伊東健人さんアーティストデビュー記念インタビュー|川谷絵音さんの「惜しい!」の声とともに突き詰めたこだわりの楽曲「真夜中のラブ」
遊び場はスタジオ。バンドに夢中だった学生時代
――改めて伊東さんの音楽遍歴について教えてください。
伊東:小学校時代は地元の少年野球チームに入っていて、土日に試合へ行く時に乗っていた車でずっとKinKi Kidsが流れてました。当時なので、KinKi Kidsの1stアルバム(「A album」)がかかってたり。あと、幼少期からディズニーランドへ行って、ディズニーの曲に触れたりしていました。
中高の学生時代にはギターなどを始めました。世代のバンドであるBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONから洋楽と移り変わって、聞く曲が枝分かれしていって。なんでも聞くようになったかな……
――ギターを始めたのはどんなきっかけでしたか?
伊東:友達に「買いに行こう!」と言われ、誘われるまま(笑)。
――ではご友人とのバンドはその流れで?
伊東:そうですね。一緒にギターを買いに行った友達と学園祭で結成したコピーバンドから始まりました。人前で歌ったのはそのときが初めてで。ボーカルを担当したかったわけではないのですが、いつの間にか歌うことになってて……。
大学では高校時代のメンバーとは違うバンドや軽音楽部に所属して、音楽に触れる機会が多かったですね。当時はボーカルをやりたい人が多くてボーカルではなかったのですが。
――ボーカルは人気のイメージですよね。
伊東:そのため空いているパートを担当していました(笑)。軽音楽部はコピーバンドとして身内で楽しむ感じで、オリジナル曲を作るなどのストイックなバンドではなかったですが、その時に色んな楽器を弾けるようになりました。
――ギター以外では何をされていました?
伊東:ベースやドラムを担当しました。その都度、空いているパートを担当して徐々に覚えていきましたね。
――とても器用ですね。
伊東:器用というか、高校時代からの遊びでしたから。学校終わりに行くカラオケの代わりがスタジオ。友達同士で行っても特にパートは決まってなく、ドラムが得意な子が来れないなら、その場にいるメンバーの中で誰かが担当して。
みんなが少しずつ色々な楽器ができるように自然となっていきました。友人内で共通の曲だったくるりの「東京」は、みんなが全パートできるみたいな。
――伊東さんがその時に初めて触れた楽器はありました?
伊東:ドラムは初めて叩きましたね。セットが個人で買えるものではないので。パーツ数が多くて他の楽器と比べ高価なうえ家では練習できないですし。
――初めての楽器は友達同士で教え合ったり?
伊東:見るか、聞いて覚えるか、教えるか……これを繰り返していると耳コピもできるようになるので。遊びの延長でできるようになっていきました。
――純粋に楽しいからこそ、習得できるのでしょうね。
伊東:そうですね。大学卒業するまでは邦楽、洋楽のバンド系が主体でした。
Queenやイーグルス、ミュージカル調のディズニー音楽などを聞いていたらコーラスの仕組みがわかってきて、ハモれるようにもなりました。
――ポテンシャルが高くないとできませんよ……!
伊東:それだけ好きだったんですよ。あと、スタジオは深夜が安いので2日連続で深夜にスタジオに籠ることもありました(笑)。当時、利用していたスタジオは、新宿、吉祥寺、渋谷の三角形の中……吉祥寺、高円寺、下北沢、代々木、新宿、渋谷によく行っていた気がします。
また、声優の仕事を始めてから、ダンスミュージックやラップ、K-POPに触れました。アニソンだけでも色々な曲があって、様々なジャンルをいつの間にか聞いていますね、メタルやロックまで。アニソンって面白い文化だなって思います。
アニソンは高校・大学まで全然触れていなくて。『ドラゴンボール』の影山ヒロノブさんなど、自然と耳に入ってはいましたが、アニソンだと思って聞いていなかったかもしれませんね。
――バンドやアニソンだけでなく、伊東さんは大学時代からクリエイターとしても活動されていますよね?
伊東:遊びの延長だったので、まさか仕事になるとは思っていませんでした。当時は、バンドをやって、作曲者が気になって雑誌を読んで作り方を知って、MTR(多重録音機)を買って録音もしていました。
大学時代までの音楽は本当に遊びです。作曲家の方は仕事としてハイペースで曲を作るのですごいと思いつつ、自分には無理だなと。1、2ヶ月に1曲作るなら楽しいですが、納期に追われながら1週間に何曲も作ったりは仕事としてできないと思っていました(笑)。