「ジョーが人のために生きる話」春アニメ『NOMAD メガロボクス2』ジョー/ノマド役・細谷佳正さん放送記念インタビュー
復帰作『メガロボクス』
――少し話が前後してしまうのですが、前作『メガロボクス』の時、細谷さんは休業から明けたタイミングでの収録だったと記憶しています。改めて『メガロボクス』とは細谷さんにとってどのような作品でしたか?
細谷: 復帰作ですね。休業が明けて最初に取り組んだ作品が『メガロボクス』だったので。
2017年に3ヶ月の休業をしたんですけど、それだけ休むと復帰してすぐに仕事があるという感じではないんですね。
当時やっていたラジオ番組で、仕事に復帰することを発表したんですけど、
実際「復帰しました」と発表したとしても、全ての関係者に届くわけではないじゃないですか?業界全体が、アニメファンの全員がそのラジオを聴いているわけではないから。
この作品は『あしたのジョー』連載開始50周年を記念して作られた作品で、それまで自分を知ってくださっていたアニメファン以外の方も確実に視聴するだろうなと思ったし、自分が仕事に復帰したという事を、より大きく広げてくれる作品になるだろうと思いました。
この作品が『良い作品』になれば、沢山の人に強い印象をもって観てもらえるだろうなと。
――そうした気持ちの中で、ジョーを演じきってみていかがでしたか?
細谷:この仕事を始めてから、関わりたかった世界観とか、やりたかったお芝居とか、雰囲気みたいなものと言うか。
そういう自分がやりたかったことを『メガロボクス』で完結することができたなと思ってます。『半分残していたものを、使い切る事が出来た』という感じです。
もう半分は、『鉄血のオルフェンズ(機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ)』の オルガ・イツカ です。
オルガを作っていく時に、それまでやりたかった事を全てやろうと思ったんですけど、内容やキャラクター的に相応しくないと考えて、残していたものを『メガロボクス』で全て使う事が出来ました。
なのでこの二作品で、35年間で演者としてやりたかった事は、全てやり切れたと思っています。
――僕がフィルムからビンビンに感じていたジョーの魂は、やっぱりそこまでの何かが詰まっていたんですね。
細谷:ありがとうございます。嬉しいです。
『あしたのジョー』連載開始50周年記念作品の先へ
――『NOMAD メガロボクス2』の台本を読んだ時はいかがでしたか?
細谷:僕は大抵の場合、映像を観ながら台本に目を通す方なんですけど、その時の印象は、『セリフ量を使って起きている事を視聴者に対して具体的に説明する』というものではなく、『セリフ量は必要最低限しかないけれど、映像を観ると感じるものが多くある』というものでした。
森山監督は、アニメ作品からインスピレーションを受けて映像を作っているというよりも、実写映画からインスピレーションを受けて映像を作っている印象が個人的にあります。映画を沢山観ている方なんだろうな、と。
なので、もしこの先、森山監督が実写映画を作る事があったら観てみたいなと思いました。
――フィルムから漂ってくる雰囲気が凄かったです。『NOMAD メガロボクス2』が2021年に放送される事をどう思いますか?
細谷: 2021年に放送となると、もう『あしたのジョー連載開始50周年記念作品』という冠は使えないじゃないですか?それは2018年にもう終わっているから。
だから『あしたのジョー』という大きな後ろ盾というか、偉大な補助輪を外した形で、『森山洋監督の真のオリジナル作品』として『NOMAD メガロボクス2』は世の中に出ていくんだな、と思いますね。
――なるほど。僕も3話まで拝見したのですが、最近のアニメ作品と比べるとテンポが違いますよね。
細谷:そうですね。
――じっくりと間を使ってくれる。こういうことを言うのもなんですが、こんな作品が見たかった!と思わせてくれる演出が目白押しで、感服しました。
細谷:(笑)。スタッフの皆さんも喜びます。ありがとうございます。
絵を描く感覚で作品に色を付けていく
――『NOMAD メガロボクス2』のジョーはいかがでしたか? 久しぶりに“演じてみた”感想なども聞かせて下さい。
細谷:他人に自分の仕事の事を尋ねられた時に、その方が伝わりやすいだろうなという理由で、『お芝居をする』『演技をする』という言葉を使うことはありますが、演じるという行為を自分はしていないと思います。
――“演じる”感覚がない?
細谷:『絵を描いている様な感覚』というのが、言葉で表すとしたら1番近いのかも知れません。
『メガロボクス』には、森山監督の、見れば何をすればいいのかが解る映像があるし。真辺さん(真辺克彦さん)と小嶋さん(小嶋健作さん)の素晴らしい脚本があるので。
ジョーが出演しているシーンに対して、音声をわせて、説得力を持たせていく事を、自分はしているんだと思います。個人的にはそれは『演じる』事とは違うなと。
例えば、ジョーのセリフを1シーンから10シーンまで喋り続けたり、他のキャラクターとジョーの会話がある程度連続している時には、『演じる』という動作を使っている瞬間はあると思います。
ただ、そのジョーの出演シーンを俯瞰で見た時に、『ここはもう少し右に寄せよう』とか『バランス悪いからちょっと派手にしよう』とか、これは勿論例えばの話ですけど、そういうのに近い作業だと思います。
絵を描いている時も対象の全体を見たり、ある一部分を集中して見たりして描いていくじゃないですか。それに近いのだと思います。言葉で表すとしたら、です。
だから、演者として役者として声優として『役を演じている』というよりも、『作品制作をしている、担当はジョーの音声部分である』という感覚です。
――その感覚が出てきたのが『メガロボクス』から?
細谷:そうですね。
――それって何かキッカケとかあったんですか?
細谷:真辺さん、小嶋さんの脚本のセリフのリズムだと思います。『NOMAD メガロボクス2』はさらにそれが色濃くなったと思います。
台本のセリフ全体が、繋がっている一つの詞みたいな感じがしたんですね。
多くの場合、一つの大切なセリフのために、捨ててもいいセリフを使って余白を埋める、というのがセオリーとしてあるんですけど。
――はい。そういった作り方がセオリーなイメージありますね。
細谷:でも、『メガロボクス』については全てが大切というか、言い方が正しいかは分からないですが、全部がキメ台詞みたいに僕は感じます。決め台詞で会話している、みたいな。凄い本だなと。
真辺さん、小嶋さんの書かれるセリフには、七五調でいうところの調子みたいな、気持ちのいいリズムみたいなものがあるんですね。
例えば、「だったら、本物のメガロボクスを教えてくれよ」ではなくて、「だったら教えてくれよ。本物の、メガロボクスってやつをよ」という感じ。なんかリズムが気持ちいいじゃないですか?
――気持ちいいです(カッコいいです)。
細谷:そういったセリフのテンポが全編にある気がします。
そのシーンに気持ちよくセリフが乗って、それを説得力のあるものにするためには、『キャラクターの心情をセリフで深く表現しよう』みたいな感覚よりも、そのシーンをカッコよくすることに重きを置くというか、キャラクターよりもシーンをデザインする方がいいなと思ったんですね。
――役者という枠というか細谷さんの中のギアを脱ぎ捨てたのが……。
細谷:そんな大げさなものじゃないです(笑)。ギアみたいな凄いものは、僕は持ってないと思いますよ(笑)。
――ギアレス・細谷さんが『メガロボクス』で誕生したわけですね。
細谷:いやいや(笑)。そもそも画面の中にいるのは僕ではないし、絵が芝居をしてくれているので。そこにただ、台本に書かれている言葉を音声にして付け加えている行為をしているだけだと思います。自分の場合は。
――『メガロボクス』以降とそれ以前の作品を見比べてみると、細谷さんの違いがありそうなので、チェックしてみたいです。
細谷:ありがとうございます。このインタビューで発言したから、そう受け取られる事もあるかもしれませんし、何も変わってないと受け取られるかもしれませんけど、自分の中ではそれまでと別の感覚で仕事をしているので、良かったら観てみて下さい。