この記事をかいた人
- タイラ
- 99年生まれ、沖縄県出身。コロナ禍で大学に通えない間「100日間毎日映画レビュー」を個人ブログで行いライターに。
文武両道でクラスの人気者である本田潤一(コペル)は、読書や勉強が大好き。父を早くに亡くした彼のもとに、母の弟で本の編集者をやっていた叔父さんが引っ越してきます。
お父さんや兄弟代わりに彼と過ごしていた潤一は、共に行った銀座であることに気づきます。
それは、「人間も分子のようにひとつひとつが集まった巨大な生き物では?」ということ。人でごった返す銀座の町並みを見て、それを思いついた潤一が叔父さんに伝えると、彼は潤一に「コペル」というあだ名を付けました。
かつて地動説を唱えたコペルニクスからの命名です。それは、コペルが「世界は自分中心に回っているわけではない」と気づいた故のあだ名だったのです。
コペルの通う学校のクラスには、浦川くんといういじめられっ子がいました。家が貧しく、弁当に毎日油揚げが入っていることから「あぶらあげ」とからかわれています。
いじめのリーダーは山口くんという少年。コペルは分子みたいに繋がってる人間だからこそ、集団心理が働き、いじめのような問題に声をあげづらくなっていることに気づいて葛藤します。
ある時、いじめを見過ごせなくなったクラスメイトのガッチン(北見くん)が山口くんを問い詰め、取っ組み合いの喧嘩に発展。それを見ていた浦川くんは仲裁に入り、ガッチンに「山口くんを許してやってくれ」と頼んだのでした。
浦川くんは、自分が集団に責められていたからこそ、その矛先が山口くんに向いた際に痛みを感じ、止めたのです。コペルは、それまで意気地のないやつだと思っていた浦川くんの強さに気づいたのでした。
またある日。コペルが叔父さんや友人たちと野球をしていると、彼はふと「ニュートンはどうやって万有引力に気づいたのか」が気になりはじめます。
叔父さんは、「リンゴが木から落ちるという普通のことのスケールを大きくしていくうちに、なぜ月は落ちないんだ? という疑問にたどり着いた」と答えます。普遍的なことほど深掘りすると発見が待っているかもしれないと考えたコペル。
たまたま家事のお手伝い中に、粉ミルクの缶を落としてしまったコペルは、その粉ミルクが遠い外国からきた商品だということに気づきます。どんどん粉ミルクについて考えていくと「全てのものは誰かの仕事や時間でできている」という仮説を思いついたのです。
そしてその仮説に「人間分子の関係、網目の法則」と名付けます。つまり、世界中の人間が何らかの関係によって、網目状に繋がっているということです。早速叔父さんに手紙をしたためるコペル。
叔父さんはその手紙のアンサーをノートにこう記していました。「それはすでに"生産関係"という名前がついている。人はこうやって何かに気づくたび、記録し比較しながらその概念を定義づけてきた。それが学問である」と。また、そうやって何かを気づこうとする好奇心を絶やさないこと、その網目の繋がりが人間らしくある状態が美しいこと、人間分子と分子の間に損得の関係なく繋がることが良いのだとコペルに伝えたのでした。
いじめの一件からコペルと仲良くなった浦川くん。彼の家で勉強を教えることになりますが、彼はノートに小さな字で書く習慣がありました。文房具を自由に買えないほど貧相な暮らしをしていたのです。
豆腐屋を営む浦川家の家計は、日々の生活や商売、人件費で火の車。彼の父はお金を工面しに故郷へ戻ってしまうほど。父親が不在の中、母と店を切り盛りし、弟たちの面倒を見て、勉強にも励む浦川くん。そのひたむきな姿に、コペルは感銘を受けるのでした。そのエピソードを聞いた叔父さんはノートに「人間であるからには −貧乏ということについて−」と題し、綴ります。
叔父さん曰く、コペルも浦川くんも人間として健全だから友情が成り立っていると言います。貧しさを見下さず、貧しさに引け目を感じていないふたりだからです。
伝えたかったキーワードは「人間の自尊心」。貧乏であろうがつまらない人間じゃない、豊かであろうが上等な人間ではない、そうやって尊厳を持ちながらも驕らずに繋がっていくことが必要だと叔父さんは言います。
そして、世の中には浦川くんよりももっと過酷な状況を生きる人がいる。分子として点在する人間たちの中での格差やグラデーションを知るコペルなのでした。
浦川くんをいじめていた山口くんが、ガッチンに復讐すべく兄や上級生に言いつけたと、ガッチンを脅します。
それを聞いたコペルたちは、みんなで上級生たちに立ち向かうことを誓います。
それからしばらくたったある日、遂に上級生たちとトラブルが生じてしまいます。ガッチンは上級生たちに難癖をつけられ、殴られてしまいます。慌てて、浦川くんを含めた友人たちも名乗り出ますが、なんとコペルは勇気が出ず、仲間を見捨ててしまったのでした。
ボコボコにされ、悔しさに涙する仲間たちから向けられた視線に、コペルはたじろぎ、学校に行けなくなってしまいます。自殺さえ頭をよぎったコペルが、叔父さんに全てを打ち明けると、「悩むのを辞めてやるべきことをしろ」と一喝されることに。叔父さんは、後悔や過去の過ちにに囚われずに、今できることをするべきだと、厳しい言葉をかけるのでした。
叔父さんに背中を押されたコペルは、手紙をしたためガッチンたちに謝ることにしました。それは許してもらおうなどという考えではなく、自分自身へのけじめのためでした。
これを受け、ノートには「痛みや苦しみを味わうことで、本来の人間のあり方がわかる」と書かれていました。人は痛みや苦しみがあるからこそ、健康で、健全に暮らす今の大切さを実感するということです。
痛みを感じるということは、本来の正常な状態ではない。どの生き物もそれは同じですが、人間にしか感じ得ない「人間らしい痛み」があるのです。その痛みに浸っているままなのか、それを糧にして前を向くのか。叔父さんはコペルにそう問いかけます。
コペルは学校に行き、ガッチンたちに思いを伝えました。彼らは、過ちから立ち直ろうとするコペルに答え、無事に仲直り。ノートを読み終えたコペルは、この文章をみんなに共有したいと思い立ちます。
一方、叔父さんはノートを元に一冊の本を出版しようとしていました。実は、亡きコペルの父の最後の言葉である「コペルには人間として立派になって欲しい」というフレーズを聞いた叔父さんは、少年たちへの指南書を書いてくれる作家を探していたのです。
でも、コペルの姿に影響されて書き始めたノートを元に、自分の手で本を書き上げたのでした。叔父さんもまた、分子として役割を全うしようとしていたのです。
彼の仕事を目の当たりにしたコペルは、これまで起こった些細な出来事たちを思い出しました。コペルは、多くの人間がそれぞれ尊く生きようと励むこの世界で、ひとつの分子として、優しく強く生きることを決めたのです。
小説『君たちはどう生きるか』は、コペルの成長を通して、人間のあるべき姿を考えていった作品です。
人間はそれぞれが集まってひとつの生き物のように生きていること、環境ではなく尊厳を大事にすること、人類のために発見と学問が必要なこと、そして過ちから必ず立ち上がれることなど、シンプルながら強く優しい思想の数々が本書には書き記されていました。
そんな本書に影響された主人公が登場するという宮崎監督の『君たちはどう生きるか』。きっと、ワクワクする冒険ファンタジーの世界で「人間」という生き物の本質に語りかけるような"何か"が散りばめられていると思います。
10年ぶりとなる宮崎監督の長編映画をぜひ映画館で楽しみましょう!
99年生まれ、沖縄県出身。コロナ禍で大学に通えなかったので、「100日間毎日映画レビュー」を個人ブログで行い、ライターに舵をきりました。面白いコンテンツを発掘して、壁に向かってプレゼンするか記事にしています。アニメ、お笑い、音楽、格闘ゲーム、読書など余暇を楽しませてくれるエンタメや可愛い女の子の絵が好きです。なんでもやります!