『キングダム』成蟜(せいきょう)とは? “まさか君に泣かされる日が来ようとは”。冒頭と最後のイメージが最も変わる人物、成蟜。彼はどうして成長できたのか?
成蟜の成長のきっかっけ
さて、信も述べているように、大きく変わる成蟜ですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。
ここでは二人の人物とのかかわりから、そのきっかけを推察してみます。
政
政とは、政敵として作品の冒頭を盛り上げる成蟜ですが、幽閉されてから、少しずつ内面の変化があったようです。
成蟜の死後、瑠衣が政に打ち明けます。
「七年前の反乱の一件の後 成蟜様の中に変化が起き 一気にお心に血が通われたように感じます それをさせたのは嬴政様です」
「嬴政様のことを兄として 王として 尊敬していたと思います」
政の王たる人間性を認めざるを得ない悔しさはありつつも、自身も兄のように聖王の道を模索していこうと、歩みだしたというのです。兄をライバルに成長していく弟、という感じでしょうか。
その結果は、血統だけで威張っていた成蟜が、「屯留の変」の時には剣術の腕も上がり、臣下やその家族を思うことのできる人物になっていることで、はっきりとわかります。
また、政が蕞に自ら出陣する姿や、「中華統一」という驚くべき目標にも、思うところがあったのでしょう。最期には瑠衣に、自分の勢力を取りまとめて政の支えとなるように、と遺言しています。
政と成蟜が、もっと直接会話をする機会があったら、もっと長生きして政の力になってくれたら、無念で仕方ありませんが、彼が頑張ったことを讃えたいと思います。
瑠衣
瑠衣の作品中初登場は、「屯留(とんりゅう)の変」です。
成蟜とは政略結婚ですが、深い愛情で互いを理解し尊重しあう関係です。当時の女性としては珍しく、政情を理解し自分の意見をしっかり持つ“できる”人物です。それに、とても可愛い!
二人の初めての出会いは幼い頃。成蟜は素直な気持ちを表さなかったのですが、本当は出会った時から恋に落ちています。
とはいえ、恋心ゆえに少年王弟 成蟜の内心の変化が起きたわけではないでしょう。それがわかるのが、どんな状況にあっても、離れずに支えてくれたのは、老齢となった教育係と瑠衣だけだ、という内容の台詞です。
成蟜は、作品冒頭では、権力欲のために従う者たちは周りに居ても、一人ぼっちです。今でいう小学生の年齢なのに、心を許せる人が誰も居ないのです。当時も、教育係と瑠衣はすでに成蟜の近くに居ていいはずですが、欲にまみれた大人たちによって遠ざけられていたのかもしれません。そして、敗北して幽閉状態になっても、成蟜を見捨てなかったのがこの二人なのでしょう。
惨めな状態でも親のように見守ってくれる人がいる。自分が愛している人から愛されている。このことを真に理解した成蟜は、その思いに応えるような人間にならなくては、と思ったのではないでしょうか。
特に瑠衣には、“本当は秦王の妻になるという話で迎えられたのに自分の妻になった”ということで引け目も感じています。おそらく、二人の縁談の計画のときには、政がまだ趙で人質になっていたということだと思いますが、“瑠衣が愛したのは成蟜”です。
権力や立場を愛するのではなく、本当の自分を愛してくれる人がいる、というのはありがたいことです。瑠衣の存在は成蟜にとって、未来を求め努力をする原動力になっていたのではないでしょうか。
実在の成蟜
さて、ここまで『キングダム』の成蟜を見てきましたが、今度は史実の成蟜を見ていきましょう。
成蟜はあの秦の始皇帝の弟なのですから、きっと記録もたくさんあるだろうと思いきや、意外にもその記録は少ないのです。
『史記』の成蟜
二千年以上前の出来事ということで、わからないものはどうしようもないのですが、それでも、前漢までの歴史を知るために頼るのが『史記』です。これがなかったら、『キングダム』の主要人物たちの名前さえ、その多くが今に伝わっていないでしょう。
『史記』は、前漢 武帝の時代に司馬遷が編纂した約53万字の紀伝体(年代順ではなく人物や国ごとに出来事をまとめた形式)の歴史書です。武帝の時代とは、前141年から前87年。つまり、秦が滅んでから100年ほどのちに書かれたということになります。
成蟜が出てくるのは以下の部分になります。
〈八年、秦王の弟長安君(ちょうあんくん)成蟜(せいきょう)が軍を率いて趙を伐(う)ち、趙の屯留(山西(さんせい)・長子(ちょうし))の民を従えて謀反した。秦はこれを撃って長安君を殺し、軍吏をみな斬り、屯留の民を臨洮(りんとう、甘粛(かんしゅく))にうつした。この時、将軍壁(へき)が死ぬと、部卒の屯留人蒲鄗(ほこう)がまた叛(そむ)いた。よって、これを殺して、その屍を戮(りく)した。〉
(引用元:司馬遷『史記1 本紀』小竹文夫・小竹武夫 訳、ちくま学芸文庫、1995。全角パーレン内は引用元のルビ、半角パーレン内は筆者の補記。)
要は、始皇帝8年(前239年)に成蟜が軍を率いて趙攻めをし、屯留の兵を従えて謀反を起こしたが失敗した、というのです。「蒲鄗(ほこう)」というのは、作品中の蒲鶮(ほかく)のことでしょう。
ちなみに、壁が死んだという記述がありますが、大丈夫です。『キングダム』ではちゃんと生きています。信に「壁のあんちゃん」と慕われ、読者にとってもほっとする存在として活躍中です。アニメ版では遊佐浩二さん、映画版では満島真之介さんが演じられています。
話を戻しますが、やはり、成蟜の生年や母についての記載がないのが意外です。ただ、「長安君」となっているので、それなりに重きを置かれる人物であったと考えていいのではないでしょうか。「長安君」というのは、“長安という土地を封じられた王族”といったほどの意味かと思われます。
加えて、『史記』では、「せいきょう」が出てくるところがもう一箇所あります。楚の春申君(しゅんしんくん)と秦の昭王(しょうおう、政と成蟜の曽祖父)が会談する場面、この会話中に「成“橋”」という名が見られます。ところが、これが成蟜と同一人物なのかどうかは、学者の方々の間でも意見が分かれるようです。確かに年齢を考えると、ちょっと違和感があるような?
(参考:司馬遷『史記5 列伝一』「春申君列伝第十八」小竹文夫・小竹武夫 訳、ちくま学芸文庫、1995。その他、辞典、webサイトなど。)
謎は残りますが、成蟜の記録は意外に少ないということをお伝えしておきたいと思います。
『史記』にはないエピソード
『史記』にはありませんが、『キングダム』にあるのが、作品冒頭の「王弟反乱」です。
これは、「屯留の乱」とは別の反乱で、年月はもっと前、政が15歳、信が14歳のときの出来事です。政と信がこの乱によって出会い、壮大な物語の幕が上がるという仕掛けになっています。
王と下僕が出会うための創作といってしまえばそれまでなのですが、作者 原先生のすごいところは、ここできっちりと、政の絶対的な味方が誰で、彼らがどんなキャラクターなのかを、読者に見せていることでしょう。また、下層民の暮らしと王宮という対極を描くことで、物語世界の背景が、難しい説明なしに読者に伝わります。
このエピソードが入ることで、歴史に詳しくない読者も詳しい読者も、『キングダム』の世界に引き込まれいくのです。