『チ。 ー地球の運動についてー』作者・魚豊先生が「地動説」をモチーフにした理由や、アニメの見どころを語る|先生が「自分の血肉になっている」と語るほど影響を受けたアニメ作品とは?【インタビュー】
第26回「手塚治虫文化賞」のマンガ大賞ほか数々の賞を受賞している魚豊(うおと)先生の『チ。 ー地球の運動についてー』。そのTVアニメが、10月より毎週土曜 午後11:45からNHK総合テレビにて放送中です。
15世紀のヨーロッパを舞台に、当時“禁忌”とされた「地動説」を証明するために命と信念を懸けた人物たちを描いた本作。アニメ放送を記念し、原作者の魚豊先生にインタビューを実施しました。作品のモチーフに「地動説」を選んだ理由や、アニメ化についての感想はもちろん、影響を受けたアニメ作品についてなど、パーソナルな部分も伺いました。
「知性と暴力」に合うモチーフとして選んだ「地動説」。特徴的なタイトルに込められた意味とは
──『チ。 ー地球の運動についてー』はどのように着想されたのでしょうか?
魚豊先生(以下、魚豊):まず「知性と暴力」の話が描きたくて、合うモチーフがないかなと思っていたときに「地動説」を見つけて。調べていくと、いろいろおもしろい歴史があったので、描いてみようと思いました。
──「地動説」は「現実と虚構の狭間」という見方的にもおもしろい、とおっしゃられていましたが、そう思われた理由を教えてください。
魚豊:まず「地動説」は、一般的に語られるようなガリレオ裁判的迫害はなくて。それ自体がウソ(物語)で、世界を勘違いしている実例です。同様に「天動説」も世界の勘違いの一種ですが、そこには人文科学と自然科学との"勘違い"の差が現れてます。
その差とは、“物語があるかどうか”というものです。
しかしでは何故、自然科学である筈の地動説には単に数学的記述の差異だけでなく、あらゆる種類の物語が(後世に)付随したのか、起こった事と、起こらなかった事、そのギャップを架橋する所に物語(起こり得る事)が立ち現れます。裏を返せば、語り直されることによって、印象が更新される。
この観点は陰謀論にもつながりますが、創作や漫画を描く人間として、その作用にとても興味がありました。
──続いて、タイトルの由来を教えてください。
魚豊:「大“地”」「“血”液」「“知”性」の3つの「チ」に掛かっています。「。」は大地が停止している状態を示していて、地球が動くのか、それとも動かないのかを表現しています。
──元々、ギャグマンガを描かれていたそうですが、どうしてこのようなシリアスかつ哲学的な作品を描かれるようになったのでしょうか?
魚豊:人生で一番最初に投稿したマンガは、主人公がお隣さんにあいさつしにいくときに「何を持っていこうか」と真剣に迷うお話で。最初に担当さんについてもらった作品も、全校集会で体育座りしていたら、校長先生の話が長すぎてお尻が痛くなってきたので、どうすれば痛くなくなるのか攻略する、という感じで、当時はそんなお話ばかり描いていました。
他の人から見たらどうでもいいような話を本人は真剣に考える様子をギャグっぽく描いていましたが、実はそれは『チ。』の地動説も、『ひゃくえむ。』で描いた100メートル走も、『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』で描いた陰謀論もすべてそうで、“ふと我に帰ると「何でそんなことしているの?」と思うようなことにすごく真剣に打ち込んでいるお話”なんです。なので自分の中では当時から書いてることは一緒なんです。
なぜそういう題材に興味を持ったかというと、人生と同じなんですよね。「何でその職に就いたのか」とか「その人を好きになったのか」とか、究極、根拠なんてない。「なんかそれがいいと思ったから」でしかない。
本気で一生懸命打ち込んでいれば、どんなことでも人は輝いてしまうと僕は思ってる。
でもだとしたら、同様にそのロジックは悪質な宗教だったり、犯罪にも使えてしまう。その(善悪・功罪)両面を描きたいと思ったので、ずっとそういうテーマの作品を描いています。
──『ひゃくえむ。』も『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』も、哲学的な面が多く見られますね。
魚豊:高校の倫理の授業がおもしろくて、大学では哲学科を専攻していました。知識が豊富なわけではありませんが、個人的な趣味としてその手の読書体験なども(作品の)バックグラウンドになっているのかもしれません。
『チ。』は「歴史モノ」ではなく、“そういう状況にいる人たち”を描いた作品
──アニメ化のお話が届いたときの感想をお聞かせください。
魚豊:「マンガが売れてアニメ化したら嬉しいな」という子供の頃の夢が叶ったので、とても嬉しかったです。
──ラファウ役・坂本真綾さんも、ノヴァク役・津田健次郎さんも「この作品を本当にアニメ化できるのだろうか?」と思ったそうです。
魚豊:周りの方たちが一生懸命動いてくださった結果で、僕自身は「やっていただけて嬉しいな」と思うだけでした(笑)。
アニメ化について思い出がひとつあって、第3話まで原稿を上げ、第1話が来月本誌(『ビッグコミックスピリッツ』)に掲載されるというタイミングで、ある漫画家の方とお会いしたんです。その方が「自分はどうすればフィギュアになりやすいかや、アニメのスタッフさんたちが描きたいのかを考えながら、キャラや話を作っている」とおっしゃっていて。それを聞いたとき、プロフェッショナルな考え方だとすごく驚きました。同時に僕はそういうことに興味がないなとも思いました。なので、そんな姿勢で作った作品でもアニメ化していただけて、とても嬉しいです。
──アニメ化のお話が来る前から、いちファンとして読んでいた、というキャストも多いほど、そのおもしろさがたくさんの方に伝わっていた作品だと思います。
魚豊:すごくありがたいですね。でも僕自身は現実感がなくて、アニメ化が決まったときからずっと他人事で、昔、自分がやっていたこととは全然つながっている気がしないんですよね。
──先生からアニメの制作サイドにオーダーされたことはありますか?
魚豊:ほとんどなかったんですが、「音楽を牛尾(憲輔)さんにオファーして欲しい」ということだけはお願いしました。
──アニメの制作が始まって、脚本や絵などをチェックされたときの感想は?
魚豊:いろいろなものが届きましたが、実は「見ました」とウソをついて見ていませんでした(笑)。プロ失格ですが、自分が原作の作品を見るのが恥ずかしくて。制作されている皆さんは一流の方々なので、「皆さんの選択したものが正しいだろう」と信頼して、担当の方にお任せしました。
勿論、勝手にチェックをしない選択をしたので、何があっても文句は言わないつもりでしたが、放送で1話を見てとても良かったので本当に感動しました!
もっと早く見とけば良かったと思いました(笑)。
──フベルト役の速水奨さんは15世紀のヨーロッパをモデルにしているのに、「世界チョレ~」といったセリフから今の日本っぽさも感じられた、とおっしゃっていました。
魚豊:そこは意識して作っています。「歴史モノ」を描いた認識はなく、“そういう状況にいる人たち”という描き方をしましたから。
──キャスト陣からは、セリフが強いので、演じる側としてもプレッシャーがあった、というお話もありました。
魚豊:それは申し訳ないです……(笑)。
あと、長いセリフも多いですよね。例えば、バデーニのセリフはすごく長くて、理屈をこねくり回すセリフを中村(悠一)さんに読んでもらいましたが、僕はそういうセリフが大好きなので、音声として聴けて嬉しかったですが、改めてそこも申し訳ないなと思いました(笑)。