『攻殻機動隊 SAC_2045』神山健治監督&荒牧伸志監督インタビュー|『攻殻機動隊』とは何なのか? “攻殻”を“攻殻”たらしめるためのメソッドとは
すごく根本的なことが『攻殻機動隊』の正体
――本編を拝見させていただいて「これは『攻殻機動隊』だ!」と思いました。みんなが漠然と考えている“『攻殻機動隊』だよね”っていうイメージを作品に落とし込むのは、どうすればできるのでしょうか?
神山:難しいですね。最先端のテクノロジーやサイバーパンクがノスタルジーになりつつあるんですけど、『攻殻機動隊』ってそういうイメージを持たれていると思うんですよ。
例えば『攻殻機動隊』には人形使いのエピソードがあるんですが、劇中で「あれは、人類が出会った3大事件だ」みたいなことを素子が言っていて。でもそれって、起きていることはすごく根源的で人間的なんです。
ハイテクがあるからこそ起きた事件ではあるけど、事件そのものはすごく根源的なことを描いていたような気がするんです。異文化の交流であるとか、知らない人同士が意識を交えてみる、ただの出会いなんですよ。
「自分はこう思っていたけど、相手はこう思ってるんだな」っていうことを知ることで起きる化学反応は、コミュニケーションの一番根源的な部分だし、別に新しいことでも何でもない。
そういうものを、その時のテクノロジーだったり、 SF的な要素、ガジェットを使って描くことでトラディショナルなものが描けるんじゃないかなっていうのが、僕がそもそも一番最初に資料を作った時に思ったことです。
なので、もしそんなイメージを『SAC_2045』でも感じていただけたんだとしたら、我々は本当に嬉しくて。
やっぱり『攻殻機動隊』っていろんな人が作っているので、「『攻殻機動隊』の正体って何でしょうね?」と考えるわけです。今回の我々は、それを紐解いていった先に何があるのかを作ろうと思った。
それは「全体と個人」。全体というのは社会であるとか社会のインフラだったりとか“時代”ですよね。その中における個人が、どうやって生きていくべきか、生きていくことすら難しいなかで、どう踏ん張ったかとかね。
そういう、すごく根源的なことを描くことが、もしかしたら『攻殻機動隊』の正体なんじゃないの、と思ったんです。そこはやらなきゃねって。なので、そう感じていただけたとしたらそれは一番うれしい反応ですね。
荒牧:そこが悩ましいところでもありましたね。最初の士郎正宗先生のコミックは、当時すごく刺激的でしたが、時代がどんどん近付いてきています。
“電脳”という概念ひとつとっても「スマホが頭に入っている状態」と言えばすごく分かりやすくなった。だけど、分かりやすくなった分、未来感が無くなってきていて。街をサイバーパンクにするのが“らしい”のかというと、現実はそういう世界になってないわけですよ。僕もただそれをやってもしょうがないなって思いました。
むしろ現在の状況が20〜30年経っていても続いていて、ソフトウェアは少しアップデートされていて、スマホが頭に入っている状態のほうがいいなと。そこで起きうる何かっていうことに向き合って、そこをちゃんと作った方が面白くできるんだなと。
そういった意味では、当時の『攻殻機動隊』と若干変質はしていると思うんですが、神山監督が『攻殻機動隊 S.A.C.』(以下、『S.A.C.』)で描いた世界を今回すごく検証してるなと思って。
『S.A.C.』より時代的には飛ばしていますけど、実は現実の生活的には非常に身近なものになってきています。だからこそ、一つ間違えると未来に行き過ぎてしまう。そこを一緒に探りながらやっていきましたね。
これが正直相当辛い作業で、「どうしよう?」って悩みながら行っては戻ってみたいなことをずっとやっていたんですけど、それが結果的に『攻殻機動隊』に見えるっていうのは、非常に心地よい言葉です。そこに向き合うのが『攻殻機動隊』だと思っていたし、なんとなくのファンタジーにできるだけしないようにしていたので。
例えばホログラムにしても、 SFだと簡単にみんなが見えるように描かれがちなんですけど、今回は電脳を通してそこにあるものを見ているっていう描き方を丁寧にしたつもりです。神山監督も『S.A.C.』でやっていましたが、見える人と見えない人がいるのをより具体的な形でもっとやっています。
第1話で出てくる街の派手なネオンサインの看板とかも、実は個人にしか見えていない広告で、みんな同じように見えているかどうか分からない、という状況を描写したいなと思って。
そういう“みんなが見ているものが同じかどうかも不安”みたいな世界があると面白いなと。そういうのを積み重ねてなんとなく『攻殻機動隊』っぽい世界を作るということに取り組んだつもりです。