当初は自分がどう見られているのか不安だった――自身が語るこれまでの声優人生|声優・永塚拓馬さんアーティストデビュー記念インタビュー【前編】
『ヴィジュアルプリズン』ヴーヴ・エリザベス役、『アイドルマスター SideM』冬美旬役、『SK∞ エスケーエイト』MIYA役などでおなじみの声優・永塚拓馬さん。
ソロアーティストデビューとなるミニアルバム「dance with me」が、ユニバーサルミュージックと日本コロムビアの共同制作にて10月6日(水)にリリースされます。
記念すべきデビューミニアルバムということで、アニメイトタイムズではインタビューを実施! 前編と後編に分けて、永塚さんにたっぷりとお話を伺いました。
今回の前編では、“声優のお仕事”を中心にパーソナルな部分を直撃! 声優になったきっかけや初めての収録現場、人前で初めてステージに立ったときの思い出などを語っていただきました。
右も左もわからなかった最初の現場
——前編では、永塚さんのこれまでの活動に焦点を当ててお話をお伺いしたいと思います。まずは原点に戻りまして、声優になろうと思った経緯をお聞かせください。
永塚拓馬さん(以下、永塚):僕が声優になろうと思ったきっかけは、本当にふわっとしています。中学生のとき、特にやりたいことがなかったので、自分は何がしたいんだろう?と進路相談という壁にぶち当たりました。
オンラインゲームにすごくハマっていたので、それで生きていけるならずっとやりたいと思っていましたが、そういうわけにもいかなくて(笑)。そんなとき、文化祭で演劇をやる機会があって、端役だったんですけど自分の中でしっくりきたんです。
それがきっかけで何か表現しようと思い、高校の進路を決めました。それまで演劇に一切触れていなかったので親はすごく困惑しましたし、僕自身も演劇に対する情熱はまだなくて、何となくで決めて。
そして演劇が強い高校に入学し、演劇部として活動していくうちにどんどん自分の中で演技に対する熱が高まっていきました。もはや演劇がないと生きていけないくらいのところまできましたが、高校の進路相談で演劇で生きていくのは無理だよな……とまた悩んで。
それでも表現の世界で生きていきたい気持ちがあったので、最初は小説家になろうとしたんです。日本大学芸術学部の小説家コースに入学するために、日芸専門の塾に1年通いながら小説の書き方などを学びました。
でも、入試のときに受験票を忘れてしまって……。
——えっ!?
永塚:受験票がないから帰るしかないので帰宅したら親からものすごく怒られて、「就職しなさい!」と言われて言い返すこともできず、定時で帰れそうな公務員になるかと思って試験を受けたら合格して公務員になりました。
公務員は基本的に土日がお休みで平日も定時であがれるので、せっかく時間があるから大好きだった演劇をまたやりたいなと思い、市民ミュージカルに参加したり、近くに声優の養成所もあったので、通ってみたらまさかの事務所に受かりまして。
自分のやりたいことは「やっぱり表現すること」だと思い、公務員を辞めて声優になりました。
——なんかもう、どこから聞けばいいのかわからなくなるほど情報量が多いです……。
永塚:あはははは(笑)。今となっては、公務員も事務所に受かるのも運がすごくよかったんだなと(笑)。受かった当時は「時間があるから」という気持ちでしたが、今はもちろんすべて全力でやらせていただいています。
——ちなみに、声優として初めて現場に立ったときのことは覚えていますか?
永塚:覚えています! 確か『魔法科高校の劣等生』だったと思うんですけど、本当にそのときは右も左もわからない状況だったので音響監督さんにすごく怒られ、事務所にも呼び出され、「こんなんじゃダメだよ」と言われたことを覚えています。
養成所に入ってからすぐ事務所に受かったので、あの頃はすごく大変でした。
——その最初の経験が今でも生かされているのかもしれませんね。
永塚:そうですね。当時は実家で生活していて防音室もなかったので、カラオケにこもって「どうすればいいんだ!?」と頭を抱えながらレコーダーで自分の声を聞いて試行錯誤したり、ずっとのたうち回ったりしていました。
本当にいろいろな現場を経験し、いろいろな壁にぶつかっていくうちにようやく声優として確立できるようになりました。この作品があったからというよりも、全部の作品が今に繋がっていると思います。