
時代を超えて交差する「よい芸」と“古典”を現代に表現する意義──アニメ『ワールド イズ ダンシング』監督・黒柳トシマサさん×アニメーションプロデューサー・溝口侃さん対談インタビュー
「秘めていた花が、やはりたくさんあったんだなと(笑)」
──鬼夜叉の日常などはコミカルに、一転「白拍子の舞」などはおどろおどろしさを感じました。本作の映像表現におけるこだわりについてもお聞かせください。
黒柳:今回は、原作より幼い鬼夜叉からスタートしています。鬼夜叉の成長をちょっとずつ感じていただくことを想定しているんですね。
僕としては、さっきまで怒っていたと思ったら今は笑っているなど、コロコロしていた様子から気持ちがだんだんと内面へ向かっていくことが、大人になっていく過程かなと思っています。特に第1話、2話あたりで鬼夜叉が元気にチャキチャキやっているのは、そういうことだと思います。話が進むにつれてバランスが取れていくかもしれないですね。
溝口:ともすると室町時代ということもあって、色々な不条理があります。お話自体も回を追うごとに真面目になっていって、でもやはり真面目だけだと辛い気持ちになりきってしまう。それに対する緩衝材としてのギャグ、日常の明るい要素を入れたいというお話を黒柳さんからいただいていました。
──実際に鬼夜叉を演じた花守さんをはじめ、錚々たる方々が出演されている本作ですが、アフレコはいかがでしたか?
黒柳:役に没入して演じてくださっていたので、毎回のアフレコが楽しみでした。さらに役者さん一人ひとりの作品に対する理解度がすごく高くて。
アフレコを行う前に毎回「今回はこういった狙いです」とお話しをさせていただいたのですが、そんなことをするまでもなく皆さん本作の世界に入りこんでいたのかなと思いました。川滿(佐和子)さんの脚本がすごく面白かったというのもあって、役者さんたちも「脚本がすごく面白いんだよね」と話してくださっていて「やったー!」という感じでした(笑)。
溝口:(笑)。一話数を何か月、場合によっては年という時間をかけながら作っている中で、声優さんたちが演じられるのは一日だけなんですよね。だから現場によってはどうしても我々と温度感が違うときもあるんです。
でも今回は、我々が時間をかけた熱量に応えてくださいました。たった一日ではあったものの熱量を持っていただけたなと感じています。そのおかげで気合いの入った作画に全然負けていない、むしろ絵の方が負けかねないお芝居になっていて(笑)。
それを元に僕らも、より気合いと気持ちを入れて作ることができました。お互いが作品に向き合っていることが伝わるアフレコだったのではないかと思います。
──ちなみに、鬼夜叉を演じる花守さんとのお話で印象的なエピソードはありますか?
溝口:いくらでもあるような気がします(笑)。
黒柳:いっぱいお話ししましたから(笑)。
花守さん自身も、自分にとって何が「よい」のかを鬼夜叉と一緒になって探してくれたのかなと思っています。その話数ごとに鬼夜叉の気分は変わるのですが、その変化にフィットした形でお芝居をしてくださいました。今回は特に、いわゆる「記号的なお芝居はやらないでほしい」と最初から言っていて。
──「記号的なお芝居」ですか?
黒柳:自分が喋っているようにやってほしい、ということなんですね。鬼夜叉というキャラクターを演じるのではなくて、自分がそのまま役になっているような形で演じてほしい。要するに生っぽさというのでしょうか。最初によくその手のお話をしていましたが、見事でしたよね。
溝口:見事でしたね。花守さんは鬼夜叉と年齢も違いますし、境遇も違うと思うのですが、鬼夜叉が体験したことを自分の体験として降ろすような感覚があるのかなと。鬼夜叉は第3話以降も色々な体験と経験をしていきますが、嬉しいことも悲しいこともいっぱいあるんです。その嬉しい、悲しい気持ちを自分の体験に当てて「こういう感覚だった時のこれ」として咀嚼してくれる。そこからさらに「鬼夜叉だったらどうだ」と重ね合わせてくれていて。結果的にすごく生っぽいんですよね。ちゃんと人物として喋ってくれているといいますか。
本来、鬼夜叉はすごくキャラクター的なんですよ。めちゃくちゃ可愛いし、見栄えもいいし。今回のアニメにおいて、どこかしっかりとした人間味を感じることができて、感情移入もできるのは、花守さんがそういうふうに息を吹き込んでくれたからだと思っています。
──昨今“生っぽい”という表現をよく聞くようになりましたが、実現するためには相当練度が必要なのだろうと思っていました。
黒柳:生っぽい芝居を求めていても、作品の内容が生ではないときも当然あって。そこら辺がチグハグに感じることも時々ありますね。今回は作品的にも生っぽさを求めて描いていたので、相性が良かったのではないかなと思います。
──花守さんにもお話しをお伺いしたのですが「この子は笑っているように見えて泣いていてほしいし、怒っているように見えて楽しんでいてほしい」というディレクションがあったとか。
黒柳:僕だったか、溝口さんだったか……。
溝口:(笑)。
黒柳:表情は笑っているけれど感情は泣いている……そのまんまですが(笑)。そういうお芝居を求めたシーンが多かったですね。
──その感情が、舞う理由にも繋がる。
溝口:そうですね。良いように言うと、通常のアニメキャラクター声というものは、どちらかというと歌舞伎的だと思うんです。しかし生っぽい芝居というものは、能楽的で引き算の手法。やはり「秘める」ことが大事なので、そういう意味では能楽的にも「生っぽさ」はテーマ性にも繋がっていくのかなと思っています。
「キャラクター」という言葉が意味するは「記号化する」「強調する」という意味だと思いますが、そことは別の「強調しない」「でも伝わる」という演技が大事なのかなと。そう思って始まったアフレコでした。
──足していくのではなく、お芝居の要素を引いていく。
溝口:能楽の考え方だと、芝居感は7割でいいんです。普通にお芝居をすると10割になりますが、7割に抑えることで逆に伝わるようになるんですね。3割に想像の余地があって、観ている人がその3割を補填することによって伝わる。10割を出してしまうと「あなた」でしかなくなってしまう……花守さんはこの考えを意識してくれたのかもと思っています。
アフレコが終わった後のインタビューなどを聞いていると、収録期間中に聞けなかったエピソードを花守さんがたくさん話してくれていました。
黒柳:そうですよね(笑)。
溝口:秘めていた花が、やはりたくさんあったんだなと(笑)。めちゃくちゃ熱い想いを語ってくれて、会う度になんて良い人なんだと思っています。こんなに作品を好きでいてくれる主人公は嬉しいです。
































