ずっと真夜中でいいのに。「ハゼ馳せる果てるまで」、Eve「お気に召すまま」などの名作MVを送り出してきたアニメーション作家 Wabokuさんインタビュー前編|その軌跡を辿ると意外な一面が明らかに?
ずっと真夜中でいいのに。の「ハゼ馳せる果てるまで」、Eveさんの「お気に召すまま」など、多くのアニメーションMVを制作し、総再生数1億回を超える新進気鋭のアニメーション作家 Wabokuさん。WabokuさんとA-1 Pictures・アニプレックスが初タッグを組むアニメーションMV制作プロジェクト【BATEN KAITOS】(バテンカイトス)がいよいよ始動します。
【BATEN KAITOS】のスタートにあたり、アニメイトタイムズではWabokuさんに“これまで・これから”のお話をうかがうことができました。現在でこそカルチャーとして根付いたアニメーションMVですが、Wabokuさんがアニメーションに興味を持った当時は黎明期でした。
Wabokuさんがなぜアニメーション作家を目指したのか、MVを手掛けることになったのか。その軌跡を追っていくうちに、意外な素顔も明らかになっていきました。Wabokuさんのファンはもちろん、アニメーション作家を目指している方にもぜひ読んでいただきたい内容になっています。後編では【BATEN KAITOS】のプロジェクトがスタートした経緯などを教えていただきました。後編は近日公開予定です、お楽しみに!
民俗学から転身? アニメーションに興味を持つまで
――多くのアニメーションMVを制作してきたアニメーション作家 Wabokuさん。今日はWabokuさんの“これまで”のお話もうかがえればと思っているんですが、昔はアニメーションではなく、民俗学に興味を持っていたとうかがってます。
Wabokuさん(以下、Waboku):アニメは『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』を見てたくらいでしたね。高校2年生くらいまではアニメーションを作ろうとも思っていませんでした。地方に残る伝承を調べて、それだけで生きていけたら良いのになと。
進路を決めるにあたり「自分の好きなものって何かあったのかな」と振り返ったらホラーぐらいだったんですよね。当時はそれぐらいしか思いつかなかったんです。
――ホラーは作品によっては民俗学と密接に関係していることもありますもんね。どんな作品がお好きだったんですか?
Waboku:特に好きだったのは『リング』、『らせん』(原作・鈴木光司)といった和製ホラー。海外のホラーも好きなんですけどね。和製ホラーに興味を持ったきっかけは、小学校3年生、4年生くらいのときにテレビで見た『仄暗い水の底から』(原作・鈴木光司)でした。どういった感情を抱いたかまでは覚えてないんですが惹かれるものがあって。そういった作品、本をきっかけに民俗学に興味を持って、民俗学で有名な岩手県遠野市に遊びに行ったり、“またぎ”にまつわる本を読んだり……。
――遠野市といえば柳田国男さんの『遠野物語』が有名ですね。
Waboku:ですです。もともと本を読むことが好きだったんですよね。民俗学は今も好きでアニメーションに意識して反映しているわけではないんですが、一部の要素としてあるように感じています。
――今でも民俗学がお好きだというのは分かります。独特の質感というか……。
Waboku:絵柄もそう感じさせるんですかね? 古めかしい本の紙の質も好きなんです。そういったルーツが、今にも通じているかもしれません。
――小学生のころからホラーに興味を持ったとのこと。当時他にはどんなことに興味を持たれていたのでしょう? 例えば音楽とか。
Waboku:音楽はあんまり(苦笑)。小学生の時はORANGE RANGEさんなど流行している音楽を聴いてましたが、「僕だけが聴いてる」といった音楽はなかったように思います。みんなが聴いている音楽を聴いているといった感じでした。
中学生に上がるころ、ニコニコ動画が流行していて――ちょうど初音ミクが出てきた時代だったんですね。僕自身もパソコンを使えるようになって、デジタルメディアに触れる機会が増えてました。それでニコニコ動画に入り浸って初音ミクの音楽を聴いていましたね。映像に触れることが少なかった時代から一気に幅が広がって観ていました。
――ニコニコ動画に初音ミク。新しいものがきた、という時代ですよね。
Waboku:本当にそんな感じでした。 “目新しさ”がいちばん惹かれた原因かも。当時は映像と言ったらテレビという印象があったと思うんです。そんな中でYouTubeであったり、ニコニコ動画にはテレビでは見られない映像が多くて。プロが作ったものとは違う、自分たちに近い人間が作った温度感と言いますか。その作品を下に見ているとかではないんですが「自分でもできるかも」という思わせる力があって、それが僕にはうれしかったんです。
――そのころは基本的には観ていることが多かったんです?
Waboku:そうですね。アニメーションに関しては見てるだけという状態が高校2年生くらいまで。イラストは幼少期からずっと描いてました。……と言ってもらくがきですけども(笑)。
僕はなによりもゲームが好きだったんですよ。いろいろなゲームをやってたんですが、中学2、3年生のときに、格闘ゲームのキャラクターを遊びで作って、それを動かして……っていうのが、初めてのアニメーションづくりでした。
――意外なところからアニメーションづくりが始まったんですね。
Waboku:確かにそうですね(笑)。当時よく“作ってみた”系の動画を観ていて「面白いな、僕もできるかもな」と思っていました。その影響もあったかもしれません。
――ゲームは主にどんなゲームをプレイされていたんでしょうか?
Waboku:枚挙にいとまがないと言ってもいいくらい。RPGでいえば、ファイナルファンタジーシリーズ、スターオーシャンシリーズと、いろいろなゲームに触れてきました。でも格闘ゲームは本当に見てるだけ(笑)。最近ゲームの観戦が増えてきてるのを見て「これは全人類共通の楽しみだったんだな……!」と思いましたね。
――(笑)。Wabokuさんの形成にあたってゲームは欠かせない要素なんですね。
Waboku:非常に大きいですね。アニメーションよりゲームの影響のほうが大きい人間だと思います。
――へえ!
Waboku:アニメーションって感動を生み出せるとは思うんですけど……ジブリ作品だったり、新海 誠監督の『君の名は。』だったり、一本観終わったときに大きな感動があるものだと思っていて。その分、感動に持っていくまでの時間が必要なんですよね。それに対してゲームは自分のペースで進められて、かつ、自分の中で落としどころを見つけて盛り上がっていける。もう一回やりたいという気持ちにもすぐになれるというか。
――それでいうとMVもゲーム側ですよね。Wabokuさんの特徴ともいえる退廃的な世界観はゲームの影響もあるのでしょうか。
Waboku:それも大変大きいと思います。そういう意味では、僕はソニーさんの影響を大きく受けてるんですよ。(ソニーミュージックのグループ会社である)アニプレックスやA-1 Picturesと仕事するなんて当時の自分が知ったら驚くんじゃないかなと(笑)。
――アニメーションに興味を持った「これ!」といったキッカケはあったんでしょうか?
Waboku:ベースとしてニコニコ動画の存在が大きくて。ニコニコ動画の中で個人でアニメーションを作る人を見てきたので「これからはこういう映像のスタイルもありなのかな。だったらアニメーションやってもいいかもな」っていうぼんやりとした希望がありました。そんな時……高校2年生の夏だったと思うんですけど、細田 守監督の『サマーウォーズ』を観たんですね。僕はそれまでアニメといったら、最初にお話した通り、『ドラえもん』、『クレヨンしんちゃん』……あとは『新世紀エヴァンゲリオン』くらいしか見てなかったんです。アニメーションって基本的には子ども向けというか、教育的側面があるものだと思っていて。決してそれだけじゃない、ティーンエイジャーに向けた青春作品もあるんだなと興味を持ちました。
また、その当時、湯浅政明監督の『四畳半神話大系』(2010年)という作品を観たことも大きかったです。森見登美彦さんの小説を原作としたもので、「こういう個性を活かしたアニメーションもあるんだな」と。ここでもアニメーションの多様性を感じさせられました。主人公を演じる浅沼晋太郎さんの狂言回しと言いますか。息をつかせぬナレーションの勢いが映像とマッチしていて。アニメーションではありつつも伝統芸能でもあるといった新しいものを感じたんです。
それで「アニメーションってやっぱり良いかも」と思って、その年の進路相談で「アニメーションやってみたいです」と急遽進路変更(笑)。かなりギリギリのタイミングでした。最初に民俗学者になりたかったって話をしましたが、フリーターもありかなと思ってたくらいだったんで。
――先生はなんと?
Waboku:担任の先生ではなく、進路担当の先生だったんですけど「これから動画の時代くるかもしれないし良いんじゃない?」って。すごく柔軟な先生だったんですよね。先生もそう言ってくれたことだし、まあいっかって感じで(笑)。それでアニメーションづくりを学べる学科を希望したんです。奨学金で進むつもりだったから、どこの学科に進んでも親にも負担はかけないしなと。
でも、アニメ業界が大変という話は耳にしていたから、そうなると奨学金を返すのに時間が掛かりそうだなという心配もあって。明確にそれを探していたわけではないんですが、アニメーション業界じゃない方向のアニメーション作家としてお金をもらっていけるような立場になれたらいいなと思っていました。
――その当時、モデルとなる方はいたんでしょうか。
Waboku:個人でお金を稼いでいる方はいるにはいたんですけど、数えられるくらいですね。僕は当時存じ上げてなかったのですが、新海 誠監督はずっと昔からひとりでアニメーションを作られていたそうで「ひとりでもできるんだな」と。
――アニメーション業界じゃない方向のアニメーション作家……“いるようでいなかった”革新的なアイデアに感じます。
Waboku:“賭け”でしたね。在学前・在学中はアニメーションMVの案件は全然存在してなくて。ニコニコ動画でご活躍されている方からお話がくることはあったんですけど、ひとりで生活できるようなお金は稼げるような状態ではなかったんですよね。米津玄師さんの活躍によって、アニメーションMVの市場が出来上がったと思っています。それ以前はレーベルの後ろ盾がないから予算の用意も難しくて、規模感的に小さくなることが多かったというか。
――では大学に入ってアニメーションを学ぶ中で、MVを作っていくことは視野に入れていたんですか?
Waboku:うーん、そうですねぇ……。考えていたといえば考えていたんですけど、仕事につながればと言いますか。目標としては、『みんなのうた』に流れるようなアニメーションを作れたらいいなと思っていたんですけど、僕の絵柄的に難しいかもしれないなと。