TVアニメ『TRIGUN STAMPEDE』武藤健司監督×和氣澄賢プロデューサー超ロングインタビューで“スタンピード”を振り返る|「普通はそこまで作り込まないよね」というところまで手が込んでいるのが『TRIGUN STAMPEDE』という作品なんです――
心の底にあったのは内藤先生へのリスペクト
――本作では、間というのも大切にされているように感じていました。そこは意識されていたのでしょうか。
武藤:感じて頂いた間というのは、画だけでは表現できない音響の力なんですよ。音楽とか効果音やミキサーさんが作ってくれるテンポが、画で伝えたかった間を強調してくれているんです。音楽も効果音もない、音がない時間も音楽の一部なんだなということは、この作品で広がった見聞のひとつでした。“間は音楽”……いい言葉ですね(笑)。
――制作陣のこだわりがファンの方にも伝わっていって。ファンの方の反応の変化をどう受け止めていらっしゃいますか?
武藤:僕ね、エゴサはしないんだよね。一応Twitterは見るんですけど最新ってなってる部分だけは何回かスクロールしていって、いいねって思うことがあれば押すこともある、ってくらいで。エゴサはまったくのゼロなんですよ。だから反応が話数を重ねる度に良くなっているというのも、人伝に聞いて知ったという感じで……。
和氣:当然ですけど、批判的なコメントを見かけてしまったときはショックでしたね(苦笑)。でもまだ観ていない方からしたら当然の反応だろうなと思っていました。後半になってこちらの意図が伝わりだしてからは、苦労して作った甲斐があったと思えて嬉しかったです。ポジティブな意見が増えていくことを純粋に楽しんでいました。
――「これは愛しかない作品」といったコメントも多く見受けられました。
武藤:そういうコメントが多かったのは、『トライガン』という作品そのものに対してよりも、内藤(泰弘)先生への作家としてのリスペクトを大切にした結果なのかなと思ってます。だから『トライガン』愛というよりも、内藤先生愛というか。
和氣:そうですね。
武藤:内藤先生と直接会って、話して、食事もして。そうやって人となりに触れてみて、「やっぱり内藤先生は凄いな……」と心底思えたんです。作家としての根底を理解したいという気持ちからスタートしているので、「もし内藤先生が、『トライガン』を新しく描くんだったらどういう考え方をするかな」ということを常に考えるようにしながら作っていたんです。
――『TRIGUN STAMPEDE』の人間ドラマの裏には、『トライガン』を作る人達の人間ドラマもあったんですね。
和氣:そうですね。だからこんな無茶を5年間もしてしまいました。
天野弓彦氏の絵は「魂が込められている」
――ところで、おふたりはキャラクターデザインを手がけられたチームのひとり・天野弓彦さんによるFMラジオ"天野弓彦のCARPE DIEM "にも出演されていました。
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— 『TRIGUN STAMPEDE』アニメ公式/トライガン・スタンピード (@trigun_anime) March 22, 2023
FMラジオ"天野弓彦のCARPE DIEM "📻📡
『#TRIGUN STAMPEDE』放送このあと!!
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■第1回放送
3月22日(水)14:00~
■出演
天野弓彦(キャラクターデザイン)
武藤健司(監督)
和氣澄賢(プロデューサー)
運転、ご休憩のお供に...!!🚬
↓でどこからでもお聴き頂けます📶📱https://t.co/UCTJFybEGY pic.twitter.com/IVL7aV5xYG
https://www.jcbasimul.com/fmkaratsu
武藤:(インタビュアーに向かって)天野さんからうかがったのですが、天野さんのご友人なんですよね?
――そうなんです、私事ですが仲良くさせてもらっていて。それで個人的に天野さんにお話を聞いたのですが、武藤監督、和氣さんとは5年ほど前からお付き合いがあったとうかがいました。
和氣:そうです。『TRIGUN STAMPEDE』とはまた別の企画の、別の作品でご一緒させていただいていて、その時に初めてお会いしました。それが丁度5年前くらい前だったかな。
武藤:彼の絵ってさ、めちゃくちゃいいんだよね。
和氣:そうですね。
武藤:アトリエにもお邪魔させてもらったんです。すごく……なんて言うんですかね、魂みたいなものがグッと詰まってる感じがする。彼って作家さんのような繊細さが感じられて。僕自身、繊細にものづくりをされる作家さんにシンパシーを感じるんですよね。彼にはすごくシンパシーを感じるというか。僕はリスペクトしたいなと思えるタイプです。
――ここまでお話を伺ってきて、武藤さんはいい意味で人間臭い方がお好きなんだろうなと。器用に立ち回る人よりも「いい作品を届けたい」と真摯に向き合われている硬派な方というか。
武藤:大好きですね。カッコいい。逆に、そうじゃないタイプの人には容赦なくなっちゃうんですよ……(笑)。
一同:(笑)。
武藤:ナイヴズには、特にそういう僕の感性がちょっと反映されています。
和氣:ちょっと、ですかね?(笑)
武藤:結構(笑)。反省しています。
――天野さんの話にもつながるんですが、今回のアニメではキャラクターデザインに参加している人数がかなり多いですよね。
和氣:キャラクターデザインもそうなんですけど、今回は全体においてチーム戦で作品を作っていきたいという考えをしていまして。
アニメの場合だと「キャラクターデザインはこの人」、「脚本はこの人」といった具合で各セクションで担当を決めて作っていく、ということをしがちなんですけど、『TRIGUN STAMPEDE』ではそれすらも、チームにして出来ないかなと挑戦してみることにしたんです。脚本構成でいえば3人+監督でストーリーを考えてもらい。キャラクターデザインに関しても、メインキャラクターを渡邊(巧大)さん、世界観を作るようなキャラクターや町のモブなどを天野さんにやって担当してもらう、という感じで。
キャラクターデザインひとつとっても、得手不得手ってあるじゃないですか。癖みたいなものも出てくるし。そういうある種の個性を活かせるように、いろんな方にデザインを描いてもらいたいなと。
各セクションをチームで動かしていくのって、それこそ海外では当たり前のことなんですよね。僕自身も現場は知らないのですが、映画のクレジットを確認してみたり、アートブックを読んだりしてみると、キャラクターだけでも原案があって、コンセプトアートがあって……当然のように数人が参加していて、それぞれ全然違うものを描いてるんですよ。それをまとめ上げて、ひとつの作品に昇華させるということを、真似したかったわけじゃないですけど、それをアニメでやってみたいなと。
結果的には、こういう作り方にもいいところだけじゃなくて悪いところもあるし、数人を納得させてひとつにまとめるのって、すごく大変なことだったんですけどね(笑)。
一同:(笑)。
武藤:正直、おすすめはしないですね。僕たちの場合、キャラクターデザインを作るにしても、すべての土台になる原案を田島光二さんに作ってもらっていたので、その上でデザインをお願いする形をとったんですけど、それでも大変だった……。
こうして欲しいっていう指示を出すんだけど、まあみんな言うことをきかない(笑)。
一同:(笑)。
武藤:「砂漠の衣装」となれば、使えそうなズタボロな質感の資料とかを集めて、色彩設計から、色味から、エフェクトから、材質イメージもひとつひとつの素材参考を用意して、それをまた画面の中で世界観として成立させていくという作業になる。まとめるのって本当に簡単じゃない。
和氣:いろいろ大変だったという記憶が多いのも、やっぱり最終的な終わりが見えていない状態で作り続けてたっていうのも大きいと思うんですよね。
それはストーリーの話ではなく、最終画面としての完成が見えてる人がいなかった。通常、アニメの作画の場合、色彩設計とかは最初にがっちり決めてから動き出すんで終わりの画がある程度は見えてるんですよ。仮に思った画と違ったとしても、後からある程度は調整がきくんですよね。
CGの場合、後になって「やっぱり違ったね」となってしまう要素が多いんです。そうなると、修正をしようにも撮影の段階でどうにかするしかなくて。それが出来るだけの撮影スキルが、僕たちだけでは怪しかったんです。だから、画面設計の斉藤(寛)さんには本当に救われたなと。
武藤:斉藤さんの存在は大きかった。
和氣:作画のアニメでやっているレベルで画面の色を作ってくれたので、終わりが見えない中でも進み続けられたんですよ。
――アニメーターさんたちのご苦労や愛も推して知るべしというか。プロフェッショナルな方たちが揃ったからこそできたことですね。
武藤:苦労した甲斐もあって、ひとつの座組としてはいいものになったんじゃないかなとは思ってます。やっている間は、「言うことを聞いてくれよ……」なんて思ってたんですけどね。いざ終わって振り返ってみると、この人じゃないと成立してなかったなってことも多くて良かったなと。
――天野さんからは、砂漠にいたときのキャラクターの肌の質感から衣装まで、武藤さんがリアリティにこだわっていた……といったお話をうかがいました。
武藤:リアリティに関しては、すごく気にしていました。
それってデザインの話だけじゃなくて。例えば、メリルとか。僕の感覚からすると、食料もままならなくて、ならず者がいるような治安の悪い場所って、ブラジルのファヴェーラみたいな場所じゃないですか。
そんな場所に女の子が出てきてわちゃわちゃしてたら、そんなのね……あまり良い未来は見えないじゃないですか。そのままだとメリルが殺されてしまう絵コンテを描いてしまいそうだったので、新人ということにして、ロベルトというベテラン記者とのコンビということにしよう、という流れで設定が出来上がっていきました。
「内藤先生の世界を壊さずにどうやったら世界観のリアリティラインを守れるか」というのは、オキシさんやコンセプトアートを担当する田島(光二)さんとも話し合いを重ねた部分でしたね。
――例えばウルフウッドが葬儀屋になったのも、そのリアリティラインを守った結果だったんですか?
武藤:それもありますが、彼に関してはもう少し複雑です。原作では牧師ではありますが、彼自身は特にそういう意識は持ってないと思うんですよね。自分から「ミカエルの眼」に入ったわけじゃないし、あくまで孤児院のために、不本意ながら任務を遂行していた、という感じでしたから。
そう考えた時に、彼がパニッシャーとしての任務というのは処罰して、葬ることじゃないですか。こんなことやらされて、「どこが牧師なんだ……」と思ってるはずなんです。だから、そんな自分の境遇を皮肉る意味で、葬る=葬儀屋と名乗らせたら、しっくりくるなと。
「ミカエルの眼」側からは相変わらず牧師ってことになっているはずなので、10話の契約書をよく見てみると、実はこっそり牧師と明記されていたりします。原作では、ここからさらにいろいろあって「ミカエルの眼」から襲われることになるんですけど……アニメを見てから原作を読み返してもらえると、そこに至る文脈としてちゃんとつながっていると感じてもらえるんじゃないかなと思っています。
――アニメと原作で相互に解像度が上がっていく感じがしますね。
武藤:繰り返しですけど、僕は作家としての内藤さんをリスペクトしているので、原作にちゃんとつながるということを意識したかったんです。
エレンディラを原作よりも弱く描いたのも、そういう理由です。原作だとエレンディラって最強なんですよ。でもいきなり最初から最強で描くより、最弱から描いたほうが、原作を読み直したときに「こいつも成長したんだな」というドラマを感じてもらえるんじゃないかなと思って。そういう意図でやってみたことだったんです。