難解と言われても敢えてお客さんに背伸びしてもらいたかった|映画『HELLO WORLD(ハロー・ワールド)』伊藤智彦監督&武井克弘プロデューサーロングインタビュー
実現しなかった、初期段階の構想とは
――パンフレットにも書かれていますが、一度企画が作り直しになったという話もありました。
伊藤:最初の企画は、今よりもさらにSFの比率が高かったのと、『君の名は。』の大ヒットによってアニメ映画を取り巻く状況が変わったのも要因ではあると思います。
ただ、俺自身としては、単純にエンタメ度が足りなかったからだと思っています。
武井:パンフレットの文は誤読をされているところがありまして、「『君の名は。』のような作品を作れ」というようなことを言われたわけではないんです。
劇場アニメーションが作りやすくなったというプラスの要因も含め、『君の名は。』が与えた影響があらゆるところに及んでいるのは事実ではあるのですが。
だから『君の名は。』から学ぶことはあっても、当たり前ですが「『君の名は。』と同じことをやりましょう」と言ったことも一度もないんです。
宣伝的な見え方はともかく、少なくとも映画自体がそうなっていないことは本編をご覧いただければ一目瞭然かと思いますし。
『HELLO WORLD』に関していうなら、伊藤監督が仰る通り、最初に出した企画はエンタメ度にいまひとつ欠けていたところがあったので、もう少しドラマ性の高い作品を作れないか、という方向性でのご提案をしました。
言ってしまえば、最初の企画はもっとぶっ飛んでいたんですよ。メチャクチャ度も今以上に高くて、何でもアリなキャラクターがいたり。
設定にインパクトがありすぎて、むしろそれが、本来もっとも重要であるべきキャラクター同士のドラマを阻害していたんです。
――公開された『HELLO WORLD』もかなりインパクトのある展開でしたが、それ以上だったと。
武井:ええ。メタ的な要素もあって、例えば「出だしはアニメじゃなくて実写で、現実の映画館から始まるのがいいんじゃないか」という提案を野﨑さんがされたこともありましたね。
野﨑さん自身、最近の映画はどういう映写環境なのか、脚本書く上で知りたいと仰っていたこともあり、実際に映画館に取材にも行ったのも覚えています。
現在公開されているものにもメタ的な要素はありますが、よりそれが強調された感じというか。最初に本編を全部早送りで再生してから、巻き戻しで始まる……といったアイデアもありました。
伊藤:ラストシーンが2回ある、みたいなね。
――なぜそのような演出案が出てきたのでしょうか?
武井:我々は「姫」と呼んでいたキャラクターですが、あらゆる事象を改変できる力を持ったヒロインが登場するという企画だったんです。
そのような時空を超越した「姫」の事象の捉え方が、映画を映写室から俯瞰して見ている様子と重なる、という比喩的な意味での描写だったと思います。
ただやはり決め手となったのは、「姫」の能力が強すぎたといいますか、なかなか彼女に悩みや葛藤が生まれず、そこからドラマに持っていきづらかったこともあり、このまま進めるのは難しいのではないかという結論になりました。
――物語を1度作り直すというのは、伊藤監督としてはどう感じられましたか。
伊藤:作り直すというよりは、もう完全に別の話なので、2作目を作っている感覚でしたね。あとは、企画ってこんなふうに通らないこともあるんだなって(笑)。なので次は気を付けてやっていこうとは思いました。
武井:ただその経緯があったことで、いろいろな人の意見を聞きましょうということになったので、より集団作業感は増した気がします。
最初の企画は僕、伊藤さん、野﨑さんの3人が中心だったのですが、より腹を割って話はできるようになったかなと。あとは他の人に意見を聞く環境ができたり、いろいろな人が参加しやすくなったとは思いますね。
ファンからの高い評価を得たスピンオフ小説が生まれるまで
――脚本を担当した野﨑まど先生については、どういった理由で参加をお願いされたのでしょうか。
武井:野﨑さんの『know』という小説を読んだ際、映像的な想像力がすごく働いて。この人と映像を前提とした作品を一緒に作れたら面白いな、と思い伊藤監督に紹介しました。
『know』は今までやり尽くされたであろう電脳的な世界観ながら、その中に新しさもちゃんとあって。
僕は以前からSF的なものがやりたいと考えていたのですが、その中で何か新しいことがしたいという想いもありましたから、野﨑さんにお願いしようと。
――伊藤監督は、野﨑先生の作品にどういった印象を持ちましたか。
伊藤:変わり者なんだろうな、と思いました。実際会ってみたら変わり者でしたけど(笑)。
ここ何年かの付き合いでだいぶ分かるようにはなりましたが、「どこまで本気で言ってるんだろう?」と今でも若干戸惑う時がありますね。
そうした作品を書いているからこそのポーズなのか、それが素だからああいった作品が書けているのか、ということまでは分からないのですが。作品と本人のイメージがリンクしているなと感じましたね。
――野﨑先生の作品には何回もどんでん返しがあることも多いですが、本作にもそれがあります。これは最初から決まっていたことでしょうか。
武井:僕としてはそのつもりでしたが、(野﨑さん)本人は抵抗があったようです。作家さんは誰しもそうなのですが、「あなたの作家性はこうですよね」と決めつけることに良い顔をされないんです。「自分の引き出しはそれだけじゃない」という想いもあるでしょうし。
僕もそうした想いは理解した上で、うまい具合に誘導をさせていただいて(笑)。結果、「野﨑まど印」の作品にできたのだとしたら、自分を褒めても良いのかなと。
それよりもむしろ、最後まで見ていただいたファンは分かったかもしれませんが、どんでん返し以上に重要な特徴として、『アムリタ』とか『know』とか野﨑さんの作品に見られる、主人公とヒロインの関係性を、実は本作でも受け継いでいるんです。そこは、やってやりました、という感じでしょうか(笑)。
――何度も目まぐるしく展開が変わる本作ですが、演出で苦労した点はどういったところでしょうか。世界が崩壊するシーンなどもかなり印象的でした。
伊藤:あれはやりたかった演出で、当初から明確なビジョンがあってのものだったので、それほど苦労した部分というのはなかったですね。ただ、今回野﨑さんの脚本の書き方に戸惑われるコンテマンの方は結構いましたね。
というのも、野﨑さんはト書きの書き方がいわゆる一般的な脚本とは違っていて、小説に近いものになっているんです。普段見慣れていないこともあって、僕以外のスタッフはカットの作り方に苦心している感じはありました。
ただ、それも厳密には小説とも違う、しっかりと脚本の形になっていましたし、(スタッフが苦労したのは)カット割りの指示などが書かれている、アニメ的な脚本に皆が慣れすぎてしまっているのでは、とも思いましたね。
――1回観ただけではすべてを把握しきれない、観た後に語り合いたくなる映画だと感じました。
伊藤:理解力を問うというか、そこは狙って作った部分ではあります。われわれ「古きオタク」の道を通ってきている人なら分かると思うのですが、例えば『劇場版エヴァンゲリオン』とかは、なんであそこで実写が入るんだろうとか、お客さんが試されている瞬間がいろいろあったはずなんですよね。
伊吹マヤが喋っている単語とか、「ディラックの海」とかの用語も、後から調べてみればちゃんと分かる、というような。そういった作品が今は減っている印象を受けるんです。
かといって自分がそれを復活させようとかいう気概まではなかったんですけど、「こういう作品もあっていいのでは?」という提案をしてみたつもりです。
ご飯を出す時、「一から十までの手順でお食べになってください」というサーブの仕方もあるとは思うのですが、「これが料理です。あとは自分で食べ方を考えてみてください」という映画の楽しみ方もあるのではないかなと。
ただ、よくよく見ればちゃんと内容を理解できるように、ヒントは残しているつもりなので、目ざとい方は気づいていただければ、くらいの気持ちで制作しましたね。
――小説など、映画以外の媒体で物語を補完されている部分もありますね。
伊藤:それは結果としてそうなっただけですね。こちらとしては、ただ純粋にそうしていただいたことに感謝しているという感じで。
武井:そうですね。実は僕らは他の媒体を使って補足しているつもりは一切無いんですよ。必要なことは、映画で描ききっているので。
伊藤:文字で見ることでより分かりやすくなっている部分はもちろんあります。けれど映画の補完をしてほしいという意図は一切ありませんでしたし、単純にスピンオフを制作した方々が面白いものを作ってくださっただけですね。
武井:今、三鈴のスピンオフ小説である『HELLO WORLD if ――勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする―― 』が大変ご好評をいただいているのですが、これも「スピンオフのお話が来てます」と伊藤さんたちにご相談したら、「ある種パラレルワールドなので、自由にやっていただく方が良いでしょう」と仰っていて。
なので本当に(映画とは)別物として、作家さんへのリスペクトも込めて、自由にやっていただいたという形ですね。僕らが映画で説明し損ねた部分を掘り下げてもらう、といった方向性では制作していないんです。
――三鈴はなかなか特殊なポジションになっていると思います。最初からああいった立ち位置のキャラクターであることは決まっていたのでしょうか。
伊藤:むしろ、最初はもっと出番が少なかったですね。基本的にはフェイクヒロインの役割を担っているだけなので。
前半で出番が無くなるわけなんですけど、僕が無理くり出番を増やしていたら、スピンオフ小説でああした描き方をしていただいたと。(小説を読んで)自分としては、「ああ、なるほど」と納得してしまいましたね。
――まるで最初からああいった設定が存在していたのかと思うくらい自然だったなと。
武井:そう見えますよね。
伊藤:僕としては直実と瑠璃の橋渡し、洞察能力が高い女子という位置づけに作ったので、ああいった形で落ち着きました。ただ、直接的な台詞を入れるわけにはいかないので、動きでキャラクター性を付けていくことになりましたね。
――スピンオフを読んだからかもしれませんが、三鈴は劇中少し意味ありげな動作が多いように感じました。これも偶然なのでしょうか。
伊藤:そうですね。意味深な動作をさせておかないと(視聴者の)記憶に残らないので、少し誇張してやっている部分があります。ただ、これから書かれるIFの物語を意識したものではまったくないです。
武井:三鈴が直実と瑠璃をくっつけようとしているのは、映画側にもある設定なんです。ただ、そこにスピンオフを読んだ方は、別の意味を見いだせるようになるというのが面白いですよね。
そこはとにかく伊瀬(ネキセ)先生が上手かったということに尽きます。スピンオフとしてあれだけの強度の話を作っていただけたのは、本当にありがたい。監修やアイデア出しこそしていますが、あれは我々の手柄ではないことは強調しておきたいです。
最初は伊瀬先生が少し抑え目に書かれていたので、そのタガを外すのが僕らの役目だったように思います。もっと自由にやって大丈夫です、というような。