誰かの感性を受け止め、守れるように――『テレビアニメ「鬼滅の刃」 柱稽古編』悲鳴嶼行冥役・杉田智和さんインタビュー|悲鳴嶼が“自然と”柱のまとめ役になっている理由とは?【連載第3回】
「鬼滅の刃」待望の新シリーズ『柱稽古編』が、全国フジテレビ系列にて好評放送中!
先日放送された第七話では、これまで謎に包まれていた、岩柱・悲鳴嶼行冥の過去がついに明かされ、大きな話題を呼びました。
アニメイトタイムズでは、『柱稽古編』の放送に合わせ、キャストインタビュー連載を実施中。
今回は、悲鳴嶼行冥を演じる杉田智和さんに、第七話を振り返っての感想や、悲鳴嶼を演じるうえで大切にしていることなどを伺いました。
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自分と同じような思いをする人を二度と生まないように
――「柱稽古編」も佳境に突入しています。物語を見ての感想をお聞かせください。
悲鳴嶼行冥役・杉田智和さん(以下、杉田):鬼という不条理な存在に立ち向かう強さは、普通の鍛え方では到底得られない。それを得るために柱稽古が行われているわけですが、メインキャラだけでなく、鬼殺隊全体に向けて行われていたのが嬉しかったです。組織全体を通して鍛えることで形にする。柱たちも隊士を鍛えながら言葉を掛けて、同時に自分自身を顧みることで一緒に成長している、というのが感じ取れたので、そこはありがたいなと思いました。
――今後の放送に向けた意気込みをお聞かせください。
杉田:悲鳴嶼さんと同じような立ち位置で視聴者の方々の思いまで受け止めて、それを守れるように、さりげなくいること。そのためには常に動いていることが大事。言葉にするまでもなく、すでに行動で示していると思っています。
なので「ここがおすすめ」「ここが面白いよ」というのは、あえて提示しないようにしています。
――映像を見て感じたものを大事にしてほしい、ということですね。
杉田:その感想が他者から侵されないように、不当な理由で消えてしまわないように、守る立場でいるのが大事かなと思っています。
――「柱稽古編」のアフレコ現場で印象的だったことはありますか?
杉田:柱の出番はできる限り掛け合いで録ることができたので、嬉しかったです。
あとは、悲鳴嶼さんの過去で、鬼を殴るシーンがありましたが、収録の際に「いろんなパターンを録らせてほしい」と言われたんです。当初は「悲鳴嶼のような強者ってそんなに声を張らずに戦うのかな」と思ったのですが、その際に演じたシーンは、悲鳴嶼さんが初めて自分の強さを自覚する時期だったので、いろんなパターンを想定しながら収録しました。
――そんな第七話の物語を振り返っての感想をお聞かせください。
杉田:悲鳴嶼さんには凄惨な過去があるというのが分かったうえで、悲鳴嶼さんとしてブレないように、むしろ迷いが他者に伝わらないよう立ち回ることでより彼への信頼が強固なものになっているのではないかと感じます。自分にとっては、前向きな意味で「(過去は)通過点の一つ」と考えているというのもあると思います。すでに「同じようなことが二度と起きないように弱きものを同じ状況に追い込まないように」という答えが出ているから、それに向けてしっかり動いているのだと思います。
悲鳴嶼が“自然と”柱のまとめ役になっている理由とは?
――「柱稽古編」以前を含め、悲鳴嶼を演じる上で意識していることはありますか?
杉田:他の人に、不安に思っていること、焦っているというのを悟られないようにすることを心掛けて収録に臨んでいます。お館様(産屋敷耀哉)が不在の状態で、柱の中で「誰がまとめるの?」となったとき、第一話で自然と悲鳴嶼さんがまとめていたように、演じる人間としてもそれぐらい信頼されるような芝居が必要なのかなと思って演じています。
――確かに、指名されたわけでもなく、自然とまとめ役になっていました。
杉田:自然に立ち位置が決まってくる、というのは大事かなと。全体を見渡して、会議に参加しない者を受け止めつつも皆をまとめる上でどうするか、みたいな。誰かがやらないと、考えや立場が散ってしまうので。場を自然に動かせるから、悲鳴嶼さんがあの場にいたのかなと思います。
――「竈門炭治郎 立志編」の柱合会議以来の登場となりますが、その頃と比べ、演じる上で変化した部分はありますか?
杉田:悲鳴嶼さんは不変であること、構え続けること、何があっても受け止められるキャラクター。だから「ブレないこと」が大事だと思い収録に臨みました。戦う相手や周りの仲間たち、どちらも変化している中で、それを受け入れるためには地に足を付けていないと、なかなか歩むことはできないので。
――悲鳴嶼を演じる上で、難しかった、苦労した部分はありましたか?
杉田:ある程度(演じるプランは)自分で作っていきますが、悲鳴嶼さんというキャラクターやそれに対するディレクションをアフレコ現場で受け取り、どのようにまとめて完成させるかはまた別で、演者一人の芝居だけでキャラクターは完成しないと思っています。しっかりと、キャラクターの感性を、要素を、持ち続けて演じることを心がけています。
――悲鳴嶼は不動である一方、情動もちゃんとある人だと分かります。例えば、絵では泣いているけれど、心は不動のように見えるというようなシーンがあった際など、絵と声の芝居のすり合わせはどのように考えたのでしょうか?
杉田:気持ちの向いている先がどこにあるのか、何があって涙を流したのか、それを考えると自然と悲鳴嶼さんの台詞になっていると思います。
「今、頭の中で何を考えているんだろうな」となったときに「やっぱり鬼を滅することだよな」と。じゃあなんで鬼を滅するのか。昔こんなことがあったから、それと同じ状況になってほしくないから稽古をつけなきゃいけない、と。一つ一つの言動にはきちんと意味があって、無意味な台詞や、考えないまま発言するようなことはないんです。ただ、そこはあまり(役者が)ここで言葉にすることでもないかなと思うので、想いはしっかりキャラクターの芝居に込めています。