劇場版には一年生の活躍シーンが盛り込まれている――『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』 原作小説&脚本・阪口和久 先生インタビュー|久々の『忍たま』復帰でできたのが「厳禁シリーズ」だった
2013年に刊行された『小説 落第忍者乱太郎 ドクタケ忍者隊 最強の軍師』(原作・イラスト:尼子騒兵衛/小説:阪口和久/朝日新聞出版刊)の劇場アニメ『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』が2024年12月20日(金)より全国公開となります。
このたび、アニメイトタイムズでは映画公開を記念して、原作小説および本作の脚本を務める阪口和久さんへインタビューを実施しました。
原作小説の執筆裏話や阪口さんが注目してほしいと感じた劇中シーンなど、たっぷりとお話を伺いました。
※本インタビューは本編のネタバレを含みます※
四苦八苦しながら考えた原作小説
──はじめに、小説が発売されてから10年経ってからの映画化ということで、率直な感想を教えてください。
脚本・阪口和久さん(以下、阪口):白土三平氏のアニメのナレーションではありませんが、「よくぞ見つけていただいた!」と(笑)。
影から影へ行ってしまうのかなと思いましたが、ここで見つけていただいて、ようやく10年ちょっとで日の目を見ることができました。大変嬉しく思いました。忍者としては失格ですが(笑)。
──テレビアニメは1993年から放送が始まり、現在も32シリーズが続いていますが、阪口さんご自身が作品に出会ったきっかけを教えてください。
阪口:ある日、別の番組の打ち合わせをしていた時、師匠の浦沢義雄さんが「ちょっと来い」と声をかけてくださって、連れて行かれたのが忍たまのシナリオ会議だったんです。それが、初めて『忍たま乱太郎』に出会った日でした。
わけも分からぬまま(制作チームに)入れられていました。浦沢さんはそういうことがよくあって、何も聞かされぬまま行くと仕事をいただけることもあります(笑)。
──その時の作品の第一印象はいかがでしたか?
阪口:ちゃんと忍者の術を描いているという印象が強かったです。白土忍法でもなく、ドロンと化けるような忍法でもない忍者をきちんと描いていて、しかもギャグ漫画ということで。
当時、朝日小学生新聞で連載されていて、ほぼ私が触れてこなかったところで連載されていた作品なので、「こんな作品があったんだ」と思いながら脚本を書いていました。
──続けて、その時に感じた作品の魅力もお聞かせください。
阪口:あの頃はまだ尼子さんが漫画を描き始めて数年しか経っていなかったと思います。今でこそ長編が多いですが、当時は短編中心で起承転結があり、その時から面白く私も笑っていました(笑)。
──それでは映画についてお伺いしたいのですが、映画の原作『小説 落第忍者乱太郎 ドクタケ忍者隊 最強の軍師』は2013年に刊行されています。小説を書こうと思ったきっかけを教えてください。
阪口:小説を書きたいという気持ちはずっとありました。
私は田舎から小説家を目指して上京して、20歳ぐらいの時に『うる星やつら』を見て、「テレビでこういう物語を放送できるんだ」と思ったのがきっかけで、アニメ業界に足を踏み入れました。
その後、ミュージカル「忍たま乱太郎」(通称:忍ミュ)のシナリオを書く機会があり、当時は50歳でしたが「長物でも集中力が途切れないな、これだったら小説も書けるかな?」と思って、宴席の酔いに任せて尼子さんに言いました。
『忍ミュ』の第3弾をご覧になった尼子さんが大変満足されていたようなので、宴席に呼ばれまして、ついつい調子に乗って言いました……(笑)。
──その時点で小説のおおよその構想はあったのでしょうか?
阪口:全くありませんでした!(笑)。
家に帰って、「どんなものを書こう?」と。長編にしなければいけないし、敵はドクタケにしようとか、新キャラは出さない方がいいのかな?と四苦八苦しながら(笑)。
尼子さんにはジメジメしたものではなく笑えるものを書いてと言われましたけれども、ご期待に沿えられなくてあのような少しシリアスなラストへ行きました。当時50歳でしたが、恥ずかしながら自分で涙を流しながらパソコンに向かっていました……(笑)。
評価は人それぞれだと思いますが、手応えという意味では「書き切った」という気持ちが自分の中にあったんだと思います。
──シリアス描写など、今までのTVシリーズになかったものを取り入れようと思ったのは阪口さんのご発案だったのでしょうか?
阪口:発案というほどでは……書いたものを尼子さんに見せました。尼子さんからは「クソ真面目だ」とよく言われています(笑)。
ですが、僕の悪い部分が出た感じが良かったかもしれません。小説は200ページほどありますが、ギャグ一辺倒で200ページ書き切るのは私の腕で持たせることは難しいと思います。ということで、先生に叱られながらも読み応えのあるものを残したいという思いがありました。
浦沢さんと同じ路線はダメということで反対に行ったら、尼子さんに「クソ真面目」と言われちゃいましたが、それはそれで評価していただいていてありがたいと思っています(笑)。
小説は『忍ミュ』の脚本を書いている時の流れで書いているものなので、一年生がほぼ乱太郎・きり丸・しんべヱしか出てこなくて。映画では全体的な3人の比重を増やし、最後の方で他のは組たちも出すことでバランスは取れたと思います。
一年生の活躍を多くする案は藤森雅也監督の提案です。原作小説を映画化してみなさんにより楽しんでいただくためにも、この監督の提案が的確だったと感じています。アフレコ映像を見ても、素晴らしい作品に仕上がっていると思います。
藤森監督と一緒に制作を進めるにあたって特に印象的だったのは、藤森監督が制作スタッフ陣に「城跡を見に行きたい」と軽く言ったことです。私にはない腰の軽さというか、私よりも具体的なビジュアルを画で見せる仕事なので、作品のための取材に対する姿勢は見習わねばと思いました。
──小説で世界観を描いたりキャラクターを動かしていく中では、どのような点を意識されていたのでしょうか?
阪口:まず原作から離れすぎないように意識しました。小説と漫画では表現方法が異なるので、「会話の仕方も違うのだな」と思いながら書き方にも気を配りました。だからシリアスになっちゃったのかな……?(苦笑)
漫画やアニメだったら視覚的な画という助けがありますが、小説はそういうわけにはいかないので。読者の方々が頭の中でアニメの声を再生できるようにするのが一番かなと。外れないようにしなければいけないが、でも一緒ではないよな。喩えていうのであれば、竿で強引にバランスを取りながら綱渡りしてゴール(脱稿)に向かって行く。そんな感じです。
とにかく全然違うキャラクターになってはいけないけれど、同じである必要はないという部分を意識しました。小説という媒体にあった台詞にしようと思っていましたね。
──小説を書くにあたってキャラクターについてなど、調べたりしたのでしょうか?
阪口:六年生同士の会話で「こうしたら面白いし、六年生らしい」という自然さを作るようにはしました。15歳で今でいう中学生ですが、精神年齢は高く、仕事に対しても真摯に向き合っているだろうと。