『天気の子』新海誠監督&田村篤作画監督インタビュー|「もっと誇りに思っていい」ネットで話題になった“美少女ゲーム説”に隠された真意
同じ時代の空気を吸うということ
――帆高と陽菜は年齢が近いですが、陽菜のほうが大人っぽく見えました。あれは作画でも何かやっているのでしょうか?
田村:陽菜に比べて帆高を少し幼く描くのは、カット毎に考えてやってたかもしれません。
どこをどうしたら陽菜が大人っぽく見えるかっていうのは、明確な答えがあるわけじゃないんですけど、なんとなくそう念じながら描くというか(笑)。それは気をつけていました。
――作画のみなさんは 念じながら描くと言いますが、やっぱり違うものなんですか?
田村:違うとは思いますよ。
新海:その時のキャラクターの表情になりながらアニメーターは描いてますね。
田村:そうですね。
新海:笑っている時は、ちょっとニヤニヤしながら(笑)。苦しい時は苦しそうな顔で描いてます。
田村:そうそう、それが良いアニメーターだと思います。
――(笑)。そしてやはり、新海監督の作品といえば、高校生が主人公ということです。しかも、その時代ごとの“今の高校生”を描いてるような気がしています。その若い感覚はどうやってキャッチアップされているんでしょうか?
新海:ちゃんと掴めているのか、いまいち分からないんですけどね(笑)。まず、高校生が物語の主役になっていくっていうのは、一番映画を見てほしいのがその年代だからという単純な理由なんですよね。
大人になってもアニメや映画を見たり、漫画を読んだりしますけど、別に読まなくても生きていけるじゃないですか。他にも気晴らしは沢山あるし、お酒を飲んだりしてもいい。
でも、10代の頃ってそういうことがもっと大事だった気がするんです。宮崎駿さんの映画とかも本当に楽しみで楽しみで仕方なかった。それを見ることで1週間興奮し続けるみたいなことが普通にあったんですよね。
現実の正解とは違うフィクションの想像力、純粋さみたいなものを必要としてるんだと、自分を振り返るとそう思っています。
あの年代に作品を見てほしくて、あの年代の物語を描いてるのがまずありますね。
質問とは少しずれてしまうかもしれませんが、時代をどうキャッチアップしているのかを言うと、僕は10代ではないけど、確かに同じ時代の空気を吸って生きているということでしょうか。
報道でその時代のことが耳に入ってくることもあるし、電車の中で高校生を見かけるし、ドラマの中でも高校生を見かけますよね。
10代の空気というか時代の空気を吸っているんです。
「だいたいみんなこんな気分だよね」みたいな社会の空気も、自分の気分とどこかで繋がっているはずなんです。
僕は、2000年代はじめの頃は『秒速5センチメートル』のような少し内省的な作品を作っていたんですけど、あの時は時代がああいう気分だった気がするんです。
なんとなく日本は没落していくんだけど、でもこのまま終わらない日常が続く……みたいな感覚があって。
コンビニに入った時の気分とか、電車に乗り換える時の気分とか、日常の細かなところを拾い出して、そこに意味を見いださないと日常は終わらない。
そこで、何か感動したいっていう気分が世の中にはあったような気がするんです。
でも2010年代以降だと、大きな災害も増えたし、昔からありましたが事件もいろいろとあって、サヴァイヴすることの方が大事になってきたような気がします。
「日常は終わるんだ」「すぐ終わるかもしれない」っていう気分の方が支配的になっているから、かつて2000年代頭に描いていた内省的な作品よりは、もう少し外に向かってエネルギーを爆発するような気分が求められているし、僕もそういうものが見たいっていう気持ちが強くなってきて、『天気の子』のような作品に繋がっているんだと思うんですよね。
自分が同時代の人間である以上、同時代と繋がっていて、それが自然に出てくるということだと思います。
――今の高校生らしいなと感じていたのは、作品全体から受け取っていたんですね。キャラクター自身だけじゃなく、全体から感じていた。
新海:そうですね。そうかもしれない。それが出てれば嬉しいなって思います(笑)。