『セスタス』技来静也先生×『ベルセルク』三浦建太郎先生 同級生対談|ロングラン作品を描く二人、両作品の気になるラストのイメージとは
ロングラン作品の『セスタス』と『ベルセルク』。気になるラストのイメージは?
――『ベルセルク』は30年以上、『セスタス』も20年以上連載が続いていますが、連載を始めた時にはどのくらいまで構想を持たれていたんですか?
三浦:『セスタス』は終わるまでの流れやイメージはあるの?
技来:そこが問題なんだよね(笑)。ぶっちゃけ聞くけどさ、『ベルセルク』は構想の何%くらい消化してるの?
三浦:これから畳もうかなという予定ではあるけど(笑)。これからは広げずに畳もうとは思ってる。
技来:こっちは構想の半分にもまだ行ってないんだよ。どうしよう?
三浦:そうなると健康との戦いだな。
技来:命が尽きる前に終えられないことがわかってきちゃって。
三浦:まあ人生100年とかいうから、気を付けていけば。90歳でもバリバリに働いている人もいるんだから。
――連載を始めた時から今、思い描いているラストはありましたか?
技来:漠然とはありましたね。
三浦:ネロとルスカとセスタスが決着するのが本当だと思うけど、ぐるっと回っているもんな(笑)。
技来:非常にまずいけど。
一同: (爆笑)
三浦:途中がおもしろいから俺はいいと思うけどね。
『セスタス』は連載開始からブレず、インフレ化もせず。ローマが舞台でもリアリティーを追求
――連載開始から20年以上経っても、お2人が最初に思い描いていたものとは変わったことは?
技来:基本的には変わってないと思います。
三浦:一応そうですね。自分たちみたいな大河っぽい作品をやる場合、ブレたり、ちょこちょこ変わったら続けることができないと思います。最初に決めた型に従って。例えば『セスタス』で、今よく見られるインフレ現象を起こしていたら、今頃、セスタスはローマ軍で戦争をして、拳ひとつで敵を蹴散らしてしまっているかも。
でも絶対にそういう方向には行かない。不思議なことに格闘技経験がある人がマンガを描くと、ロマンの方向にどんどん行ってしまうんですよね。それはそれでおもしろいけど、技来君はリアリティーから絶対に逸脱しない。しかもローマや古代を舞台にしたらロマンの方向に行きたくなるはずなのに、超リアルなことをやるという。
現代でリアルなことをするのではなく、ロマンの場所でリアルをやるというのはすごく個性的でおもしろいと思います。たまにムチャクチャなことしたくならない?
技来:するね。インフレ問題だけは気を付けようと思って描いていることは確かで。実際にはありえないから。
三浦:初期のセスタスがローマにいた頃は奇人変人っぽいキャラクターがちょこっと出ていたじゃない? でも生き様対決になっていったよね。根本には『あしたのジョー』や『がんばれ元気』などの影響もあるの?
技来:実際にボクシングの試合を見たりして、そのリアリティーのおもしろさに興味があったのかもしれない。
三浦:沼にどんどんハマっていく感じ?
技来:うん。そう言われれば、マンガ的なけれん味には欠けているかもしれないね。
三浦:けれん味にも良し悪しがあって。若い頃はけれん味にひかれてしまいがちで。今のなろう系、異世界転生ものとか。でもそれがおもしろいと思うのは若い時だけなんだよね。読み手としても描き手としても。長く時代を超えていこうとしたら、技来君が選択したほうが勝ち目があるような気がする。
あと僕らがマンガを描き始めた時、エンタメとして一番メジャーだったのはハリウッド映画で。その後、おたく文化が生まれていくと中学生くらいの感性のエンタメがどんどん世の中を席巻していって。今は少年が主人公で、成長ものどころか無双ものになっていて。
その前から始めた僕らは人間をちゃんと描かなきゃいけないという価値感があって、それに従ってやり続けてきました。世界ではそちらが標準だと思うし、大人のエンタメが多いと思うし。今回のアニメ化で『セスタス』が海外の人たちも「こんなおもしろい作品があったのか!」と発見してもらえる気がします。