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当初は『おジャ魔女どれみ』ではなく『おジャ魔女おんぷ』というタイトルで進んでいたんです ―― 『おジャ魔女どれみ』ができるまで | 東映アニメーション 関弘美プロデューサーインタビュー【前編】
飛鳥ももこは宇多田ヒカル人気の影響を受けて誕生!?
――メインキャラクター以外のキャラクターはどのように生まれていったのでしょうか?
関:『おジャ魔女どれみ』がスタートして、そこから2年目(おジャ魔女どれみ#)が決まった時に、どうしようかと相談したのは新しく登場させるキャラクターのことです。年上にするのか、同じ年の子にするのか、はたまた転校生にするなど色々な案が出てきました。
ただ、年上の子が入ってくるとどれみちゃんたちを引っ張るようなお姉さん役になってしまうから、それはあんまりよろしくないよねと。それよりも無印の4人がチームワークを組まないとできないことにしましょうということで、はなちゃんという赤ちゃんを登場させて、テーマも「子育て」にしました。
これはビジネスの話になりますが、うちの過去の作品で『キャンディ♡キャンディ』がありましたが、この作品のグッズで抱き人形がたくさん売れた実績があったんです。ついこの間まで赤ちゃんだったような5〜6歳の子供たちが、小さな乳母車みたいなものに人形を乗せて、赤ちゃんを育てているみたいに遊んでいたんですよ。そういう実績もあったので、それなら「子育て」というテーマで赤ちゃんを出して、その要素をビジネスにしていこうと決めたのが2年目の『おジャ魔女どれみ#(シャープ)』の準備を始めた時でした。
さらに3年目の『も〜っと!おジャ魔女どれみ』の時は、ももちゃん(飛鳥ももこ)という帰国子女が入ってきますが、ここにもバックボーンがあります。ちょうど第1期の準備をしていた1998年頃に遡りますが、衝撃的な芸能人がデビューしたんですよ。
――それは……?
関:宇多田ヒカルさんです。ネイティブのバイリンガルで素晴らしい英語を話す彼女が、あの歌(Automatic)でデビューして芸能界中が騒然となったんです。その宇多田ヒカルさんが1998年にデビューして、1999年に『おジャ魔女どれみ』の放送が始まります。
その後は2000年に『おジャ魔女どれみ#』、2001年に『も〜っと!おジャ魔女どれみ』と続きますが、番組の準備をするのは大抵は1年前です。2000年の時点で宇多田ヒカルさんの人気は、沸騰を通り越して小学生にまで広がっていたんです。
これはアニメの人気を図る時のうちの会社のバロメーターなんですが、アニメは人気作品ほどファン層の年齢が下に広がっていくんですよ。例えば『鬼滅の刃』みたいな大ヒット作品も、最初はハイターゲット(大人層)から始まっていますが、今は人気が小学生か更にその下にまで広がっていましたよね。放送からわずか2年くらいでそこまで広がるんです。そして、そこまで広がるのが本当の人気のバロメーターなので、年齢が下の層にも広がるというのは誇らしいことなんです。
宇多田ヒカルさんも同じで、小学校から帰る子供とすれ違った時に「宇多田の新曲聴いた?」という風に呼び捨てにしていたんです。それを聞いて「これはいける!」と思って、3年目に出すキャラクターを帰国子女のももちゃんにしました。帰国子女の子供が出てきて、しかも十分に日本語が話せなかったりするので、3年目は「文化の違う人とのコミュニケーション」をテーマに織り込むことができました。
こうやって1年目から始まって、2年目、3年目とテーマを作り込んでいくことができたんです。
また、『夢のクレヨン王国』では3歳から6歳の子供がターゲットでしたが、『おジャ魔女どれみ』はもう少し上の8歳までをターゲットにしましょうと話していました。そうすることで色々なジャンルのドラマが展開できるのはもちろんですが、スポンサーさんも幅広い商品展開ができるというメリットがあるんです。
3歳から8歳をターゲットに設定したことで、ドラマの構成として、Aパートは笑いでつかんで、その先のドラマで泣かせるという『おジャ魔女どれみ』の王道のパターンを作ったつもりです。
――ターゲットを2歳ほど広げるだけで、お話に大きく幅が出てくるんですね。
関:おかげで『セーラームーン』とも『プリキュア』シリーズとも違う、特別な視聴率上の変化がありました。それは男の子の視聴者がものすごく多かったんです。それもいわゆるライト層と言われるようなテレビを普通に見ている子供たちです。戦隊や仮面ライダーを見た流れで『おジャ魔女どれみ』も見るんですよ。そして続けて『デジモン』を見るという、とても美しい東映4作品の流れができました。
――たしかにその流れで見ていた人がいた記憶があります。
関:当時、何故なのかと考えていてひとつ気付いたことがあります。
戦隊や仮面ライダーは大人のお兄さんが変身していますよね。だから、小さい子供からすると、自分よりも背が高いくてガタイもしっかりしている人が変身するわけです。『セーラームーン』のキャラクターも頭身が高い人が変身しています。
これらは子供にとってみると“憧れ”の対象なんだと思います。でも、『どれみ』のキャラクターは3頭身半なんです。
――より現実の子供に近い頭身ということですね。
関:そうなんです。他にも『どれみ』には、怪獣が好きな子、将棋が好きな子、サッカーが好きな子など、みんな何かしら好きなものがあるんですよ。どれみも魔女オタクだったので、怪しいお店でマジョリカを見た時に「魔女でしょ?」と言い当てることができたんです。そのあたりがすごく子供たちの“共感”を呼んだのではないかと思います。
これはどういうことかと言うと、“憧れ”は頭身が高いけど“共感”は自分たちと頭身が似ている。そんなキャラクターが自分たちと同じように「もう勉強するの嫌だ」みたいなことを言うし、学校では「掃除をしないで帰った人がいます」と先生にチクっちゃう女子がいたりする。そんな誰でもみんなが持ってるような記憶を掘り起こすことに、上手く成功できたのかなと思います。
別にヒーローやヒロインにならなくても「このキャラクターって自分にちょっと似てるかも」と思ってもらえて、その共感から作品も受け入れてもらえたのかもしれません。
クラスメイト全員の名前と座席表を作りました
――どのクラスメイトにも最終的には感情移入してしまう、その理由が分かった気がします。
関:そんな学校に関しては、佐藤順一監督が「クラスメイト全員に名前を付けて、どこに座っているか座席表を作る」と『3年B組金八先生』を見ている時に思いついた手法を言いだしたんです。
『金八先生』では、その回の主役の生徒にカメラがアップで寄っていくと、近くに座っている生徒もカメラの隅に入っていますよね。それで、この子はどんな生徒かなと気になっていると、別の回では気になっていたその生徒にカメラが寄っていくわけです。そうすると今度は、以前に主役だった生徒とその近くの人がカメラの隅に入ってきます。これを佐藤順一監督はやりたかったらしいんです。
だから、「クラスメイト全員の名前と座席表を作る」と言われた時は、ちょっとリアルに攻めようと思って、私は自分の小学校時代の卒業アルバムを使いました。まずはフルネームで覚えてる友達、下の名前しか覚えていない人、あだ名しか覚えていない人、妹の名前は憶えている人、みたいなのを一所懸命に思い出しながら書き出したんです。
そうしていると「そういえば男の子なのにすごくまつ毛が長い子がいた」みたいな記憶が蘇ってきたんです。本当にまつ毛が長いことが特徴で、マッチ棒を上まつ毛に何本乗るかみたいな下らない遊びをしている子でしたね(笑)。
そういう子供時代の記憶をスタッフみんなで語り合ったんです。下らない遊びやこだわり、バレンタインデーでチョコレートをもらっているやつがいたら絶対にからかってやろうみたいなこととか。そうすると、その中に思いがけないシナリオのネタが転がっているんです。そこからどれみたちとクラスメイトのエピソードを作っていくことができました。
――まさか関さんのクラスメイトたちが元ネタになっていたとは!
関:クラスメイトたちのアイディアには、私の小学校時代の友達がざっと20人くらい入っています。それからシリーズ構成の山田隆司さんの友達も1人、シリーズディレクターの五十嵐卓哉監督と私の記憶を合体して1人にしたり、局プロだった株柳真司さん(朝日放送)の記憶を代弁する人も1人いたり、そんな風に作っていきましたね。本当にスタッフみんなでオリジナルものを作るために、ありとあらゆるアイディアを出していった感じです。
――ということは、どれみの好きな食べ物が「ステーキ」というのも、どなたかモデルがいたのでしょうか?
関:あれは、好きな食べ物はベタな方が良いよねという方針ですね。ただ、ハンバーグというのは当時も今も日常的に食べられるので、好きな食べ物としては逆にリアルではないんですよ。だから、ステーキにするか、すき焼きにするか、しゃぶしゃぶにするかという話になったんです。
でも、しゃぶしゃぶは大人向きで、もう少しあっさり牛肉を食べたいと思う人が好むよねと。また、実はすき焼きというのは、地方によって牛だったり、豚だったりと使うお肉が違っているんです。これは全国区の放送としては宜しくないという話になり、それでステーキが好きな食べ物という設定になったわけです。
これもスタッフみんなして「ベタすぎないか?」「いや、ベタだから良いんじゃない」とか、「なんか庶民的でいいじゃない」という感じで話し合いましたね。でも、泣いている子供を慰めるために初めてステーキを食べさせたお父さんとか、それ以来「ステーキ!」と言いだすどれみというのも可愛いかなと思って。
どれみちゃんの好物を何にするか、落ち込んでいる時でもこれを食べたらテンションが上がる食べ物は何か、というのが一番大事だったので、ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶですったもんだがありました。
――こんな個性豊かなクラスメイトをまとめているのが関先生ですが、関先生の名前は関弘美さんから取られているんですよね?
関:そうですね。ただ、名前は私がモデルですが、デザインに関しては「そのまんま書くんじゃない」と職権乱用をしまして(笑)。当時、江角マキコさんが『ショムニ』というドラマに出られていたので、あのくらいだったら良いかなと馬越さんに圧をかけて作ってもらったのが関先生というキャラクターです。
キャラクターの名前の候補が無くなってくるとスタッフの名前を使うというのが、東映動画時代からの伝統としてあるんですよ。例えば『ひみつのアッコちゃん』に出てくるおかっぱ頭で眼鏡をかけているチカちゃん(チカ子)というキャラクターも、アニメ放送当時に制作のデスク周りをしていた方がモデルだったりするわけです。それから『魔法使いサリー』にはカブという男の子(サリーの使い魔)がいますが、このキャラクターのモデルの方も会社にいました。
うちの会社はアニメーターさんがオリジナルでキャラを作る時には「このキャラはカブちゃんだよな~」という感じで、仲間のスタッフをモデルにするということが伝統的に多かったみたいです。それは『どれみ』でもやっていて、ゆき先生という保健の先生の名前は美術のゆきゆきえさんから取っていますから、実は髪型も当時のゆきえさんにそっくりです。
こういうことをみんなで笑いながら、楽しんでやっていたんですよ。他にも、おんぷちゃんが出演する映画にガザマドンという怪獣が出てきますが、これは当時の制作担当だった風間さん(風間厚徳さん)に全部濁点をつけてガザマドンとしたり、坂井さん(坂井和男さん)が担当だった時にはザガイドンみたいに名前をもじったりしていました。
あと、どれみのクラスメイトの山内信秋くんのお寺で肝試しをする話では、お墓の名前は全員スタッフの名前です。そうやってスタッフが楽しんだり、遊びながら作っている要素が非常に多かったんですよね。人を不愉快にさせないおふざけで、なおかつスタッフのチームワークが盛り上がるようなお楽しみ要素を、実はちょこちょこと入れているんです。
そういうことができるのがオリジナルの楽しみというか醍醐味で、ものすごく楽しい瞬間なんです。
後編はこちら
企画・取材・記事:岩崎航太、編集:石橋悠、写真:胃の上心臓
関連情報
▼25周年公式サイト
https://www.doremi-anniv.com/
▼おジャ魔女どれみ新作映像 MAHO堂「おジャ魔女カーニバル!!」
早くも250万再生を突破! ※2024年4月30日現在
https://youtu.be/i3mzMFy3dBg?si=TbMPbNz5NN6EC3JN
作品概要
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あらすじ
キャスト
(C)東映アニメーション