声優という職業は「私にとって生きている意味」。引っ込み思案な自分が嫌だった。だからこそ、自由に生きているアニメのキャラクターに憧れたんです──古賀葵さんが声優になるまでの軌跡を振り返る
『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』四宮かぐや役、『ひろがるスカイ!プリキュア』エルちゃん / プリンセス・エル / キュアマジェスティ役、『魔法少女にあこがれて』阿良河キウィ / レオパルト役など、その多彩な表現でさまざまなキャラクターに命を吹き込んできた声優・古賀葵さん。
天然色のような柔らかさとヴィヴィッドな力強さを兼ね備えた古賀さんのお芝居の魅力は、どうやら彼女の生き方にも関係しているようです。古賀さんは佐賀県出身。高校卒業後、福岡の声優専門学校に通い、81プロデュース付属養成所「81ACTOR'S STUDIO」に合格したことをきっかけに上京。養成期間を経て、2014年に声優デビューを飾りました。
もともと引っ込み思案な性格だったという古賀さんですが、内に秘めた強い意志で、憧れを現実に変えていきます。声優としてのキャリアを振り返りながら、古賀葵さんがお仕事に向かう姿勢に触れました。
アニメのキャラクターたちが自由に生きている姿に憧れた
――古賀さんは高校時代から声優を目指されていたそうですが、そのきっかけを教えて下さい。
古賀葵さん(以下、古賀さん):小さい時からアニメが好きでよく見ていたんです。例えば、日曜朝の『プリキュア』シリーズや、夕方に放送していた『ベイブレード』とか。あとは私の世代だと『犬夜叉』『ポケットモンスター』『名探偵コナン』『ONE PIECE』など。ただ、当時はまだ声優という職業について詳しく知らなくて。
小学3、4年生くらいの時、いつも通りアニメを見ていたら本編放送後に声優の方たちが出演している映像が流れたんです。そこで「こういう仕事があるんだ!」と知って、声優という職業に興味を持ちました。だけど……。
――だけど?
古賀:なかなか人に言えなかったんです(苦笑)。小学生から中学生と、少しずつ多感な時期になるにつれて「まだアニメを見てるの?」っていう空気感があって、言い出しにくかったんですね。本当に仲の良い友だちにも言えなくて。それでひた隠しにしながら過ごしていました。でも、冗談で「声優になったら良いじゃん!」って言われることがあったんですけども、そういう時は「なれないよ〜」なんて言いつつ、しっかり真に受けていました(笑)。
ようやく周りの人たちに対して、それを口に出来たのは高校3年生の時。進路相談の時に「こういう道を考えています」と相談したのが初めてでした。ただ、その時も「声優さんになりたい」とは伝えられず「ラジオのパーソナリティになりたいので専門学校に行きたいです」と言ったくらい。だから、「声優になりたかったんだ!」と、今頃高校の先生はびっくりしていると思います(笑)。
――親御さんにはお伝えしていたんでしょうか?
古賀:専門学校のパンフレットを自宅に取り寄せて、なんとなく匂わせていましたが、なかなか切り出せず……でも親に伝えるときは「ラジオパーソナリティ」ではなくて、ちゃんと「声優になりたいんだ」と言いました。
――周りに言い出せなかった理由というのも、お伺いしてもいいでしょうか?
古賀:それくらい引っ込み思案だったんですよね。自分の意見を伝えるのがすごく苦手。学校でも人前での発表や音読が苦手でした。そういう自分が嫌だなって思っていて。でもアニメのキャラクターたちって、いろいろな個性を持っていて、自由に生きているじゃないですか。それがすごく羨ましいなって。
声優になったらそれが体験できるのかなって思ったのも、その道に憧れた理由のひとつかもしれません。変身願望というか。当時の私からすると、とても夢の詰まった職業で「ここに私の生きる意味がある!」と思っていたんじゃないかなって。
――なににでもなれるわけですものね。
古賀:いろいろな人格になれるから、普段言えないこともキャラクターであれば言えるんですよね。
――そういう意味では、引っ込み思案な性格だったからこそ、声優という仕事の魅力に気づけたのかもしれませんね。
古賀:もしかしたらそうかもしれません。そういう性格じゃなかったら声優の道に進んでなかったかもしれません。
――少し話は逸れてしまうのですが、小学校の頃は習い事などはされていました?
古賀:その頃は特に習い事はしていなかったんです。兄がいるんですけど、当時はよく喧嘩をしていて、どうしても兄に勝ちたくて、近くの公民館でやっていた柔道教室に通っていたくらいでしょうか(笑)。でも兄も一緒に入っちゃったから、結局負けるっていう……。
――男勝りな一面もあったのですね(笑)。心の中で「声優になりたい」と思ってから、練習などを自宅ですることはあったんでしょうか?
古賀:特別なにか練習をすることはなかったんですけど、友だちとごっこ遊びをするのは好きでしたね。例えば、「今から我々は西部劇の中にいるとする」と設定を作って「今からあなたはダニエルね」みたいな(笑)。ちょっと……中二病だったんですかね(笑)。そういうのは好きでした。
――自分以外の別の人になって表現するということがお好きだったんですね。
古賀:そうかもしれません。そういうのが楽しかったことは覚えています。
――さきほど小学生の時に見ていたアニメの話がありましたが、少し先に進んで、中学生以降はどのようなアニメを見られていたんでしょう?
古賀:中学生の時は『創聖のアクエリオン』を隠れて見ていました(笑)。親にも友だちにも言えなくて。夕方の枠で放送していたので、その時間に急いで帰るような生活をしていました。高校生になってからはアニメ好きの仲間ができて、嬉しい!って。そこで進められて、「key」作品にハマり、友だちの家で『Angel Beats! 』を一気見しました。そして感情がぐちゃぐちゃになりながら帰路につくっていう。
――(笑)。共通の趣味を持った友だちにも、夢については言い出しにくかったんです?
古賀:なかなか言えませんでした。いまさら言うのも恥ずかしくて踏ん切りがつかずで。
それと私は佐賀県出身なんですけど「東京でお仕事する」ということに対して、あまり現実味がなくて。周りの人たちは看護師や公務員を目指していたんですね。だから「声優」と言うと、夢に向かっている感じがあるし、保証がない職業なので、余計に口にしにくかったところがあります。
当時は親も声優という職業を理解していなかったから「どういう仕事なの?」って聞かれて説明して。「でも、それは食べていけるの?」って(苦笑)。
――そこに関しては、当時は分からないですものね。
古賀:私としては東京に行きたかったんですけども、親としては「いきなり東京は」って。なにも知らない田舎娘が東京でやっていけるのかという心配もあったようで、福岡の専門学校に通うことを提案してくれて。それで福岡の専門学校に行くことになりました。
――そのスクールに決めた理由などはあったのでしょうか?
古賀:最終的に候補を2つくらいに絞ったんです。選んだところは、いろいろなことを教えてくれました。当時、私は歯列矯正をしたくて悩んでいたんですけれども、ひとつの学校は「歯並びが悪くても声優になれないわけではないよ」っていうフォローをしてくれたんです。もう一方は「自分が満足いくのなら、自分にお金をかけるのは良いことだと思うし、どんどんやって良いんじゃない?」という背中の押し方をしてくれました。
それと、親が内緒で電話を掛けて「実際、どうなんですか?」と聞いたときには、シビアなことも教えてくれたらしいんですね。「娘さんとよく話し合って下さい」って。それで親の勧めもあって、後者の学校に。
――専門学校に進学後は、水を得た魚のような状態になったのでは?
古賀:もうめちゃくちゃ楽しくて!(笑) 今まで自分が我慢していたものを全て受け入れてくれるし、「これをやったら変って思われちゃうかな?」って躊躇していたことを、やる子がいるんです(笑)。でもそれで正解で、こんなに自由で良いんだ、こんなに自分を出して良いんだって思っていました。めちゃくちゃ楽しい毎日でしたね。
――古賀さんはその後、81プロデュースの養成所「81ACTOR'S STUDIO」に入所されています。どういう経緯だったのでしょうか。
古賀:当時の私は、事務所のことなどはまったく知らず、2年生になってから初めて調べ始めたんです。でも結局ひとりじゃ分からなくて。そしたら学校の先生が「81プロデュースが良いんじゃない?」って声をかけてくれたんです。81プロデュースには「81ACTOR'S STUDIO」があって、養成期間は1年だけど、「ことば(演技)」のレッスンは3学期制で学期毎に実施されるオーディションによってクラスが選定されるから、モチベーション高くやっていけるし、いろいろな先生から教えてもらえるし、厳しいけどすごくやりがいがあると思うよって。
それと、私の夢のひとつに、NHKなどでやっている教育テレビの仕事があって。例えば、虫が主人公の番組でナレーションなど……。
――子供向けの番組ということでしょうか?
古賀:そうです! それを先生に話したら、81プロデュースだったらいろいろなところにつながりも持っているし、やりたいことができるんじゃない?って。それで「じゃあ、81プロデュースに行きます!」と(笑)。
――宣言を! すごい!
古賀:それで「81ACTOR'S STUDIO」のオーディションを受けることになりました。私は代々木アニメーション学院(福岡校声優タレント科)出身なんですけど、その中から「81ACTOR'S STUDIO」を受けたい人たちが、代々木アニメーション学院の東京校に集まって。そこにマネージャーさんや養成所のスタッフの方が来てくださって、試験をするんです。セリフとナレーションと自己PRと……。
――「81ACTOR'S STUDIO」と聞くと「81オーディション」を思い出しますが、それと遜色ないような試験なのですね。当時のことで覚えてらっしゃることはありますか?
古賀:自己PRとなるとみんな得意なことを発表しがちなんです。歌が得意な子は歌とか。でも事前に「自己PRは歌などの特技を発表するのではなくて、自分のことばで、自分のことをアピールしてください」と言われて、それでみんなで「ヒッ」となりました(笑)。
私は最初から、歌ではなくてことばでどうにかしようと思っていたので、専門学校でのことを振り返って、今後の展望を語って。ヒッとはなりながらも(笑)、なんとか合格をいただけました。
――親御さんに合格を知らせたとき、どのような反応でしたか?
古賀:「良かったね! 決まったら行くしかないね!」って送り出してくれました。それで、同じ専門学校に上京組がいたので、その子たちとルームシェアをする形で、東京に行くことに。ワクワクもありつつ、ドキドキしつつ。