
TVアニメ『異世界おじさん』セガ・奥成洋輔さんインタビュー|“異世界に行かなかったおじさん” が語る、セガとの出会いと『異世界おじさん』の魅力
殆ど死んでいる先生の漫画を原作とし、2022年10月よりTVアニメ(リ)スタート中の『異世界おじさん』(いせおじ)。
17年間の昏睡状態から目覚めた「おじさん」が、その間いたという異世界「グランバハマル」での日々を、甥のたかふみに語る新感覚異世界コメディ作品です。
作品を語るうえで切っても切り離せないのが、おじさんの並々ならぬ「SEGA愛」。人生の全てをSEGAのゲームから教わってきたと言わんばかりに、おじさんはあらゆることをゲームに紐づけて語るのです。
作品には、ゲームファンの間では比較的有名なネタから、かなりニッチなネタまで幅広く盛り込まれており、初見で全てのネタを理解できる人はかなり少ないと思われます。
そこで今回アニメイトタイムズは、SEGAの社員であり、本作の監修にも関わっている奥成洋輔さんにインタビューを実施! 奥成さんのSEGAとの出会いやゲーム開発の歴史を『異世界おじさん』ネタも交えつつ、たっぷりと語っていただきました。
熱狂的なSEGAファンであり、いわば“異世界に行かなかったおじさん”ともいえる奥成さんは『異世界おじさん』をどう見ているのでしょうか?
※1~46の注釈も併せてご覧ください。
奥成さんがセガハードと出会ったきっかけは?
――まずは奥成さんがどういった経緯でセガに入社したかなどの自己紹介をお願いします。
奥成洋輔さん(以下、奥成):大学卒業後、そのまま現役入社しました。1994年の春のことです。
最初に配属されたのは「セガサターン」(以下、サターン)(※1)を開発するための部門である「第一コンシューマソフト研究開発部」でした。この年の11月にサターンが発売になるので、僕が入社したときは冬の発売に向けて、たくさんのソフトをみんなで作っていましたね。
プランナーとして入社したのですが、大学生のころに「MSX・FAN」(※2)というパソコン・ゲーム雑誌のアルバイトをしていたこともあって途中から宣伝の手伝いをするようになり、サターンが終わるまで担当してました。サターンのほぼ半分くらいのタイトルの宣伝に関わっていました。
「ドリームキャスト」(※3)の時代になると、プロデュース業務もするようになりました。『エターナルアルカディア』(※4)のアシスタントプロデューサーを担当したのが最初です。
『エターナルアルカディア』を作っている部署は『サクラ大戦』と同じだったので、『サクラ大戦V EPISODE 0』(※5)というアクションゲームが出るときに、単独のプロデューサーとして活動するようになり、『SEGA AGES 2500』シリーズ(※6)のプロデューサーを途中から引き継いでからは復刻系の仕事をずっとやっています。
「プレイステーション2」から「ニンテンドー3DS」までの当時の現行機種に、昔のセガのゲームを次々と移植していくという仕事を10年くらい続けた後は、オンラインゲーム開発やアジア向けの日本のゲームのローカライズなどの業務も担当していました。その間も仕事の片手間に、やっぱり復刻系の仕事も手伝ったりしていたんです。
そんな中で、3年前久々に全面的に開発へ参加した「メガドライブミニ」(※7)がスマッシュヒットしました。それで会社から「奥成は今後もセガのクラシックハードの復刻を、プロデュースする業務を担当してほしい」と、辞令が出て、今は「メガドライブミニ2」を製作しています。
※1:セガサターン
メガドライブに続く、新ハードとして1994年発売。セガとして、6代目にあたる新ハードで、太陽系の第六惑星である「土星」になぞられて、「サターン」と命名。『美少女戦士セーラームーン』の土萠 ほたる/セーラーサターンとは、「土星」つながりでは一緒です。
※2:MSX・FAN
MSXとは、マイクロソフトとアスキー(現在はKADOKAWAブランドの「アスキー・メディアワークス」)が、立ち上げたパソコンの共有規格。1983年に登場。同時代、マイコンブームによりパソコン雑誌が、ファミコンブームによりゲーム雑誌が多数創刊され、その1つとして登場したのが、MSX専門誌の『MSX・FAN』。当時はアスキーによる『MSXマガジン(Mマガ)』と徳間書店による『MSX・FAN(Mファン)』という、MSX専門誌が2誌存在。MSXの雑誌に関しては、アスキーが先行し、ファミコンの雑誌は『ファミリーコンピュータマガジン』として、徳間書店が先行していた。
※3:ドリームキャスト
1998年発売。インターネット通信用モデム(アナログ電話回線をデジタル信号に変える変換装置)を標準搭載し、本格的なオンラインコミュニケーションを可能にした、業界初の家庭用ゲーム機。ネットワーク機能を生かしたオンラインゲームも多数登場した。2001年1月に製造中止とセガの家庭用ハード事業撤退が決定したため、現状でのセガ最後の家庭用ゲーム機となる。
※4:エターナルアルカディア
2000年発売。空飛ぶ帆船を駆る“空賊”の主人公・ヴァイスの冒険を描いたロールプレイングゲーム。ファミ通で、付録の体験版(ディスク二枚組)が付き、気に入ったら、オンラインで購入できるという大型企画も当時話題に。後にゲームキューブ版も登場。
※5:サクラ大戦V EPISODE 0
2004年発売。プレイステーション 2用ソフト。正式タイトルは『サクラ大戦V EPISODE 0 ~荒野のサムライ娘~』。『サクラ大戦V ~さらば愛しき人よ~』の前日譚的作品で、同作のメインヒロイン“ジェミニ・サンライズ”が主人公。
※6:SEGA AGES 2500
セガの過去の名作を、プレイステーション 2用にリメイクや移植して販売したシリーズ。全33作を発売。その後、ニンテンドー3DSでは『セガ3D復刻プロジェクト』へと続き、Switchでは『SEGA AGES』として継続している。
※7:メガドライブミニ
2019年発売。1988年発売の家庭用テレビゲーム機「メガドライブ」を手のひらサイズに縮小したうえで、誰もが知る傑作から、幻の名作、サードパーティタイトルなど42タイトルを収録したゲームハード。
――奥成さんに話を聞いていると「SEGA愛」、クラシックゲームへの想いが強いなと感じます。ゲームを始めたきっかけはどんなことでしたか?
奥成:僕は1971年生まれ(※8)で、僕らの世代は1978年の「インベーダーブーム」の最中に幼少期があったことが大きいと思います。ただ、『スペースインベーダー』(※9)を100円積んで遊ぶまではいけない年齢、まだお小遣いから100円出すのが勇気のいる年齢だったので、誕生日プレゼントなどで小型の電子ゲームを買い集めて遊んだり、駄菓子屋の軒先にあるアップライト筐体で、50円でゲームを遊ぶ、というのがゲーム体験のスタートだと思います。
「インベーダーブーム」が来たほか、コロコロコミックに『ゲームセンターあらし』(※10)が掲載されて。プラモデルやガンプラ、ラジコン、超合金などいろいろなおもちゃがある中で、一番新しいおもちゃがテレビゲームだった、という時代でしたね。
テレビゲームとして最初に手に入れたのは、任天堂の『ブロック崩し』(※11)ですね。けっこう高価な代物ですが、たまたま親戚の人に買ってもらえました。
僕の世代はみんなその洗礼を受けていて、任天堂の「ゲーム&ウオッチ」(※12)など、なにかしらの形で触れてきたと思います。
いわゆるカセット式のゲーム機として僕が最初に買ったのはバンダイの「アルカディア」(※13)です。駄菓子屋のゲームセンターで見た『ジャンプバグ』(※14)というゲームがあって、それが移植されているゲーム機が「アルカディア」だけだったんですよ。
当時、「ファミリーコンピュータ」(以下、ファミコン)(※15)やセガの「SG-1000」(※16)などいろいろ出ている中で、僕はあえて「アルカディア」を選ぶという人間だったんです。
当時は気付かなかったのですが、実は『ジャンプバグ』はアーケードではセガが出していたゲームなので、セガハードは選ばなかったけれど、結果としてセガのゲームは選んでいたんですね。無意識でしたが、セガ好きのスタートはここからです(笑)。
「アルカディア」をしばらく愛好していたんですが、1年くらいで最初のテレビゲーム戦争の勝敗が決してしまい、「アルカディア」のソフトが出なくなりました(笑)。
世の中には「ファミコンが9割、あとちょっとがSEGA」みたいな時代がやってきます。そこで僕もファミコンを買いました。
まだカセットが3,800円の、紙の箱にプラのトレーが入っていない、四角ボタンのファミコンの時代に、『ポパイ』(※17)と、『ベースボール』(※18)、『マリオブラザーズ』(※19)という3種類のゲームと一緒に買いました。
そこからずっとファミコンを愛好し、ファミコン版の『ゼビウス』(※20)に夢中でした。そんな、『ゼビウス』のことが載っている雑誌がある、と本屋で見つけたのがソフトバンクの「Beep」(※21)でした。「セガサターンマガジン」(※22)の前の雑誌ですね。
それからはファミコンの情報を入手するために「Beep」を購読していきましたね。ただ、「Beep」はファミコン誌ではなく総合誌という形で、パソコンや他のゲーム機の情報なども載せていて。そんな中、セガが「セガ・マークⅢ」(以下、マークⅢ)(※23)というゲーム機を出したときに、「Beep」がなぜかマークⅢを推し出したんです。
おそらくその当時ファミコン誌がいろいろ出てきたので、総合誌らしい特色を出すためにあえてマイナーな、セガハードの新型機を推していたんだと思います。
「Beep」の勧められるままに「これは面白そうだ!」と、さっそくマークⅢを買いました。これが、僕が初めてセガハードを買った瞬間でしたね。
――ゲームファンから、セガファンになった瞬間ですね。
奥成:そうですね(笑)。あのときの「Beep」との出会い、そしてマークⅢとの出会いがあって、今の僕の仕事がある。そう考えると、結果的に良かったです(笑)。
※8:1971年生まれ
1971年生まれの奥成さんは、ちょうど「団塊ジュニア」の世代。団塊ジュニアとは、戦後のベビーブームの「団塊の世代」が親世代になり巻き起こった第二次ベビーブームの時に生まれた人のこと。そのため、非常に人口が多い。
アニメ産業やテレビゲーム産業などは、この世代の成長とともに、大きく伸びていく。ちなみに、おじさんは1983年生まれなので、世代としては10年ほどのずれがある。
※9:スペースインベーダー
タイトーが手がけ、1978年より稼働したアーケードゲーム。それまでのシューティングゲームと違い、敵から攻撃が飛んでくる(双方向からの攻撃)という当時としては斬新なゲーム性が人々を魅了し、日本のみならず世界規模のブームを巻き起こした。
※10:ゲームセンターあらし
すがやみつる先生による漫画作品。読み切りを経て、1979年から1983年にかけて月刊コロコロコミックにて連載された。テレビゲームが得意な少年・石野あらしが、ライバルたちとさまざまなゲーム対決を繰り広げる。現実的なテクニックから、「炎のコマ」「水魚のポーズ」「月面宙返り」など奇想天外な必殺技まで登場する。1982年4月にはテレビアニメも放送。
※11:ブロック崩し
1979年に任天堂が発売した家庭用ゲーム。アーケードゲーム『BREAKOUT』に影響を受けたソフトで、任天堂以外にもさまざまなメーカーが『BREAKOUT』的なゲーム機を開発している。
※12:ゲーム&ウオッチ
1980年に発売された任天堂初の携帯ゲーム機シリーズ。表記は「ウォッチ」ではなく「ウオッチ」。名前の通りゲームをしない間は時計として使うことができる。
※13:アルカディア
バンダイから1983年に発売された家庭用ゲーム機。
※14:ジャンプバグ
1981年より稼働したアーケードゲーム。正式タイトルは『ジャンプバグ ~ワーゲンの不思議な冒険への旅~』。プレイヤーキャラクター(バグ)を操作し、ジャンプとショットを駆使してハイスコアを目指すアクションシューティングゲーム。
※15:ファミリーコンピュータ
任天堂を代表するゲームハードで、通称、ファミコン。1983年発売。『スーパーマリオブラザーズ』をはじめ、数えきれないほどの名作が誕生した。コントローラーのA・Bボタンはプラスチック製の丸い形が主流だが、発売直後の初期製造分はゴム製の「四角いボタン」が採用されていた。
※16:SG-1000
1983年発売。セガの家庭用ゲーム機第1号。CPUは8ビットで、当時のパソコンMSXと同程度の代物。「SG」は「SEGA GAME」の略。
※17:ポパイ
1982年に稼働したアーケードゲーム。ファミコン版は1983年に発売。アメリカの漫画およびカートゥーンアニメを題材としている。ポパイは、ホウレンソウを食べるとパワーアップという、ゲーム性は『パックマン』にも近い。
※18:ベースボール
1983年発売。その名の通り野球のゲームで、投手は変化球や牽制球が投げられ、走者は進塁ができるなど、少ないボタン数ながらしっかりと野球を楽しめる。当時は、選手に個性がなく、各選手の能力は均一。
※19:マリオブラザーズ
1983年発売のアクションゲーム。
※20:ゼビウス
1983年にナムコから発売されたシューティングゲーム。地上と空中の武器を使い分け、ゼビウス軍と戦う。緻密な世界観設定の中に、隠しキャラクターなどの新しいゲーム性も盛り込まれ、プレイヤーの間で口コミが広がり大ヒットとなる。ファミコン版は1984年に発売された。
※21:Beep
日本ソフトバンク(現・SBクリエイティブ)が1984年に創刊したコンピュータゲーム情報誌。特定のハードウェアに偏らない、ゲーム総合誌の先駆け的存在。今に至る、セガの熱狂的ファンを作った源泉とも言える雑誌。この後、Beepは、メガドライブの登場を機に、「BEEP!メガドライブ」へリニューアル。
※22:セガサターンマガジン
1994年のセガサターン発売に合わせ、「BEEP!メガドライブ」をリニューアルし創刊された雑誌。第2話で「第2話 1位「ガーディアンヒーローズ」だろぉおおお!」と、叫ぶキッカケとなった「セガサターンソフト読者レース」を掲載していた。また、おじさんがオークションで手に入れたのが、この内容をまとめた書籍『サターンのゲームは世界いちぃぃぃ!―サタマガ読者レース全記録』。
※23:セガ・マークⅢ
1985年発売。従来のハード(SG-1000、SG-1000Ⅱ)との互換性を持ちつつ、画面描画性能を大幅に強化。色数も増え、ファミコンを超える表現力となっている。大容量シリーズの「ゴールドカードリッジ」の登場や、セガの体感ゲームの移植など、多くのセガファンを誕生させた。