『佐倉綾音の伝え方』優しい声のコミュニケーション論
生き方と喋り方
ーーラジオの中には本当に様々なコミュニケーションの見本がありますが、佐倉さんはご自身のパーソナリティとしてのスタイルをどのように捉えていますか?
私の中で、パーソナリティの自分と、仕事から離れたプライベートの自分を以前は分けて考えていたんですけど、分けていたつもりで、聴く人にはきっと伝わっていたんだろうなと思ったりもして。その境界線が曖昧になる日がくるのかなと少し考えたりしています。今流行りの、インスタグラマーさんやYouTuberさんは、生き方を売り物にしている方も多いですよね。そういう時代の流れなのかもしれません。
最近運転をするようになって、ずっとラジオをつけているのですが、客観的にラジオというコンテンツを聴く中で「生き方って、喋りに出るのかな」と思ったんです。
どんな不意に出た言葉でも優しい人もいれば、普段はとても穏やかそうに見えるけど、ふと出る言葉が攻撃的な人もいて。
でもそれは、良い面と悪い面が表裏一体になっているとも思うんです。攻撃的な言葉だからといって、必ずしも誰かを傷つけるわけではなく、その人の中で譲れないものがあって、それを脅かすものに対してきちんと対抗するためであったり。
ーーその人が何を経験してきたのかによって、言葉遣いも千差万別で。
生い立ちや物の捉え方、他にも読んできた本などでも人の引き出しは変わってくるので、そういった読書家の方々の持つ言葉の力はすごいなと感じますね。
あとは最近、一般の方の一人喋りが面白くてInstagramのライブ配信を見るのにハマっているんですけど、配信されている方々は、誰かとコミュニケーションをとりたくてやっていらっしゃって。「こんなにも純粋な想いのコンテンツって、他にはないな」と思ったんです。
そのとても楽しそうにお喋りをされている様子を見ていて、私が最初にラジオを始めたときの感覚を思い出して。誰かに何かを知って欲しい、共有したい。逆に、誰かに何かをもらいたい。そういう想いから「ラジオをやってみたい」と思っていたなと。そんな初心に返るような、くすぐったい気持ちで一般の方のお喋りを聴いています。
ーーそういった意味では、ラジオにもSNSのようなコミュニケーションの側面があるのかもしれませんね。
SNS上のコメントをラジオリスナーさんからのメールと置き換えると、確かに通ずるものがありますよね。
私はいまだに人がたくさんいるSNSに怖さを感じているのですが、Instagramのライブ配信のように「ラジオとして楽しむSNS」という楽しみ方は、最近少しだけ理解できて。そして、きっとみんなの中に「芸能人になりたい」「ラジオをやってみたい」という感覚が昔からあったからこそ、SNSやYouTubeがこんなにも普及し、職業化しているのだろうなと。
1年前のインタビューでもお答えしたように、私はいまだに時代に滞留しているような感覚を抱えたまま声優をやっているのですが、きっとどこかのタイミングで、それがひっくり返されてしまう日がくるのではないかとたまに考えながら生きています。
ーー佐倉さんの軸となっている部分は時間が経ってもブレないような気がしますが、10代と20代の考え方を比較するだけでも、実は大きく変化していることに気づいたりしますからね。
全然違いますよね。今の10代の方が持っている「楽しい」のポピュラーな感覚も、だんだん理解できなくなっていくのかと思うと、上手くコミュニケーションをとる自信もなくて。ただ、それを真っ向から否定するような歳の取り方はしたくないんです。
例えば『サクラ大戦』シリーズの作曲家の田中公平さんは、巧みに若い人たちの感覚を勉強しながら、かつての文化も大切にされていて。若い人には必要なものだけを与え、あとは笑顔で見守る。そんな方々がこの業界にはいらっしゃって。
理解はせども、共感はせずに生きている。そういった先人に出会うと、「私もこの道を歩こう」と思わされるというか。それでもまだ、年齢が近い若い人の感覚を理解できないと突っぱねてしまう未熟な自分もいて。そんなシーソーゲームが自分の中で行われている感じがします。
ーーその感覚よくわかります。2019年末に「女子中高生の流行語大賞」というものが発表されていたんですけど、そのコトバ部門の1位が「ぴえん」という言葉で。意味が全くわからなくて検索してしまいました(笑)。
それは私もまだ理解できない!(笑) でも私、「やばい」という言葉には陥落したんですよ。あまりにも便利すぎて、それを自分の中で許して口に出した瞬間に、肩の荷が降りて、人生が楽になったんですよね。
おそらくこれからの人生で、「やばい」を否定していくことは疲れるんですよ。悪い言葉ではないということもわかっているし、本当に伝えたいことは、自分の言葉で別の表現をすればいい。現代用語も使いようなのかなと。
ーー言葉の汎用性もありますが、相手の言語に合わせることもコミュニケーションを円滑にするポイントですからね。
そうですね。私はメールやLINEをするとき、相手の言葉遣いや文体に合わせたコミュニケーションをするんです。例えば、絵文字や句読点の有無をそろえたり。
でも、ひとつ納得できない表現があって。「…」を「。。。」にする感覚が、まだ自分の中で消化できていないんです。これはどういうニュアンスなんだろうと。もしかしたら「考えるな、感じろ」ということなのかもしれないんですけど。
閑話休題で、そうして相手によって表現を変えることは、役者としてお芝居の参考になるんです。色んな人の立場になって気持ちを理解することで、その感覚を手に入れた気分になれるので。
そんなコミュニケーションの中でも、自分を見失わないようにするための一端に“言葉のチョイス”があって。もしも誰かに「ぴえん」を使われたら、スルーしてしまうとは思うんですけど(笑)、感じ取れないわけではないんです。みんな巧みに文字を操っているんだと尊敬はしますし、一度使ってみて、自分の中でしっくりこなかったらやめればいい。
例えば、最近「匂わせ」という言葉が面白いなと思ったんですけど、昔から「それ、香ばしい話題ですね」みたいな表現もあったりして。そのニュアンスを若い世代が汲み取ってできた言葉が「匂わせ」なのかな、なんて思うと、現代の人の感覚も昔の人の感覚も似ているのではないかと興味深く考えていました。
ーー捉え方によっては「あはれなり」のような古語も、現代語の「エモい」に意味合いが似ていたりして面白いですよね。Instagramのライブ配信ではないですが、もしも佐倉さんが今後一人喋りのラジオ番組をやるとしたら、どんなスタイルになると思いますか?
以前一人喋りの番組をやっていたときは、ファンの方がそこに行かないと聴けない“趣味のラジオ”だったんですよね。もしも万が一、今後一人でラジオをやることがあったら、“私のことを知らない人にも聴こえるラジオ”ですかね…。
私が最近そういうラジオをよく聴いているというのと、何をやりたいのかと言われれば、シンプルな情報とプラスアルファのおしゃべりをお伝えしたいだけなんですけど(笑)。
ラジオを聴きながら、「この人が伝えようとしている言葉を、私だったらどのように優しく伝えられるか」「この人が優しく優しく発信していることを、私だったらどのように踏み込んで皆さんにお届けできるか」と考えるんです。
おそらく職業病で、物事を反面教師にして考えることが増え、もしもそういった機会をいただけたら、こんなふうにしたいという展望は、ラジオを聴いていてずっと思い描いている感覚はありますね。