春アニメ『僕の心のヤバイやつ』連載インタビュー第3回:音響監督・小沼則義さん|「今 市川のような青春を過ごしている人に対して“ちゃんと救われる時期が来るんだよ”と作品を通して伝えたい」
尊死”続出で大反響! 今一番応援したくなる、青春初恋ラブコメがついに幕開け――『僕の心のヤバイやつ』がテレビ朝日系全国24局ネット“NUMAnimation”枠・BS朝日・CSテレ朝チャンネル1にて放送スタートとなりました。
桜井のりお先生が『マンガクロス』(秋田書店)で連載中の『僕の心のヤバイやつ』は、SNSを中心に人気を集め、コミックス累計発行部数 300 万部を突破中の話題作です。
アニメイトタイムズでは連載インタビューを実施中。第3回に登場してくれたのは、音響監督・小沼則義さんです。小沼さんは赤城博昭さんが総監督を務めた『カッコウの許嫁』などでも音響監督として活躍をされていました。赤城監督は「恩人」のような存在だと語ります。
『僕ヤバ』について、そして小沼さん自身についてのお話も、“NGなし”でお答えいただきました。
『僕ヤバ』は稀有な作品
小沼則義さん(以下、小沼):やっぱり取材は緊張しますね。指先がだんだん青くなってきました(笑)。
――小沼さんのインタビュー記事を探したのですが、WEB記事では見当たらずで。こういったインタビューを受けることはあまりないのでしょうか?
小沼:そうですね。基本的に僕は“NGなし”なんですよ。だからご依頼いただければ取材は受けるのですが、WEB媒体からは取材はなかったので、パンフレットや雑誌がメインです。私で良ければ、なんでも喋りますよ(笑)。
――心強いです、ありがとうございます! まずは『僕ヤバ』のお話をいただいたときの率直なお気持ちを聞かせてください。
小沼:原作は読んでいました。四大少年漫画雑誌はしっかり読んでいるので、桜井のりお先生の過去作『みつどもえ』も読んでいたんです。だからお話を頂いた直後は「マジすか!」とテンションが上がりました。で、時間が経って冷静になってくると急に緊張しちゃって夜寝れなくなりましたね。「オッフ!」って(笑)。
なんとか自分の中で方向性などがまとまってくると落ち着くんですけど、アフレコ3 ヶ月前になるとまた緊張。そして、アフレコが始まる当日にもまた緊張したりして……という繰り返しでしたね。自分の中で“緊張サイクル”があるんです(笑)。ただ、『僕ヤバ』の場合は、自分の目指す目標が明確に決まっていたので、アフレコに入ってみると心安らかでしたけども。
――(笑)。もともと原作もご存知だったとのことですが、小沼さんは『僕ヤバ』に対してどのような印象をお持ちでしたか?
小沼:いろんなタイプのラブコメ作品がありますけど、主人公の市川京太郎は自分のことを好きじゃない、俗に言う「陰キャ」。その彼の成長を描きながらもコメディとしての楽しさ、青春モノのむず痒さも織り交ぜられていて、とても稀有な作品だなという印象がありました。今の時代にも合っている、素晴らしい作品だなと思います。
――赤城監督は市川に共感したというお話をされていました。
小沼:僕もどちらかと言うと陰側の人間ですので共感するところがあります(笑)。こういう仕事をしているので、今でこそ口は達者になりましたが、自宅に帰った瞬間に畳のへりを指でなぞってますよ(笑)。少年時代は家で漫画ばかり読んでいました。人前に出るのが好きじゃないタイプではあったので、市川の気持ちはわかります。僕自身も基本的には自分を信用していない、好きじゃない。
――そうなんですか?
小沼:自分に自信は無いですね。
――でもお仕事の際には、自身の感覚を信じて、音響監督としてジャッジされていくわけですよね。
小沼:そうですね。だからブースに立っているときは「俺は天才だ、俺は天才だ……」と言い聞かせています(笑)。ただ、天才だと思いこんでも根底では「自分が正しい、自分の演出は凄い」などとは思わないので、常に冷静に周りの意見を聞きながらジャッジすることができます。失敗がないようにしっかりと準備していきますし、自信がない分良くも悪くも手を抜かない。ネガティブな人間の特権かもしれませんね。
――Webインタビューでお話される機会はあまりないとのことですので、市川に共感する青春を送ってきた小沼さんが、音に興味を持ったきっかけ、現在のお仕事に進まれたその道のりも教えてほしいです。
小沼:幼少期から音楽や楽器が好きで、バンドを組んでいた時代もあります。選んだ楽器はボーカルやギターじゃなくてベースでした。目立たないというのがポイントでしたね(笑)。また、作品に向き合うことも好きで。大きなきっかけとして、手塚治虫先生の漫画の存在があると思います。祖父の自宅で手塚先生の漫画を沢山読んでいたことが、自分のクリエイティブな部分の原体験です。その後は『ガンダム』シリーズや柴田亜美先生の漫画に育てられました。少女向けアニメやBLも好きだったのですが、表向きにはそういうのが出せない世代だったんです。表面上うまく取り繕っていたので、市川ほど鬱屈している感じではなかったですが、内側ではいろいろなものが渦巻いていました。
その後、芸術系の大学に進学して映画を作っていました。その中で、映画の音声を頼まれることがあったんですね。僕はゴリゴリのデスメタルバンドで作曲をしていたので(笑)、ある程度は音に関して知識があって。その映画製作の中ではじめて「音響」という仕事を知り、面白いなと。その後にこの業界に入った形です。