TVアニメ『地獄楽』山田浅ェ門佐切役・花守ゆみりさんインタビュー|彼ら・彼女らの生き様、死に様を見届けてほしい
時は江戸時代末期。死罪人たちが無罪放免のために不老不死の“仙薬”を求め、極楽浄土と呼ばれる島で生死を賭けて戦う物語『地獄楽』。原作シリーズ累計発行部数が400万部を突破した本作(著:賀来ゆうじ)のTVアニメが、2023年4月1日(土)23時より放送されます。
放送に先駆け、画眉丸(演:小林千晃)の打ち首執行人・山田浅ェ門佐切を演じる花守ゆみりさんにインタビューを実施。本作の魅力についてはもちろん、強さと弱さを兼ね備えた佐切を演じる上で意識したことなどを語っていただきました。さらに、花守さんが組みたい“打ち首執行人”と“死罪人”、『地獄楽』の一つのテーマである“信条”についてもお話いただきました。
これ以上にピッタリなタイトルはない
――花守さんが『地獄楽』について「表裏一体のものがたりである」とコメントしていたのが印象的でした。その内容を踏まえ、改めて本作の魅力をお聞かせいただけますか。
花守ゆみり(以下、花守):『地獄楽』という3文字のタイトルが物語のテーマそのものだと感じています。読み終わって改めてタイトルを見た時に、「これ以上にピッタリな題名はないんだろうな」と思うほど、作品のすべてを表していてとても感動しました。
オーディションの時に『地獄楽』を全巻読ませていただいたのですが、執行人と死罪人が組んで不老不死の仙薬を求めて“極楽浄土”と呼ばれる島へ行き、未知の強い化け物たちがいっぱいいる中、死罪人は無罪放免を奪い合う。一見、王道の少年マンガと感じるのですが、蓋を開けてみると想像以上にキャラクターたちが葛藤しているんですよね。男と女、強さと弱さ、愛と憎、そして生と死……相反するものの中で悩み、苦しむけれど、実はこれらすべては表裏一体で、互いがあってこそ成り立つ。言葉だけで見ると対比しているけれど、実はこれって一つとして捉えることができる。いろんなシーンで、表裏一体が描かれているんですよ。
――『地獄楽』のタイトルも、“地獄”と“獄(極)楽”という相対する言葉が組み合わさっていますしね……。
花守:地獄があるから極楽が存在する。死罪人がいるから執行人がいる、というのも同じですよね。
キャラクターたちはそういったさまざまな葛藤を「断ち切りたい」と思っているけれど、それはなかなか難しい。だから、その葛藤を受け入れるんですよ。弱さを受け入れて、強くなっていく。そういう姿が描かれています。
――それこそ花守さん演じる佐切は、第1話では凛とした強さを感じますが、話が進んでいくにつれて弱さが見えてくるキャラクターでもありますよね。
花守:そうなんですよ……! 第1話と2話で描かれる、佐切の強さと弱さはすごくおもしろいなって。「こういう一面もあるんだ」と常に気づきがあるんですよね。賀来先生の描くキャラクターの揺らぎ方、バランス感覚が本当に素晴らしいと思いました。
佐切だけではなく、それぞれのキャラクターもみんな表裏一体となる要素が描かれているので、読んでいてどんどん引き込まれていきました。物語の最後まで「『地獄楽』とはそういうことなのか」と思わされます。
恐れや焦りが佐切の“揺らぎ”に繋がっている
――佐切の葛藤や心の揺らぎを、花守さんはどのように表現していたのでしょうか?
花守:恐れや焦りが佐切の揺らぎに繋がっていると考えて表現しました。佐切は自分が経験してきた事柄においては素早く判断ができるのですが、未知の敵と遭遇するなど想定外の事柄が起きた時は恐れや不安から思考が停止してしまうことが多い子だと思います。その理由は彼女の原体験にあると思っていて。尊敬する父がいて、たくさんの兄弟子がいて、習う、そして倣うべき人が近くにいたからなんですよね。そういう人がいなくなった状況に不慣れなので、想定外の事象に恐れや焦りが生まれてしまう。一方、画眉丸たちは受け入れすぎなほど受け入れてしまうので、それがさらに焦燥へと繋がっていくんです。ある意味普通の環境で生きてきた佐切は、普通とはほど遠い環境で生まれ育った画眉丸たちのように感性が豊かではない。だから判断が鈍り、動けず、後悔する。
このように、佐切の中には恐れや焦りが常にあるので、そこを意識しました。でも泣きはしないんですよ。「佐切はいくら怖くても悔しくても、泣きにはいかない」と音響監督さんと監督さんに言っていただいたので、それが彼女の強さでもあるのだろうなと受け取って表現しました。
――それは、“堪える”とはまた違う表現なんですか?
花守:“堪える”とは違うかもしれません。佐切は自分に侍としての自覚があるので、根底に「ここで泣いたら侍として負けだ」という意思があるのだと思っていて。どんなに自信がなくても、危機的な状況でも、仲間が無残な死に方をしても、「泣くわけにはいかない」という譲れない意思が、彼女の強さを繋ぎとめている。なので、弱さのストッパーである「自分は侍である」という意志を表現している気がします。
相対する強さと弱さが佐切と画眉丸を繋いでいる
――佐切の弱さを支える一部には、画眉丸の存在もあるように思います。花守さんはどう感じますか?
花守:佐切が持っていない強さを画眉丸が持っているんですよね。きっと佐切は画眉丸の強さに憧れているのだけど、そんな彼にも柔らかい部分があると理解している。おもしろいですよね、自分の強さを理解していなくて自分の弱さに迷ったり葛藤したりするのに、画眉丸の強さと弱さを理解しているなんて(笑)。それはお互いにない強さと弱さを持っているからなのでしょうけど。
――この2人の関係性ってすごく不思議ですよね。相棒と表現するのもまた違う気もするし……。
花守:はたから見るとバディなんですけどね。2人に「バディだよね」と言ったら「そんなんじゃない!」と返されるのだろうと思います(笑)。