この記事をかいた人
- 石橋悠
- 1989年福岡県生まれ。アニメとゲームと某王国とHip Hopと自炊を愛するアニメイトタイムズの中堅編集者。
ーー最後に1つだけ、萩原さんにとってアニメ店長とはどんな存在ですか?
萩原:それこそまさに、私の “ヒーロー”なんですよ。兄沢にリアルに救われたことがありまして。
ーー何があったんですか?
萩原:ある時期、仕事で非常に悩んでいた時期があり、それこそ会社を辞めてしまおうかな、とそれぐらい追い詰められた状態になっていました。それがちょうど、関さんにアニメ店長の新曲の歌詞の依頼をしていたタイミングで、関さんとのお打ち合わせの時にそんな話をしてしまいまして。
そしてあがってきた歌詞が、今も池袋本店の閉店の時間に掛かっている「傷だらけの笑顔」でした。どん底にいる人に向けて、アニメ・特撮の例を出しながら励ますような、じつに兄沢らしい応援歌だったんです。そして関さんは、「これは萩原さんに向けての歌詞だ」と。
いやあ、泣きましたね。仕事中なのに。その言葉でリアルに救われました。もう一度、頑張ろう、という気になれたんです。
それは関さんの言葉なんですが、私には兄沢が言ってくれた言葉のようにも感じまして。兄沢命斗が私のヒーローになったんです。
ーー架空のキャラクターが、リアルな萩原さんを励ましてくれたんですね。
萩原:まさにそんな感じです。こんな形で、自分が育ててきたキャラクターに救われるとは、思ってもみなかったです。
最初の10年ぐらいは、兄沢たちは自分の分身のような感じでした。自身のいろんなものを切り売りして、兄沢に投影するような形でプロデュースしていましたので。
そんな分身が、自分を励ますなんてことはありえないと思うのですが、それが関さんの言葉の力も借りて、リアルに私を救ってくれたんです。
その時、自分の手から離れても独り立ちできるキャラなんだと改めて思いました。
今は漫画やCDなどのコンテンツとしての展開はお休みしていますが、まさにアニメイトの顔として、宣伝キャラクターとしての役割を担ってもらっています。
今後も、「アニメ店長」を必要としているスタッフに託し、アニメイトの財産として有意義に使って欲しいと思っています。
私と同じように、兄沢たちがアニメイトのスタッフ、そしてご来店いただくお客様を救ってくれるヒーローになってくれたら、これに勝る喜びはありませんね。
ーーいい話で終わりますね。
萩原:アニメ店長のCDは、だいたいそういうかんじで終わりますからね(笑)。
[インタビュー/石橋悠]
1989年(平成元年)生まれ、福岡県出身。アニメとゲームと某王国とHip Hopと自炊を愛するアニメイトタイムズの中堅編集者兼ナイスガイ。アニメイトタイムズで連載中の『BL塾』の書籍版をライターの阿部裕華さんと執筆など、ジャンルを問わずに活躍中。座右の銘は「明日死ぬか、100年後に死ぬか」。好きな言葉は「俺の意見より嫁の機嫌」。