野上武志×才谷屋龍一×伊能高史×葉来緑×むらかわみちお×吉田創によるガルパンコミック作家座談会! 作家の挑戦と作品の懐の深さで築かれた、これがガルパンコミック史!【中編】
自由に使わせてもらえるのが『ガルパン』の懐の深さだと思います(伊能)
――そして『劇場版』の大ヒットを受けて、『ガールズ&パンツァー 劇場版 Variante』が始まるわけですが、ガルパンコミック史ではこれを第二世代後期の幕開け作品としました。
アニメのコミカライズ史として見ても、革命を起こしたかなと思います。ここまで行間を描くことを突き詰めて、読者に感動を与える。画面の隅のキャラクターにスポットを当ててドラマを生む。
――『劇場版』で、大学選抜チームのカール自走臼砲に大洗チームの援軍の戦車が吹き飛ばされるシーンは、黒森峰の強力な戦車が一撃でやられてしまうほど、とてつもなく強い相手なんだという絶望感を覚えて、以後の興味は大学選抜の戦力のほうに移ると思うんです。
ところが、『劇場版 Variante』はこの一撃でやられた戦車の搭乗員に注目するじゃないですか。
▲『ガールズ&パンツァー 劇場版 Variante』第22話より――赤星小梅がどれほどみほに感謝していて、ようやく恩返しできる機会を得てどれだけ気合いを入れていたかというのに、何もできないままやられてしまう無念。そして出番が終わってしまったから、あとはせめてみほのために祈るっていう。
正直モブとしか見ていなかった戦車の、中の人の心情を提示されたことで、それ以来『劇場版』のあのシーンを見ると、泣けるんですよ。それほど原作のアニメに新たな楽しみ方を与え、膨らませるコミカライズって、これまであったかなと。
伊能:あっ、ありがとうございます。
――ガルパンコミック史の第二世代でオリジナル作品が隆盛していったところに、正統コミカライズを新たなステージに進化させた作品が来たなと思ったんです。
なので『リボンの武者』と『劇場版 Variante』を、第二世代の前期、後期の幕開け作品としています。
野上:質問いいですか?
伊能:あ、はい。
野上:『劇場版 Variante』で、ああやって『劇場版』では描かれていないところを色々と描かれてますけど、あれは元々のシナリオというか、絵コンテとかにあったんですか? それとも、伊能先生のほうで補完している感じ?
伊能:勝手に描かせてもらっちゃっているので。
野上:マジか!?
伊能:毎回「これでいいのかな? こんな勝手なことしちゃっていいのかな?」っていう。
野上:それは凄い!
伊能:あ、でも後半の遊園地戦では、少し前に考証の鈴木貴昭さんから『劇場版』本編で映像にできなかったアイデアなんかのお話を色々と伺うことができたので、そちらを取り入れた展開にできないかと考えています。
吉田:ほかの漫画は本編のスピンオフで、別の時代とか別の学校とかを描いてるんですけど、『劇場版 Variante』は唯一の本編映像のコミカライズなんですよね。
コミカライズっていうのは宿命として、アニメ本編から音と動きがないものになるわけですよ。色も、声優さんもマイナスするんですね。
だからそれをそのまんまマンガにしても、ただのフィルムコミックで面白くない。そこに隙間を作って、自分の作家性を入れていくのが『劇場版 Variante』の凄いところだと思いますね。
伊能:コミカライズのお話をいただいたときに、じゃあ何が描けるんだろうって。ほかのスピンオフ作品を見ながら、自分なりにできることは何だろうと考えたんですよ。
やっぱり、マンガというのはキャラクターだよなと。そこをまずピックアップしていこうみたいな。ありがたいことにキャラクターはたくさんいるので、じゃあスポットが当たっていない子にスポットを当ててみようかなっていう。
何かのインタビューで、バンダイナムコアーツの杉山(潔)さんが「『ガルパン』ではキャラクターの散り際を大事にしている。そこを魅せる」っていうコメントをされているのを見たんです。
追及するならこれだなと。さっきも吉田さんが仰っていたんですけど、やっぱりマンガって映像と比べると情報量が落ちるじゃないですか。これは良い悪いじゃなくて、特性として音がない、色がない、動きがない。表現として色々なものを魅せようとすると、かなり散漫になってしまうんです。
だから魅せるならキャラクターだなと。僕もミリタリーとかは詳しくないので、そっちで勝負するとぬるいものになってしまう。ファンにも読まれず、全然売れなくて、出版社も喜ばないみたいな、誰も得しないものになるのは避けたいなと思って。
何かできることはないかなと考えて、こういう形にさせてもらった感じですね。
野上:『劇場版』のフィルムコミックじゃなく、キャラクター性をさらに補完してドラマを作っていくという試み。これは元々どういうふうな経緯で編集側は企画を作ったんですか?
フラッパー編集部・遠藤編集(以下、遠藤):最初に「製作委員会に提案するためのパイロット版を描いてください」と伊能さんにお願いしたら、いきなり第1話の「絶対に紅茶をこぼさないダージリン」が来たんですよ。
遠藤:伊能さんが仰ったように、フィルムコミックのようになぞるだけだとアニメの劣化版みたいになっちゃうので、これはもう伊能さんの解釈を詰め込んだ、行間だけを描くマンガでいいんじゃないですかと。
伊能:ダイジェストで描いて全2巻くらいで終わる、みたいなものは避けたいなと。
吉田:足せば足すほど破綻するわけじゃないですか。
伊能:あっ、そうですね。
野上:ちょっと待って。今すごくビックリしているんですけど。『劇場版 Variante』という作品の成立が、そもそも最初から『劇場版』のコミカライズありきじゃなかったということですか?
遠藤:最初は「『劇場版』のコミカライズをやらせてください」「いいですよ」で始めたんですけど、製作委員会に送ったネームがさすがに映像をなぞってなさ過ぎだったので、「じゃあ何かタイトルに言葉を足して、別モノっぽくしてください」ということで、別モノという意味で――
伊能:タイトルに『Variante』と遠藤さんに付けてもらったんです。これが本当にありがたかったですね。「あくまで『劇場版』ではないぞ!」っていう逃げ道を作ってもらったんですよ(笑)。
野上:『“伊能版”劇場版』ね!
吉田:同じことをやってもしょうがないですからね。
遠藤:まぁ『三国志演義』みたいな。
吉田:なるほど!
遠藤:同じところもあるけど、全然違うところもある、みたいな感じで。たまにネームのやり取りで変な感じになるんですよ。
伊能さんがオリジナル要素をいっぱい詰め込んだときに、「多過ぎるからちょっと削ってください」って言うと、「いや、それだと『劇場版』と同じになっちゃいますけど」って。
一同:あははっ!
遠藤:「あ、確かにそうですね」って言うんですけど、よく考えたら、コミカライズで展開が同じになって何が悪いのかっていう。
一同:あははっ!
遠藤:そんな会話をすること自体が、たぶんコミカライズとしてはおかしい(笑)。
才谷屋:そうですね(笑)。
吉田:おとなしいコミカライズもありますからね。まったく遊びを許さない場合もありますし。
伊能:そこが『ガルパン』の懐の深さだと思いますね。掘り甲斐がある要素もたくさんあるじゃないですか。映像以外でも、設定資料とか。あの辺を自由に使わせてもらえるというのは、本当にありがたいです。
遠藤:その辺りは『リボンの武者』とかで、パラレルワールドという――
伊能:下地を作ってもらえたのが大きいと思います。
遠藤:別にこの設定を映像に輸入させてくださいとか言うことはないので、別モノだからいいですよね、みたいな。一発目の才谷屋さんの無印で同じことをやっていたら、たぶんメチャクチャ怒られた気がします。
むらかわ:最初は大変なのね。
吉田:最初に無人島に杭を打ち込んだ人が、結果的にだけど本編と違うことをやったから、後の広がりにつながったんでしょうね。
野上:そこに対してアニメの決定権を持つ方々が、口を出さないよ、遊んでいいよと言っていただけたことがね。
才谷屋:そういう体制にしてもらえたのがありがたかったですね。
▲『ガールズ&パンツァー 劇場版 Variante』第4巻より――これは伊能先生のお人柄もあると思うんですけど、伊能先生が描くと、全キャラクターが善人になる感じなんですよ。
吉田:あははっ! 役人ですら!
――たとえば島田流家元って、『劇場版』だと西住流を叩き潰せみたいな冷徹な態度だったのが、『劇場版 Variante』を読むと、裏では大洗女子学園を救う方法を考えてくれていたり、愛里寿に対してもすごくきめ細やかな指導をしているじゃないですか。
また大学選抜側も試合のレギュレーションが明らかにおかしいと疑問を抱いていて、手心を加えたわけではないけれど、負けたのは若干思うところもあったからみたいな感じになっているのが、大学選抜が負けた理由としても納得できるんですよね。
野上:そうそう!
――実はみんないい人っていうのが、伊能先生の作家性なのかなと思うんですよ。
野上:お人柄ですね。
伊能:僕的には、アニメの世界をできるだけそのまんま再現したいなっていう感じで。『劇場版』も尺があったら、このぐらいのことはしてるんじゃないか、みたいな感じで描かせてもらっているんですけど。
――その料理の仕方が作家のみなさんごとにあって、伊能先生の作品は全員いい人っていう。
伊能:過激派がここに――(笑)
吉田:けしからんヤツがいるな!
一同:あははっ!