『夜のクラゲは泳げない』連載第10回:監督 竹下良平× 脚本 屋久ユウキ|「普通」という皮をかぶったクリエイター・まひるに“エゴ”を出してほしかった
オリジナルTVアニメ『夜のクラゲは泳げない』。監督:竹下良平 × 脚本:屋久ユウキ × アニメーション制作:動画工房が贈る青春群像劇。
第10話でバラバラになりかけたJELEE。それを繋ぎ止めたのは、キウイとめいだった。ラストのめいの魂の歌声が、見ている人の心を揺さぶる、とても感動的な回となりました。
連載第10回は、第1話ぶりに、監督の竹下良平さん、シリーズ構成・脚本の屋久ユウキさんが登場! 第10話までの物語やキャラクターに込めた思い、クライマックスに向けての見どころなどをたっぷりと語っていただきました。
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物語の内容ともリンクする、OP映像に込めたメッセージとは
――小学館ガガガ文庫よりノベライズ第1巻が発売中ですが、アニメとの違いはどんなところにあるのでしょうか?
屋久ユウキ(以下、屋久):大筋は同じなんですけど、脚本からアニメになるところで変わった部分は取り入れつつ、元の脚本にあった要素も拾いつつ、みたいな感じになっています。
一番大きな違いは、各キャラの一人称で書いていることだと思います。まひる視点から始まって、第1話に当たる部分は全部まひるなんですけど、アニメでいう第2話のところになると、途中からめいのモノローグになって、めい視点の書き方になったりするんです。
第3話だと途中からキウイ視点、第4話だと途中から花音視点……と、それぞれの一人称とまひるの一人称を切り替えながら話を進めていく小説にしています。アニメだと掬いきれなかった各キャラのとても細かい心情が、各キャラの言葉で語られるので、キャラを掘り下げたい人に特におすすめかもしれません。
アニメをさらに深めるという、意味のある小説を書けている気がしています。
――屋久さんはアニメの脚本も手掛けていますが、脚本と小説で違いはあるのでしょうか? 例えば、アニメの場合は尺があるので、セリフが短くなったりすると思うのですが。
屋久:セリフの往復や量は全然違いますね。同じ情報が伝わるんだったら、なるべく短く、少ない文字数にギュっと詰めるほうが脚本の場合は見やすいですし、映像の背景になにが映っているかで印象が変わったりするんです。
小説だったら地の文で面白い感じのことが書いてあったり、ポップな例え話があったりすれば多少長くても保つというか、そこにエンタメ性が出るんですけど、映像ではセリフが長いと単純にそれを聞いていなければいけなくなる時間が生まれるじゃないですか。そこで背景も同じだと、入ってくる情報が少なくて退屈、みたいなことになったりもして。
――小説だと会話劇でも十分面白いですけど、アニメだと映像を生かした演出ができますからね。
屋久:そうですね。だから脚本ではセリフの情報量を濃くすることと、映像的に場面を変えてなるべく情報のバリエーションを増やすみたいなことを意識しているので、そこが全然違うのかなと思っています。
――続いて、第1話はOPが流れなかったので、前回のインタビューで語れなかったOP/EDアニメーションについてお訊きします。OPでは過去と向き合うJELEEの4人が描かれていますが、どんなコンセプトで制作されたのでしょうか?
竹下良平(以下、竹下):OPアニメーションって、最近だと外部のOPが得意な方にお任せする感じで、監督自らがOPを作ることは減っていると思うんです。でもヨルクラにおいては、作品の顔となるオープニングを監督が作ることで、本編の深い部分を表現出来るアニメーションにしたいと思っていました。
このオープニングを作りながら考えていたのは、些細なことで傷ついてしまったり、過去にちょっとしたことで立ち止まってしまい、そのまま前へ進めなくなってしまった人って結構いるよなって……。そういう過去を、自分なりに受け入れて、前に進むということを、このOPから受け取ってくれれば嬉しいなと思いながら作りました。
――まさに『ヨルクラ』の物語にもリンクしていますよね。過去があって今があるし、それは切り離せないから、それを抱えて未来へ進まなければいけないんだというのは、作品からも、OPからも感じました。
竹下:ほんの少しのことがずっと気になっている人ってたくさんいますからね。人から見ると「そんなことで」と思うようなことだって、本人にとってはすごく重要なことだったりする。でも、過去の経験を気にして立ち止まらずに、どんどん進んでほしいという思いがあります。
――そんなつもりで言ったわけではないのに、それがその人には深く突き刺さってしまう。まさに第1話でクラゲの壁画を否定されてしまったまひるですね。
竹下:相手にとっては大したことがなくても、本人にとっては何かをやめるくらいショックな出来事って本当にありますからね。