この記事をかいた人
- 笹本千尋
- 1998年生まれのフリーライター。アニメ文化とアンティーク雑貨と絵を見ることが好きです。
ゲゲ郎は穏やかで平和主義者、そして妻に関すること以外ではあまり感情の起伏がないキャラクターだと思います。表情が掴みづらく淡々と話す姿勢が幽霊族であることを強調しているようです。
しかし妻のこととなった途端に泣いたり怒ったり、愛を語ったり、水木よりも人間味のある言動が印象的で、「愛」を持っているという点に関して水木と対称に描かれているキャラだと思います。ですが墓場で酒を飲むシーンでは、ゲゲ郎は人間を憎んでいたと話していて、では今は人間を愛しているのかと考察してみるとそうとは限らないなと感じました。(ゲゲ郎は情に厚いけど部分的だと思います)
商業施設でクリームソーダを嗜む場面で、人の子を助ける妻を眺めているゲゲ郎が描かれています。今まで妻というフィルターを通して人間の世界を見ていたから、「それもいいか」と思っていただけで、自ら積極的に人間に触れ合おうとは思っていなかったのではないでしょうか。
現に時弥に話しかけられた際も話しかけられるまでは背を向けていたし、水木に対しては話しても無駄といった態度でしたよね。そこからはお互いの目的の為に手を組み、妻の行方、Mの真相を探ろうとする過程で人間と幽霊族のバディものが描かれていきます。
しかしゲゲ郎はずっとどこか水木に対して一線を引いている感が否めなくて、それは乙米に囚われた際に顕著となっています。水木の考察でも話したように、水木は一度乙米に服従しました。その際に、ゲゲ郎は一度も水木に助けを乞わず、怒りもしません。このシーンを見た時に、「ゲゲ郎は水木のことをまだ信用していないのだな」と感じました。そもそも出会って数日のお話でしたものね。
だからこそ、水木がゲゲ郎を助けにきた際の「待っておったよ」は本当に待っていたのか?と疑問に思います。(助けにきてくれることへの期待と諦めが半分ずつあるような)
私はゲゲ郎の中で水木との友情が成立した瞬間は最後の「それに友よ。お主が生きる未来この目で見てみとうなった」と言うシーンではないかと考えます。このお話は友情が芽生えた2人が悪者を成敗するお話ではなくて、物語を通して2人の父の友情が芽生えるまでを描いているのではないでしょうか。
最後、ゲゲ郎は哭倉村(なぐらむら)から妻子を逃がすため水木に家族の運命を託し、自分は犠牲になろうとしますよね。大量の狂骨が暴れ回り人々を襲っている状況で、好きにさせとけばいいじゃないかと引き留める水木に対し、誰かが止めなければいけないという自分の意志を貫いています。我が子はもちろん、人間界を守ろうとしたゲゲ郎の精神は妻の意志を引き継いだとも感じさせられました。
最初の方にお話しした、「愛」について。ゲゲ郎と水木は対称にあるのですが、エンドロールで自身が待ち望んでいた鬼太郎の誕生を水木に託したことで、水木に慈しむ心や愛情を伝えた(教えた)最後のように思えてなりません。生きていく中で冷えてしまった水木の欠落した心が、鬼太郎との出会いで彩りを取り戻そうとした瞬間だったのではないでしょうか。本作は、ゲゲ郎(幽霊族)から水木(人間)に愛を伝える物語でもあったのだと思います。
以上、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の人物考察でした。『ゲ謎』って考察点も多くて沼が深いですよね……。数多くある考察の1つとして楽しんで読んで頂けたら幸いです!
[文/笹本千尋]