劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel]」Ⅲ.spring song 杉山紀彰さんインタビュー|3部作はTVシリーズ6クール分を演じ終えた時のような感覚!?【連載第1回】
杉山さんから見た士郎、そして切嗣
――衛宮士郎というキャラクターについて、杉山さんはどういった部分が魅力だと考えていますか?
杉山:打算や損得ではなく、何が正しくて自分はどうしたいのかという自分の中の正義感、軸がしっかりしているところかなと。
それが必ずしも万人から理解されないこともあると思うのですが、[UBW]でも描かれていたように、例え偽善だとしても、その考え自体は間違いではないと思います。悪く言えば頑固なのかもしれませんが、自分の中の確固たる正義感をもっていて、ブレないところも魅力なのではないかなと。
彼の価値観については、不器用だったり、バカだなと感じる方もいるかもしれませんが、僕自身はすごく理解できますし、むしろ自身もそういう人間でありたいという想いの方が強かったですね。
――劇場版[HF]までを振り返って、士郎の変化などを感じた部分はありましたか?
杉山:僕自身は士郎というキャラクターは(劇場版[HF]でも)変わっていないと感じているのですが、3つのルートの中でも[Fate]ルートが1番彼の異質さのようなものが表れていたと思うんです。
というのも、[Fate]ルートは彼がどういうキャラクターなのかを説明する役割があったこともあり、その異質さがより強く伝わってしまっていたのかなと、振り返って改めて思いましたね。
――「正義の味方」という概念については、杉山さん自身はどんなお考えを持たれていますか?
杉山:それにはまず「正義って何だろう」という問題が出てきて。いろいろな国であったり文化であったりが背景にあって、「正義」という定義が存在するとは思うのですが、「正義」って漠然としていて、主観がどこにあるかによって見え方が変わってくるものですよね。ある人にとっては悪でも、別の人から見ると正義だということは珍しくないでしょうし。
それを前提に、あえて僕自身が考える正義の味方像というものをあげるとするなら……例え周囲に理解されなかったとしても、自分が知りうる情報の中で、自身がもっとも正しいと思える行動を判断し、実行できる人なのかなと思います。
――なるほど。
杉山:あとは、それも自分の名声や自己満足ではなく、純粋に誰かのために実行するという目的がはっきりしていて、自分の功績を声高にアピールしないというのも付け加えられるかなと。
自分の功績をアピールしてしまうと、結局は自分の地位や名誉のためという目的も否定できないですよね。そういう意味では、周囲の人間の評価こそが、「正義の味方」を作り上げるのではないかとも思いました。
――そう考えると、聖杯戦争が始まる前から、士郎自身はもう正義の味方になっていた、という考え方もできそうですよね。
杉山:確かにそうなんですよね。やっぱり一般的な正義の味方像というと、戦いで人々を助けて……というのが浮かんでくると思うのですが、僕は本質的には違うんじゃないかなと。
相対的には、確かに成し遂げたことの大小は存在すると思うのですが、小さな良いことを積み重ねる人が、正義の味方になれないということはないと思うんです。
――そういった考えを含め、最初に士郎を演じた時と現在を比較して、士郎に対する理解度が変化した部分はありますか?
杉山:作中でも指摘されているのですが、士郎って感情が他人に伝わりにくいキャラクターでもあって、アニメだとゲームにはあったモノローグがない分、最初は彼がシーンごとに何を考えているのか理解するのに時間が掛かっていたんです。
それが今では、台本を読んでいても「士郎だったらこういうことを考えているだろうな」ということがスッと分かるようになってきていて、いろいろな作品を通して士郎を演じさせていただいたことで、理解度が深まってきた結果なのかなと感じています。
――衛宮士郎を語る上では、衛宮切嗣というキャラクターの存在も欠かせないと思うのですが、杉山さん自身は切嗣にはどういった印象を持たれましたか?
杉山:実は『Fate/stay night』の中では、士郎と切嗣の会話ってあの縁側でのシーンくらいで、他にどんな会話をしていたのか、ほとんど描かれていないんですよね。
それは切嗣自体が多くを語らない人間だったということを表しているのでしょうし、彼のやっていたことを考えると、それに士郎を巻き込みたくなかったという考えもあったのかと思います。
だから士郎は切嗣がやってきたことについて、ほとんど知らない状態ですよね。それでも士郎が憧れたのは、切嗣の行為ではなく、その生き様に憧れを抱いたからだと思っています。
――実際に、TVアニメ『Fate/Zero』(以下、Zero)よりも前の作品で杉山さんが抱いていた切嗣のイメージと、『Zero』での切嗣の姿というのはギャップがありましたか?
杉山:やっぱり、それはありましたね。人間の負の側面を見ながら、正義の味方としての境地に達したという意味では、アーチャーにも通じる部分がありますが、彼なりの正義のあるべき姿を模索した先が、『Zero』の切嗣だったと思うんです。
大きな悪を倒すために少数を犠牲にしたら、犠牲にした人たちの家族は切嗣を恨むと思いますが、悪に苦しめられていた大勢の人々は切嗣に感謝する。その二面性というのは、正義というものの真実でもあると思います。
――士郎が切嗣に憧れたように、杉山さんが憧れを抱くとしたらどのキャラクターでしょうか?
杉山:僕は士郎ですね。世界で起こっているいろんなニュースを見たりすると、アーチャーの心境というものも分かるのですが、やっぱり僕は[UBW]で士郎の、例え偽善だったとしても、その理想自体は間違いではない、という想いを理解したいという気持ちの方が強いので。