキャラクターたちは、性別に関係なく集まって、「ラボメン」として仲良く同じ場所に集まって活動しているからだと思います。あの世界に憧れを感じている人が多いように感じました。
──「未来ガジェット研究所」の部室というか、アジトというか、あの雰囲気は誰もが体験してみたいと思います!
桃井:私が秋葉原に通うきっかけになったゲームショップも、バイト先も、そういう感じでした。店に行けば誰かがいます。携帯もSNSもないので、そこに行かなければ会話ができません。しかも店で会ったとしても、その後に食事に行ったり別の場所に遊びに行ったりはしないんです。なぜか店の中だけの関係でした。
──ドライな関係性に聞こえますが、それはそれで心地よさそうです。
桃井:いまでも秋葉原に行くと、初対面でもゲームとか無線機の改造とか、同じ趣味を持つ人なら友だちみたいな会話ができるじゃないですか? 私はそれをすごく不思議だなと思ってたんです。
──専門店に入った瞬間、そこには同じ趣味の人しかいませんからね。
桃井:そんなことを考えながら月日が流れ、海外のイベントに招待していただくと、海外のオタクも同じでした。アキバだけじゃないんです。先ほどお話した「ニューメキシコのATARIの話」は通じるんです。また、牧瀬紅莉栖のコスプレをしている外国人女性に「ぬるぽ」と話しかけると、「ガッ」と返してきます。母国語は違うのに会話ができるなんて、すごいことです。
──温かいお話です!
桃井:でも、美容室とかでは同じ日本人同士で言葉は通じるのに、「なんの仕事してるんですか?」、「今日はお休みですか?」とか聞かれても、気分が乗らないときは話したくない場合もあります。
──会話は無理やりするものではありませんね。
桃井:そういうのを見て、私はひとつ言葉をひらめいたんです。私たちは「おさななじみ」ではなくて「オタクなじみ」なんです。
──「オタクなじみ」ですか?
桃井:オタク同士だったら、昔から知り合いだったかのように会話ができるんです。違う場所で育って、年齢も性別も違うのに、私たちオタクは「同じ景色」を見て育ってきたんです。
──「オタクなじみ」、いい言葉ですね!
桃井:私を含めてオタクのみんなって「おさななじみ」に憧れを持っている人が多いです。「おさななじみ属性」の人は一定数います。彼ら彼女らに「なんで?」と聞いたら、「だっていまからじゃ無理じゃん!」って答えるんです。そりゃそうですよね(笑)。
──タイムマシーンがないと戻れませんから……。
桃井:なので、オタクのみなさんには「オタクなじみ」という言葉を使ってほしいんです。出会って間もない相手でも、性別も年齢も違う相手でも、会話が弾むオタク仲間は「オタクなじみ」なんです。私たちは、みんなオタクなじみ!!
秋葉原を知り尽くしたモモーイ流アキバの歩き方
──桃井さんはいまでも秋葉原に行きますか?
桃井:もちろんです。最近は昔ながらの輸入ゲームショップとか中古ゲームショップ、レトロゲームショップ、あとは「杉元ビル」とかのジャンク屋さんですね。杉元ビルはガレージみたいなところで、いろいろなジャンク品を黄色い容れ物に入れて売ってるお店です。先日は安かったからiPhoneのケーブルを買いました。
──昔に比べて飲食店が増えましたが、桃井さんは入りますか?
桃井:チェーン店ですけど、立ち食い焼き肉の店「治郎丸」に行きます。やはりせっかく秋葉原に行ったのだから、ゆっくりディナーを楽しんでいる時間はありません! サッと食べてサッと目的を果たしに行く。私にとっては、そういう街です。
──立ち食い焼き肉とは、また忙しいですね。
桃井:そのお店は1品300円くらいで美味しいお肉を食べられます。A5ランクのお肉もありますから、時間のないアキバファイターのみなさんにぜひ!
──桃井さんがオススメする秋葉原の遊び方は?
桃井:秋葉原に行ったことのない人にオススメしたいのは「元日」です。PCパーツ街のいろんなショップが福袋を売っていて楽しいですよ。
──楽しいんですか?
桃井:なんとも秋葉原らしいんです。2000円くらいの福袋に「MacBookが入ってるかも!」とか書かれてますが、ゼッタイに入ってるわけないんですよ! 入ってるとしても『Windows Vista』でしょう。
一同:(笑)。
桃井:福袋なんてガチャみたいなもんです。ロクなものが出てこなくても、そういうモノを楽しむ商品です。そんな福袋を買わないにしても、正月の秋葉原は活気があって楽しいです。
──ふらっと正月に遊びに行っても?
桃井:はい。お正月に帰省もしないでアキバに行く人なんて、よっぽどの人です。前日までコミケに行ってたかどうかは知りませんけど、楽しい人たちが集まってますからね。私は3年連続で正月の秋葉原に行ってます。2017年の元日は日曜日だったので、ホコ天で超快晴でした。中央通りがバーッとひらけてて、神々しい景色でした。
──いまでも福袋を買っているのですか?(笑)
桃井:ええ。2018年も買いました。ですが、ぜんぜんおもしろくなかった! 今年はレトロゲームの福袋を何個か買ったのですが、入っていたのは超有名なソフトばっかりでした。初心者向けセットということなのか、ショップがSNSで叩かれたくないからか、配慮して無難なソフトを入れてるのかな。『ハイスコアガール』を見て、これから始めようって人にとっては超ナイスで良心的な入門セットだと思いますが、私はそっとダンボールを閉じました……。
一同:(笑)。
桃井:『シュタインズ・ゲート』をプレイしたりアニメを見たりした方のなかには、ラボメンが時間を気にせずアキバで遊んでいるような空間はファンタジーだと思っている方もいるかと思います。でも、90年代の秋葉原には実在したんです。もしかしたら、私が知らないだけで、いまもあるのかもしれません。
これからの秋葉原は私たちが作る!
──最近の秋葉原に思うことはありますか?
桃井:最近よく耳にするのは「アキバは変わっちゃっておもしろくなくなった」という意見です。私はそうは思いませんね。街が変わるのは当たり前ですし、最先端のオタクが集まる場所が秋葉原です。なので、変わりゆく秋葉原を見ていれば、今後のオタク文化の動向・流行がわかることもあります。実際に90年代~2000年はそうでした。
──桃井さんが心の底から秋葉原を愛しているのがよく伝わってきます。
桃井:よく「秋葉原はどうなると思いますか?」と聞かれることがありますが、私は「私たちが秋葉原を作るんだよ!」と言っています。集まる人たちによって、街の雰囲気やサービスは変わっていくものです。「どうなると思うか?」じゃなくて、「自分たちが作っていくんだ」という気持ちは持ち続けたいです。
──街に集まる人々によってサービスを変えるのは、商売としては正しいです。
桃井:そしてもうひとつ、「最近はアキバっぽさがなくなった」と言う人も多いです。それは、そういう意見を持っている人間が秋葉原に行かないからだよ! と言いたい。昔の秋葉原の空気を知ってる人がいなくなれば、街は新しくなって当然です。
──もっともな意見だと思います!
桃井:とか、偉そうなことを語ってしまいましたが、秋葉原は地元の方々や警察など、大勢の人たちによって整備・警備・管理されています。私は所詮、遊びにおじゃまする身ですから、テーマパークに行く立場と一緒です。ありのままの秋葉原を無邪気に楽しむ! そういう気持ちを持って、私はこれから秋葉原に行きたいです。これを読んでくださってる読者のなかで、秋葉原が好きな人や興味がある人は、潰れちゃうかもしれないけどお店を出してみるのもいいんじゃないですか? 変わった店だったら、潰れちゃったとしても伝説としてアキバファンの記憶に残り続けると思います。
桃井さんがタイムリープするとしたら?
──最後に『シュタインズ・ゲート』にちなんで、もしもタイムマシンに乗れるとしたら、どの時代の秋葉原に行きたいですか?
桃井:そうですねぇ……ちょうど今日、秋葉原の某同人ショップで、某有名サークルが最初に出したCDが500万円で売られていたんです。ま、東方なんですけどね。
一同:(笑)。
桃井:私は10年くらい前に戻って「三月兎」に行って、そのCDを買って戻ってきたいです! そして「やったぜー! これでパーティーだぜー!!」って、みんなで散財したいです……というのは冗談で
──ちゃんとしたコメントをお願いします(笑)。
桃井:秋葉原はラジオから始まった街なので、「ラジオセンター」と命名されるまでに至った黎明期の秋葉原を見てみたいです。いまでも真空管のデッドストックが売られているますけど、米軍の払い下げ品がずらりと並んでいる様子が、どんな感じだったのか見てみたいです。
──感動するでしょうね!
桃井:あともうひとつ! とても有名な昔の秋葉原の写真で、駅前に牛がいるじゃないですか? あの牛をみつけて「いた! こいつかー!!」って、記念撮影をしてきたいです。
一同:(爆笑)。
──まさかそこまで古い時代に行きたいとは予想外でした。懐かしい時代に戻りたいのかと。
桃井:私が秋葉原で過ごしてきた時代は、思う存分楽しんだので十分です。思い返すと、まさに『シュタインズ・ゲート』の中のような世界でした。それに、いまでも秋葉原駅のすぐ横に、当時を思い出させてくれるものがあるんです。
──それはなんですか?
桃井:アトレ1とラジオ会館の間にある時計です。昔から「あの時計」と呼ばれていて、多くの人の待ち合わせスポットとして使われていました。もちろん私も使っていました。それをイベントでさんざん話すから、「桃井時計」と呼んでくださってる方もいます。
──けっこうモダンなデザインの時計ですが、昔からあったのですか!
桃井:アキハバラデパートからアトレ1に建て替えられたとき、時計の位置は電気街口の北側から南側に移りましたけど、時計の本体はそのままです。
──それは知らない人が多いと思います。
桃井:「あの時計」はアキハバラデパートが工事に入ったとき、一時期は姿を消してしまったんです。『シュタインズ・ゲート』で描かれている工事中の映像を見ればわかりますが、「あの時計」は描かれていません。消えちゃったときは本当に悲しかったです。
桃井:でも、いざ工事が終わってアトレ1が完成したとき、「あの時計」がそのままの形で南側に残っていたんです。場所は変わったけど、そのままの形で残してくれた! 関係者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。これからも秋葉原はどんどん変わっていくと思いますし、それを楽しみにしています。でも、「あの時計」くらいはそのままでいてほしいですね。
[取材・文・写真/佐藤ポン]
■■プロフィール■■
桃井はるこさん
小学生の頃から秋葉原に通い、芸能活動開始後も秋葉原を拠点に活動を続けてきた。ニックネームの「モモーイ」や「元祖秋葉原の女王」はあまりにも有名で、自他ともに認めるアキバファン。声優としてだけはでなく、パワフルなライブステージは海外でも人気。作詞・作曲、執筆など、マルチな才能に魅了されるファンは業界関係者にも多い。
●桃井はるこさん出演情報
・桃井はるこ全曲作詞・作曲のオリジナルニューアルバム
『pearl』(tokyo torico/ユニバーサル)発売中
・12/14(金) 新宿ReNYにてワンマンライブ「モモーイQUEST外伝 Lv.41 ~あの歌この歌、歌いまくりナイト~」開催
・小学館 本の窓『秋葉原カモノハシ亭』連載中
・月刊ラジオライフ『モモーイアンテナ』連載中
・TVアニメ『宇宙戦艦ティラミスⅡ』出演中
・Wallopにて『モモーイ党せーけん放送』 月一回生放送
・FM NACK5にて毎週日曜深夜0:00〜『THE WORKS』放送中
※各詳細はオフィシャルWebとtwitterでご確認ください。
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【発売予定日】
11月22日(木)午前10時~
【価格】
29,800円(税抜)
【機能性】
5気圧防水