アニメイトタイムズ×FUN’S PROJECT 特別企画 第9回 数々の人気アニメ主題歌を手掛けるFLOW。その曲作りに迫る!
アニメ声優系ニュースサイト「アニメイトタイムズ」と、クリエイター共創サービス「FUN'S PROJECT」のコラボ企画! さまざまな分野で活躍するクリエイターが語る「『つくる』楽しさ」を発信する特別企画、「クリトーク!」。
第9回となる今回の特集では、4月10日にニューアルバム『TRIBALYTHM』をリリースしたFLOWの皆さんにお越しいただきました!
FLOWはデビューして16年目の5人組ロックバンド。テレビアニメ『NARUTO -ナルト-』主題歌「GO!!!」をきっかけに、『交響詩篇エウレカセブン』、『コードギアス 反逆のルルーシュ』、『テイルズ オブ』シリーズなど、数々の人気アニメの主題歌を飾るようになりました。いわば “アニメ×ロック”の融合の先駆者的存在です。
今回のテーマは未来のクリエイター・アーティストに向けてのメッセージ。バンドに興味を持っている若者に向けて、インタビューに答えていただきました。
“バンドってどうやって組むんだろう”“どうやったら曲を作れるようになるんだろう”“FLOWの場合はどうやってその道にたどり着いたのだろう”──そのヒントを教えてもらうため、FLOWが駆け抜けてきた「DAYS」を振り返っていただきました。
──今回のインタビューのテーマは“未来のクリエイター・アーティストに向けてのメッセージ”です。FLOWの姿勢、生きざまから「どうやってバンドを組めばいいのか、どんなことをしていくべきなのか」のヒントをいただければと思っています。まずはバンド結成の経緯を教えてください。
KOHSHI:……なんだっけかなぁ……。
一同:(笑)
──FLOWは今年でデビュー16年目。結成に至っては随分と昔のことですもんね(笑)。オフィシャルHPのバイオグラフィの最初には、1992年「中学3年生になったKOHSHI少年(Vo)は、こよなくhideを愛していた。そんなhideの、ギターを弾いている姿に憧れ“俺もhideになる”と、意味の分からないことを心に誓った」という記述があります。
KOHSHI:そうです。もともと浅川兄弟(KOHSHI&TAKE)でX(X JAPAN)のコピーバンドをやってたんですけど、オリジナルをやってみようということで、2人で十何曲作ったんです。それをきっかけにFLOWが生まれて、それぞれのメンバーが集まっていきました。
──順を追って伺っていきたいのですが、ご兄弟でバンドを組むのは自然な流れだったんですか?
KOHSHI:2人ともXが好きで、東京ドームのカウントダウンライブとかに一緒に行っていて。共通した趣味、好みを持っていたのでバンドを組むのは自然な流れだったと思います。「俺はhideじゃん、TAKEはPATAじゃん」って。
TAKE:兄弟ツインギター。音楽がつないだ兄弟愛です。
KEIGO:何言ってるの(笑)。
TAKE:ちょっと茶化さないで、俺たちの兄弟愛を!
KEIGO:ええ、今のはボケじゃないの……!?
一同:(笑)
──ところで当時KOHSHIさんがギターを購入するときにTAKEさんの分も買ってプレゼントしたそうですが……HPには「TAKEの銀行口座からはしっかりとギター代金が引かれていた」とも書かれています。これは本当の話ですか……?
KOHSHI:本当です(笑)。HPコピペしてもらっても構わないくらい。
TAKE:はい。あれが楽器を始めるキッカケでしたね。詐欺まがいのああいうことがなければ、ギターも弾いていなかったと思いますし……。
KOHSHI:詐欺まがい(笑)。
TAKE:でもね、ふたりで始めたことで続いたんだと思いますよ。
KOHSHI:部屋でセッションできるもんね(笑)。おもむろにアンプにギターをつなげてすぐに音を出せる。
──確かにバンドにとって最強の環境と言えますよね。お二人で結成したコピーバンドのライブに頻繁に通われていたのがKEIGOさんとのことですが、KEIGOさんは、KOHSHIさんと同じ高校の同級生だったんですよね。
KEIGO:そうです。
KOHSHI:同じ部活で仲良くしていた友達でした。高校生のときにやってたXのコピーバンドのライブに毎回来てくれて。
TAKE:最前でいつも暴れてて、俺らより目立つなよ~って(笑)。
──オリジナル曲を作るようになった翌年の1999年にKEIGOさんが加入されています。
KOHSHI:最前でいつも楽しそうにしていたので「ツインボーカルにしたいな」と思ったときに(KEIGOに)声をかけたんです。
──KEIGOさんはKOHSHIさんにバンドに誘われたときはどんな心境だったんでしょうか。
KEIGO:KOHSHIから「FLOWのボーカルに当選しました!」と電話がかかってきて。「ありがとうございます」って言ったことを憶えています(笑)。最初は本当に軽いノリというか。バンドやるのも初めてでしたし、自分が音楽をやるとも思ってなかった。でも見ていて楽しそうだったので「やったらどうなるんだろう、楽しいかもしれない」っていう感じで入りました。
──さらに同年GOT’Sさん、2000年にはIWASAKIさんが加わります。GOT’Sさん、IWASAKIさんはどういう流れで合流するんですか。
KOHSHI:もともとベースもドラムもいたんですが、その2ポジションがメンバーチェンジを繰り返していたんです。で、当時バイトしていた渋谷クラブクアトロ(クアトロ)で一緒に働いていたGOT’Sがベースをやってると耳にして。「ちょっと手伝ってくれないかな」って。
GOT’S:そう。それで……確か「まあいいよ、やろう」って返事したと思うんですけど。
KOHSHI:いや、最初は渋ってた気がする(笑)。
TAKE:確か最初はひとりで入るのが嫌だから、ケンさんがいるならいいよって言ったんだよ(笑)。当時、たまに一緒に弾いてくれるケンさんって方がいて。1曲だけ、なぜか僕が歌う曲があったんです。そこで弾いてもらったりしていて。
KEIGO:その時は俺が(バックステージに)はけるっていう(笑)。すごく変則的なステージで。
TAKE:超トリッキーでした(笑)。今考えると出しゃばりだったよね……。
GOT’S:僕はそういうところが良いって言ってたんですけどね(笑)。最初はヘルプで何本かライブをやって。メンバーがいない、でもライブがある!って状況だったので、入った感じでした。
──では、IWASAKIさんは?
IWASAKI:同じような感じですよ。共通の知り合いというか……クアトロで働いていた人が午前中だけ僕のいた職場に来ていたんです。その人から「ドラマ―を探してるバンドがあるんですけど、どうですか」って声をかけられて。
KOHSHI:でも最後までいわちゃん(IWASAKI)は加入してほしくなかったというか……。客観的な情報で友達から「全身タトゥー入ってる年上の怖いお兄さん」と聞いていて(笑)。だからその前にGOT’Sの友達や他のひとに叩いてもらったりしてたんだけど……いよいよスケジュールがヤバいとなって。「もうタトゥー兄ちゃんいくか!」って。
KEIGO:「こえーなぁ」って言ってたよね。
TAKE:「でももうこのカードを切るしかない!」。
KOHSHI:それで声をかけたのがIWASAKIさんでした。
──最後の砦的な存在だったんですね……(笑)。
IWASAKI:はい(笑)。
──でも運命的な出会いだなとも思います。ところでベースとドラムの入れ替わりが激しかったのは、何か理由があったんでしょうか。
TAKE:バンドあるあるなんですよ、これ。ベースとドラムって人数が少ないのでどうしても希少価値が高くて。ギターとボーカルはたくさんいるんですよね。最初楽器を始めるときってギターが多かったりして。そのギターの延長上でベース始めるひともいたり……今ではベーシストも目指す人増えてきたとは思うけど、ドラムの場合はやっぱり機材が大変だから。スタジオに行かないと練習できないし、手が出にくい楽器なので、人口的にも少なくなってしまう。そういう意味では、(IWASAKIは)引っ張りだこだったと思いますよ。
IWASAKI:いやいや、全然。普通にバイトしてましたよ。
──IWASAKIさんは加入当初なかなかスタジオに現れなかったそうですが……。
GOT’S:そこをつっこむと長くなるから、あえて言わないようにしてたんですよ!(笑)
IWASAKI:厳密にいうと最初はちゃんと行ってたんです。「お手伝いします」となってから、ライブ2、3本決まってたのかな。それをやって、本番終わったあとに「練習があります」って言われたんですが……。でもまぁ忙しかったんで、ええかなって……。
KOHSHI:「来ない」とも言わないんですよ。連絡もつかない。だからひたすらスタジオで待ってるという。
TAKE:ドラムがいればなんとか形になるんですよ。ベースやギターがひとりいなくても、なんとか練習はできるんです。でもドラムがいないと本当に何もできなくて、ただのアコースティックになってしまう。分かります? リズムのない竿(ギターやベースなど)と歌しかいない、スタジオの切なさを分かりますか……。
一同:(笑)
──(笑)話が変わるんですが、本格的にバンドで勝負していこうと思われた時期はいつくらいですか。
TAKE:これで勝負していこうってなったのは、やっぱりこの5人になってからですね。いわちゃんはリハーサルにはこなかったくせに、正式加入するという話になったら急に仕切り始めて。「お前たち、デモつくらんとダメやろ!」って言い始めたんですよ(笑)。
IWASAKI:(笑)
KOHSHI:急にドラマのようになった(笑)。「合宿しようぜ!」って。
GOT’S:しっかりしましたね。
TAKE:そこから真剣に音楽バンド活動がスタートした感じです。
──同時に音楽で食べていこう、と決意した瞬間でもあったんでしょうか。
GOT’S:音楽で食べていこうと思ったのは、(2003年に発表した)「贈る言葉」が売れてからかなぁ。今思えば、売れなかったらどこかでやめていたかも……そうじゃないと、この年齢までやっていけないですもんね。だからそういう覚悟があったかというよりかは、売れたからこそ覚悟ができたのかもしれない。
KEIGO:僕の場合は、大学を卒業する時点で就職することをやめたんです。「とりあえずバンド活動で頑張ってみよう」って。でもGOT’Sと同じように、徐々に覚悟を決めていったような気がします。実際にうまくいくか分からなかったしね。でも事務所が決まって「あ、一歩進んだ」と思ったことは憶えています。
GOT’S:でも安心はできないな、と。メジャーデビューをしても1年くらいでやめていく人たちもいっぱい見ていましたしね。
TAKE:今の時代と違って、当時はCDを出すことがすごく難しかった。当時インディーズが流行っていた時代ではありましたけど、僕らの場合は、事務所なり、レコード会社と契約しないとレコーディングすらできないという状態でした。今は街スタを借りてドラムさえ録っちゃえば、宅録(自宅で録音)できるし、インターネット上で自由に発信できるツールができているじゃないですか。でも当時はCDを作ることがある種のステータスだったし、最初の目標でもあった。まずはそこに向かってひとつひとつクリアしていった感じだと思いますね。
──確かに当時はCDを出すことが大きなハードルでしたよね。発信することがすごく難しかった。
GOT’S:そうそう、その手段を絶たれるとバンドとして活動できなくなっちゃうから必死でしたね。
IWASAKI:盤で出したいという欲望も強かったし。この5人ではじまったころって、まずはデモテープ(カセットテープ)だったもんね。
GOT’S:500円で売ってましたよ(笑)。
TAKE:この間ある若手バンドがMCで「CDデビューします! あとで物販で発売します、よろしくお願いします!」って言っていたんですが、CD-Rで焼いたもので。「それはCDデビューちゃうやろ!」って(笑)。バンドの目指すところが徐々に変わってきているんだなと実感しましたね。
事務所、レコード会社 それぞれに所属するまでの道のり
──先ほど事務所のお話が上がりましたが、アミューズに所属された経緯を教えてください。
IWASAKI:もともと、その前にビクターの養成所に拾われていたんです。そこでインディーズCDを作ることになったんですが、そのリリースイベントにアミューズのスタッフさんが来てくれていて。それでご飯を食べにつれていってくれて……「どうですか?」と。
GOT’S:俺だけなのかもしれないけど、当時は「事務所」って存在が分からなくて。「レコード会社」しか知らなかった。だから最初はいまいちピンとこなかったんですよね。
TAKE:(笑)全然分からないがゆえに、事務所が決まったからCDデビューできるのかな?とは思ってた。だけど、事務所が決まったあと、レコード会社がなかなか決まらなくて。で、レコード会社と事務所が合わさってやっとデビューできるんだ、ってことを知るという(笑)。
──今は活動の選択肢が広がっていますが、当時は事務所に所属したあと、レコード会社に入ってメジャーデビューするのが主流でした。FLOWの場合はその後2003年にKi/oon Musicからデビューされますが、そのきっかけというのは?
IWASAKI:個人的には、所属していた養成所からデビューするものなのかな?と思ってました。
TAKE:バンドによって色々な場合があるんですよね。養成所のレコード会社からCDを出す場合もあれば、他の会社からデビューする場合もある。で、あと半年くらいの養成契約でこれが決まらなかったら終わりかもしれない……という時期のプレゼンライブで、Ki/oon Musicさんが手をあげてくれたんです。
──そうだったんですね!
TAKE:それまでも手をあげてくれそうになった人はいたんですけど、ライブでボーカル2人が傘を回す演出をしたんですけど、それをやった瞬間に皆さん手をすごい勢いで下げたんですよ。
KEIGO:傘の演出を始める瞬間に「手をあげそうになったよ、あぶな!」……って雰囲気が漂う(笑)。
GOT’S:誰も目を合わせてくれない。
TAKE:そんな中で1人だけあげてくれて。「あげたーーー!」って。
一同:(笑)
KEIGO:Ki/oon Musicさんだけ傘を回す演出を「あれが面白かった」って言ってくれたんです。
──傘が功を奏したんですね! ところで傘を回す演出とは……?
TAKE:「Rainy Day」って曲があって間奏のとき、ボーカル2人がステージの両サイドでまわすんですよ、傘を……。
GOT’S:なんでやったかっていうと、アミューズのアーティストさんのライブでそんな演出をやっていたんだよね。それを見て「これだ!」って(笑)
──でもそれがデビューのキッカケになったというのは、とても興味深い話です。
TAKE:あの傘演出から16年ですよ。捨てる神あれば拾う神ありっていう……誰かが見てくれていたんだなと。
──レコード会社が決まった瞬間というのはどういうお気持ちだったんですか?
GOT’S:単純に嬉しかったですね。
TAKE:目まぐるしかったですね。デビューすることは決まったんですが「もう少しインディーズで経験を積んだほうがいい」ということになって、まず『SUNSHINE 60』を作りました。続けて、ミニアルバム『Like a Rolling Snow』を出したんです。2枚とも「季節を大切にする」がテーマになっていたので、そこから派生して、卒業シーズンに「贈る言葉」のカバーを発表しました。さらに「メロス」、インディーズベストを出して、いよいよメジャーデビューという形でしたね。
IWASAKI:(デビューシングルの)リリース前日だったかな? 渋谷の駅前で路上ライブをやったのを憶えてるな。
──FLOWは路上ライブもやられていたんですか?
IWASAKI:ストリートはずっとやってましたよ。
TAKE:デビューが決まっても急にお客さんが増えることってないんですよ。そこは自力で取りにいかないといけないから、ストリートライブをやりながらCDとチケットを手売りしていました。
これはレコード会社が決まる前の話ですけど、アミューズの偉い方から「ワンマンをやれ」と言われていたんです。それでワンマンをやることになった場所が渋谷O-WEST(当時:渋谷ON AIR WEST)だったんですけど……200人弱入ってしまうので、一生懸命友達に声をかけて。でも友達だけじゃワンマンはできないから、ストリートで手売りしていこうと。
KOHSHI:当時は常に対バン(共演者)の客を取ることを意識してた。でも1人、2人くらいしか増えなかったんですけどね。「贈る言葉」で爆発的に増えましたけど。
──先の話題にもあがっていた「贈る言葉」は、インディーズで異例の30万枚を超える大ヒットでしたもんね。
KEIGO:「あれ、友達じゃないよね!?」という人も来てくれるようになった(笑)。
GOT’S:渋谷O-WESTでのライブはなんとか友達を呼んで形になったんですよ。で、また次のワンマンを切らなきゃいけない、と。「じゃあ次はクアトロにしよう」「友達で埋め切れないよ!」なんて話をしてたんだけど、クアトロは即完して驚いた。
KEIGO:「贈る言葉」のタイミングで『ミュージックステーション(Mステ)』に出させてもらったことも大きかったよね。
GOT’S:不思議だったよね。「一週間後Mステです」って言われて驚いた記憶があります。すっごい気合入れて練習したなぁ。
──ところで、さきほど“傘の演出”をGOT’Sさんは真似とおっしゃっていましたが、誰かのステージの影響を受けて、それを自分たちなりに消化して、アウトプットしていくというのは、バンドにとって大事なことですよね。
GOT’S:ああ、確かに。ライブで使ってるお立ち台とかもそういうきっかけじゃなかったっけ? 今となってはみんな使うけど。
IWASAKI:(ミクスチャーバンドの)JINDOUかな? ビールケースを使って路上ライブをやってたんですよ。
TAKE:ライブハウスだとお客さんがみんなステージ見えないんですよ。(モニターに)足をかけちゃいけないって決まりもありますし、一段高くして、後ろまでアピールできるようなステージを作ったほうがいいんじゃないかって。
──いろいろな形でアピールをすることも大事ですね。
GOT’S:完全に忘れてましたけどね、お立ち台の経緯(笑)。