映画『その声のあなたへ』公開記念 柴田秀勝さん × 浪川大輔さん × 三間雅文さん鼎談|同世代・後輩・音響監督から見た内海賢二さんの姿とはーー“声優”という言葉がなかった時代の逸話や『ハガレン』『北斗の拳』に関わるエピソードも
『北斗の拳』のラオウ、『Dr.スランプ アラレちゃん』の則巻千兵衛、『鋼の錬金術師』のアレックス・ルイ・アームストロングなど、数多くの名作で強烈な演技力を魅せた声優・内海賢二さん。2013年6月に亡くなられ、各界に悲しみと衝撃を与えました。
業界を黎明期から引っ張ってきた内海さんの生き様と、偉業を追ったドキュメンタリー映画『その声のあなたへ』が2022年9月30日(金)に公開となります。
アニメイトタイムズでは、映画の公開を記念して、内海さんの同世代として共に黎明期を引っ張ってきた声優・柴田勝秀さん、後輩役者として背中を見てきた・浪川大輔さん、音響監督という立場で一緒に過ごしてきた三間雅文さんの鼎談を実施しました。
三者三様から見た内海さんの姿はもちろんのこと、まだ“声優”という言葉が浸透していなかった時代のお話や声優のあり方など、貴重なお話が盛りだくさんです。声優を目指している方、アニメや声優がお好きな方、ぜひ最後までご覧ください。
ボストンバッグ1個を持って上京した内海さんとの出会い
ーー早速ですが、同世代、後輩声優、音響監督というそれぞれの立場から、内海賢二さんの生き様や印象に残っている思い出などをお話いただければと思います。
柴田秀勝さん(以下、柴田):正直、ケン坊(内海さん)については、役者志望でボストンバッグひとつだけ持って東京に出てきたことしか知らないんです。
当時、テレビ映画の『熱血カクタス』の制作が始まり、制作進行をやっている方が九州の人で、「役者志望で声の良い人が1人九州にいるんだけど東京に呼んでもいい?」と相談されたんです。(※1)
残念ながら、いろいろあってケン坊を出させてあげることができなかったんですけど、ちょうどその頃に外国映画の吹き替えが始まって、TVアニメは『狼少年ケン』が始まったばかり。
ケン坊は役者志望で上京したけど、そう簡単にはいかないから、キャバレーの照明をやってもらっていたんです。
(※1:当時、内海さんは九州朝日放送のKBCラジオ専属声優。)
浪川大輔さん(以下、浪川):そんな経緯があったんですね!
柴田:それで東京に出てきてボストンバッグを1個しか持ってなかったから、住むところもなければ何にもない。しょうがないからと、うちの店(柴田さんが運営している会員制バー「突風」)の3階に住まわせて、家賃の代わりにお店を手伝ってもらっていました。そして、僕が入っている劇団に来いと言って、未来劇場にケン坊を入れたんです。
三間雅文さん(以下、三間):それは知らなかった……!
柴田:一緒に芝居をしていく中、外国映画の吹き替えで役者がいない! というわけで「声が良いからやってこい!」とケン坊に言ったら、それがきっかけで売れっ子になって。「声を専門にしていけ」「じゃあ柴田さんは?」「あれはできない!」とやり取りしたことも覚えています。
ほら、僕は吃音症だから自分のセリフもうまく言えないのに、人の声をあてるなんてとてもできることじゃないと。あと、僕の師匠が三國連太郎さんだったんですけど……。
浪川:いや、ちょっと待ってください。出てくる名前がすごいです(笑)。
三間:(笑)。
柴田:三國連太郎さんから「あれは役者がやるもんじゃない」と言われていたので、当時は声の仕事を諦めていたんですよね。
ケン坊だけ声の仕事をやっていて、デビュー作の『狼少年ケン』をきっかけに、声が良いもんだから東映番組を全部やるようになって。だから、ケン坊は東映アニメーションにほとんど出ています。
それで売れっ子になって外国映画で主役の吹き替えをするようになって……。「柴田さんもやりませんか?」「いや、いい」と言っていましたけど、そんなに言うなら僕も試してやってみようかなと思って出たのが『タイガーマスク』だったんです。
浪川:ミスターXですね!
柴田:そうそう。ケン坊と一緒に仕事をしたのは三間ちゃんが担当した作品ぐらいで、あとは一緒にやったことがないんです。
浪川:そうなんですね!
柴田:そんなこんなで声優業界としては、自分の生き様がドキュメンタリー映画で描かれるのは本当にすごいことですし、初めてで最後じゃないの!? と思います。僕にも名だたる大先輩たちがたくさんいますが、映画になる話は聞いたことがありません。
ーーそれだけ業界に影響を与えていた方というのがわかりますよね。
柴田:ケン坊との思い出話は話したらキリがないですが、ケン坊に兄弟はいるのか、九州のどこで生まれたのか、いくつなのかもわかっていないんです。
浪川:それなのに、自分のお店に住まわせたというのがすごい(笑)。
柴田:だって、ボストンバッグ1つだけしか持っていなかったから。
三間:あはははは。
浪川:でも、秀勝さんがいなければ、内海さんは声の世界にはいなかったということですよね。
柴田:そういうことになるよね。まだ、青二プロダクションができる前のことだから。
浪川:秀勝さんは青二プロダクションの創設メンバーですよね。
柴田:そうそう。そもそも、外国映画の吹き替えをしていた大平透さんとか、久松保夫さんが演劇部の部長になって太平洋テレビができて、専門に外国映画の吹き替えをやっていたんです。
僕は演劇部のほうに入っていたんですけど、そこであまりにも役者のギャラが安いと労働争議になり、退社した人たちで集まって「東京俳優生活協同組合」ができました。
三間:それが俳協か!
浪川:え……? ということは、俳協も創ったんですか?
柴田:そうそう。俳優の生活協同組合ができたのは、日本では初めてのことでした。
浪川:すごい……! 僕、一時期俳協にいたことがあったんですけど、今ある事務所の母親は俳協だと聞きました。
柴田:ちなみに、協同組合だから、当時は四ツ谷に事務所を構えていましたけど、そこには俳優さんが必要なものを安く買える売店もありました。俳協には声を専門にやる人、映像をやる人、舞台をやる人と全部分かれていましたからね。