2021年2月後半の総括(ダンス)|青山吉能『みずいろPlace』#18
今回のテーマは「ダンス」です
さて今回のテーマは「ダンス」です。
わたし実は、4歳の頃からバレエを嗜んでいたのです。が、友達も多く才能ある姉とともにステージに立つのが苦しくて辞めました。なのでトゥシューズまで辿り着けず終わっています。
このコラムが隅から隅まで好きだという方はもうこの出だしでお察しかと思うのですが、今回もダンスに関する暗い話をしていきます。
私はもともと人前に出ることも目立つこともあますことなく好きでした。それは自分の中に根拠のない、しかし絶対に揺るがない自信があったからだと思います。
それは本当に人を強くするし、同時に失望させられます。
中学1年生のとき、体育祭で女子全員でダンスという種目があったときも、我先にクラスのダンスリーダーに立候補したし(超はずかしい)、ダンスリーダーってクラスのみんなに振りを教えるフェーズがやってくるんですが、こんな私でもベリベリドヤ顔で教えてました。
その時に同級生に言われた、「よっぴーってなんか動き変だよねヮラ」という言葉。
そのときはゥケル〜くらいに返事をしたような気がするのですが、私はそれまで、自分が他人からみてどんな挙動をしているのかなんて知ることも考えたこともありませんでした。思えば、自分が映っている映像をまじまじと観たことってなかったかもと、体育祭に親が撮ってくれた全女ダンスのビデオをみて、衝撃。
そこには、満面の笑みでくねくねと奇怪な動きをした人間。ゼッケンには1−1青山。わたしで間違いなく、間違いなくわたしで、その動きをとてつもなく自信満々にやっているのが自分の目から見ても分かるから、息が詰まりとてもいたたまれなかった。
私はひょっとして普段からずっとこんな挙動で、ひょっとしてずっと誰かに笑われていたんだろうか?そう思うと途端に、今まで持っていた漠然とした自信もホロホロと崩れ落ちて、その次の年からはダンスを踊ることは自己像を傷つける忌々しい行為になり、ダンスリーダーなんて立候補することなく、できるだけ目立たない位置でダラダラと踊るしかなかったことを覚えています。
正直これを書いている今も、かなり心がえぐられています。当時の自分に対する共感性羞恥でどうにかなってしまいそうです。
そうして何年か経ちますが、ダンスを踊っていてこういった経験をしたことは一度だけではありません。何度も何度も何度もあります。一生懸命に必死に自己像を修復したところで、誰かの一度のヮラで私はホロホロと崩れ落ちてしまうのです。
しかし、「別に馬鹿にしてるとかじゃないよ〜ヮラ」と言われたら、こちらは許さないといけないんでしょうか?わたしが恥ずかしくて消えてしまいたいとおもったこのこころは、一体どこに置かれるのでしょうか??
努力の末たどり着いたものに対して身も心も居場所を失って、それの責任を何一つ負わず、勝手にわたしというエンタメを作って楽しみやがって。
自信を得れば得るほど、悪気ないと言ったそのヮラにわたしはじんわりと苦しめられているんですよ。
しかし、大人になるということは、恐怖を覚えてそれを乗り越えていくということなのかもしれません。
そう思うと、割と早い段階でその経験ができてよかったのかなと思います。
それに、自分ではあまり好きになれなかったこのパフォーマンスも、好きだと言ってくれてる方が現れました。これは本当に凄いことです。