『BASTARD!! -暗黒の破壊神-地獄の鎮魂歌編』&『ゴブリンスレイヤー』スタッフ座談会──尾崎隆晴監督&黒田洋介さん&倉田英之さんが考える二作品の共通点は……?
日本の「ファンタジー」とは「ごっこ」である?
──『BASTARD!!』や『ゴブリンスレイヤー』のようなダーク・ファンタジー作品をアニメ化するときに大変な点は、どんなところなのでしょう?
黒田:やっぱりシナリオよりも絵ですよね。作画、演出、美術のお力が非常に重要になってくるんじゃないかと思いますが、監督、どうですか?
尾崎:たしかに、ファンタジーはビジュアル化するとなると設定がやたら多くなるというのは、ちょっと悩みどころではあります(苦笑)。予算と期間に直結しますからね。さらに、それなりの画力のあるアニメーターなり、美術さんなりを連れてこなくちゃいけないところもありますね。
厄介なのは、単に絵がうまいだけじゃ駄目なんですよ。特にモンスターは、モンスターを好きなやつが描かないと、本当に心のこもった、恐ろしいものになってくれない。他のジャンル以上に、ファンタジーの場合はその辺に気を遣いますね。マニアックで、対象に愛情がある人をスタッフィングする。
──シナリオだけじゃなく、絵の面でも感覚を共有できる人を集めることが重要になる?
尾崎:ああ、そうですね。自分の監督をやる上でのスタイルでもあるんですが、スタッフィングである程度まで現場を押さえてしまえば、ある程度はどうにかなるんですよね。
倉田:……ただですね、ここまで『BASTARD!!』がファンタジーであるという前提で話してきたでしょう? ところが僕は最近、真実に目覚めてしまってですね。
──気になります。
倉田:ファンタジーとダーク・ファンタジーの見分け方なんですけど……主人公が小綺麗な格好をしているとファンタジーで、小汚い格好をしているとダーク・ファンタジーなんですよ。
黒田:は、ははははは……。
倉田:どうですか? 真面目にこれ、真理に近いと思うんですが。
黒田:ダーク・シュナイダーはさ、最初、裸で出てくるじゃない? これはどっちなの?
倉田:それですよ。だから、実は『BASTARD!!』の本質はファンタジーでもダーク・ファンタジーでもないところにある。この作品の重要なポイントはギャグなんじゃないか? と。いうなればファンタジーではなく、「ファンタジーごっこ」であるところに、作品のいちばんの根っこがある。
黒田:無茶言うなぁ(笑)。でも、そう、当時の「ジャンプ」のノリ……いわゆる「友情・努力・勝利」の作風をファンタジーというジャンルの中に巧みに落とし込んでいる、すさまじい荒業を成し遂げられている作品だな、とは感じます。
「友情・努力・勝利」って、ようするにバトルなんですよね。あの頃の「ジャンプ」の人気作は、とにかく毎回バトルをやっている。そのノリをファンタジーの世界に落とし込んで、自分の趣味趣向もどんどん闇鍋のように詰め込んでいる。
倉田:ああ、さらにわかった。だからこそ裸なのかもしれませんよ。裸だからあるときはニュートラルなファンタジーにもいけるし、あるときはダーク・ファンタジーにも行ける。ひどいこともいっぱいやるけれど、明るい部分もある。ちょっとラブコメっぽいところもあったり。
黒田:闇鍋という言葉の響きが悪ければ、「全部のせ」みたいなものですよね。ファンタジーであり、バトルものであるというベースの上に、デコレーションできるものはすべてデコレーションするぐらいの勢いで要素を詰め込んでいる。美少女からギャグまでね。一気に逆転するときの痛快さもすごい。
ただ、掲載誌が厳密には少年誌じゃなくなった「地獄の鎮魂歌」編からは、ダークな印象が強くなった感じはしますけどね。
倉田:天使が出てきたあたりから、「ひょっとして『デビルマン』に近づこうとしているのかな?」みたいな感覚もありましたね。絵も筆っぽい表現が出てきたりして。
──「ファンタジーごっこ」という指摘は重要ではないかと感じました。『BASTARD!!』にしろ、ほぼ同時代、90年代に絶大な人気を博した『スレイヤーズ』にしろ、「ごっこ」というとフレーズが強過ぎかも知れませんが、『指輪物語』のようないわゆる西洋のファンタジーとは違う、独特な雰囲気を持っていますよね。こうした日本のファンタジーものならではの雰囲気を生んだ当時の時代の空気感、要因みたいなものって、なんなんでしょう?
黒田:それはまさに萩原先生の影響ですよ! 『BASTARD!!』の「これ以上やったら収拾がつかなくなるんじゃないか?」というくらいに、どこまでも世界を広げていくあの感覚。それがあとに続く作品たちにもたらした共通性だと思います。
尾崎:『BASTARD!!』そのものも、最初からそうしようと思っていたわけではおそらくなくて、長く続けることで結果的にそうなった部分もあったと思うんです。
最初、特に前半の方はもう本当に、古典的なファンタジーだった。登場するものの造形も、ドラマも、世界のルールもそう。それがだんだんと、80年代後半から90年代の世の中の、エンターテイメント全般からの影響を取り入れて、独自の「日本のファンタジー」というジャンルになっていった。
日本人は経済分野でも、海外のものを取り入れて、独自のものに変化させて新しいものを作るのが得意とよく言われていたじゃないですか。
──「和魂洋才」みたいなお話ですね。
尾崎:それは多分、マンガやアニメでもそうだったんです。海外もののファンタジーを始め、あれこれと自作に取り入れようとしているうちに、萩原先生は多分、影響を受けたものを独特な形に変化させたんじゃないか。そこに精緻なロジックがあったというよりは、何か日本という土壌にある体質が、にじみ出た結果なのかなと思います。
倉田:ほぼ同時期に「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」のシリーズ第1作が出たのも大きかったでしょうね。
「ジャンプ」という日本でいちばん大きい舞台で『BASTARD!!』をやっていて、ゲーム方面では海外のRPGを日本人向けに丁寧にチューニングした「ドラクエ」や「FF」が大ヒットをした。そこで日本人のあいだにあった、ファンタジーに対する高いハードルみたいなものが、一気に崩れた。
そうそう、それまではファンタジーって、マニアのためのものだった気がします。
黒田:僕もそう思う。だからさ、『BASTARD!!』がなかったら、「なろう」系小説もなかったと思うんですよ。
尾崎:ですよね。
黒田:それくらいジャンルの始祖的な、元祖的な存在。
──「なろう」系の勇者と魔王が存在する世界観は、ゲームからの影響を語られることも多いですが。
倉田:ゲームだけがあったとして、たぶん、「こんなに好き放題やっていいんだ!」とは思わなかったんじゃないですかね、みんな。なにせ、『BASTARD!!』ってしれっと大事なシーンで500円玉が出てくるじゃないですか。
尾崎:たしかに(笑)。
黒田:そういえばアニメのホン読みでも揉めたねえ、あれ! 「500円玉、出していいんですか?」「出すとして硬貨の柄をどうします? 今のにします? それとも連載当時のにします?」とか……。
倉田:あの場面で500円玉を出せる萩原先生のセンスって、とんでもなくスゴい。あんなに自分でちゃんと作ってきたファンタジーの世界に、いきなり異物を出せないですよ。
──それだけ自由な作品が、当時の「ジャンプ」という、恐ろしい影響力を持っていた大メジャー雑誌に載っていた。
倉田:しかし、そういう自分たちの普段から親しみがあるものとファンタジー世界が一周してつながるときのおもしろさなんて、今の人たちはもうあまり意識しませんよね。
今の「なろう」系のファンタジーは、平然とスマホが使える異世界も多いし。今の子たちは最初から、そういう形でファンタジーというものを意識して、味わってるんだろうな、と。
黒田:かもしれないですね。あと、ダーク・シュナイダーが持っている痛快さみたいなものが、「チート」って言葉に置き換わってるんじゃないかな?
倉田:「俺TUEEE」系の元祖みたいなものですもんね、ダーク・シュナイダー。
(C)蝸牛くも・SBクリエイティブ/ゴブリンスレイヤー2製作委員会