伊東健人さんと西山宏太朗さんがふたりきりで“夢”の時間をお届けーー夏目漱石の名文学『夢十夜』を現代アレンジした朗読劇『Weeknight Storytime -超訳文学 夢十夜-』レポート
様々な名作文学を現代的な表現でアレンジし、“朗読劇”というエンターテインメントに落とし込む企画「超訳文学」。その最新公演は夏目漱石の名文学『夢十夜』を原作とした朗読劇『Weeknight Storytime -超訳文学 夢十夜-』。原作と同じく夢なのか、現実なのか、曖昧だけどどこか心地の良い物語の数々が、現代的なアレンジが加えられた新文学として生み出されました。
演じるのは伊東健人さんと西山宏太朗さん。ふたりきりの舞台は貴重で、しかも、全2回の公演はそれぞれ役が逆になるという朗読劇としても珍しい仕掛けが特徴的です。今回、2024年10月8日に開催された第2回公演の様子をレポートします。
「百年は、もう来ていたんだな」
ステージに明かりが灯ると、席に着いた伊東さん、西山さんは“僕”に扮し、「こんな夢を見た」と僕が見たありのままの光景を語っていきます。
第1夜は夢だけどどこかリアリティを感じさせる不思議で曖昧な物語です。僕の前には死にかけの女性がひとり。そんな状況で僕は、焦るわけでもなく淡々とその光景を言葉にしていきます。異様な情景を想起させるものの、その女性も女性で、僕に対して「お墓の傍で待っていてください。また逢いに来ますから」と意味深な言葉を投げかけます。
僕と彼女の関係はわかりません。女性の「100年待っていてください」という最期の願いに「待っている」と答えた僕。その言葉の通り、100年の時を待っている僕は、ある時、なにかに気づくのでした。
続く、第2夜から時代、登場人物は一変。今度は寺を襲おうとする侍と、そこにいた和尚にスポットが当たります。寺の貴重な物の数々を奪い、和尚の命までを狙う侍。しかし和尚は言葉巧みに侍のプライドを刺激すると、侍は自らが悟りを開くまでその刀を収めることに。結果、“なにも斬らないことで悟れる”ことに気付くという、とんちの効いたオチがつきました。
第3夜は、盲目の子供とその子供を背負う父親の物語。普通の親子らしい会話が繰り広げられますが、合間合間になにか違和感を感じさせる言葉の数々。最後には背負われる子供がゾッとする言葉を放ち、その恐ろしい真実を観客に気付かせるのでした。
不気味な物語はここから一気にコミカルに。神を自称する老人とそれを信じない青年の第4夜では、『逆転法廷』という某有名ゲームを彷彿とさせるワードが飛び出したりと、より時代背景がわからない展開。
一方、戦に負け、打首を覚悟する侍と、その侍を高く評価し、なんとか手中に収めようとする大将が厳格な雰囲気を作り出す第5夜は、侍の予想外な想い人が明らかになったことでコントのような会話劇がスタート。
武士同士のお堅い会話が続くと思いきや、想い人との再会を巡って「行けたら行く」に「それ来ないやつじゃん!」という現代的なボケとツッコミが徐々に増えていくと、それに合わせるように観客の笑い声が上がるようになりました。
またまた時代は変わり、大学生ふたりのやりとりにスポットが当たる第6夜では、どこかけだるげな大学生をふたりが完全再現。ふんわりした話し方とあまり中身のない会話が逆にリアリティを感じさせつつ、アドリブパートでは他愛のない会話ながらに観客の笑いを誘いました。
物語は終盤へ進むと、再びミステリアスな展開へ。第7夜は船上を舞台に、デッキに出てはいけないと注意する船員と、それに納得がいかない旅人の問答が描かれます。伊東さん演じる船員の突然の大声に驚かされたり、その船の行方が不明なことに不気味さを感じさせられました。
第8夜は床屋の店員とその客の会話劇。なぜか34人もいる従業員やとある施設の居ぬきだというこの床屋に疑問を感じさせつつ、実は今日で閉まってしまうという最後まで謎が深まる物語でした。
第9夜は、お百度参りをしている子供と出会ったひとりの男。子供は父と母のことを待っているようですが、男はそんな彼に「もう待たなくていいんだ」と声を掛けます。子供の健気な姿に思わず涙する男。その関係は並々ならぬものであると感じさせる不思議な後味が残りました。
第10夜は豚の可能性をふたりの男が熱弁することで開幕しますが、実は「迫りくる豚を叩いて落とせ!トントン崖落としゲーム!!」というゲームの前振りで、「ってなんだ、そりゃ!!」とふたりの強烈なノリツッコミが炸裂。
しかし、序盤はコミカルな展開が続くものの、次第にこのゲームを進めていくと、ふたりは“夢”という言葉でなにかを思い返したかのように、寺の住職だった頃、床屋だった頃を思い返します。そして“輪廻”というひとつの結論にたどり着くと、このゲームの先にあるものを考え出すのです。
最終章の第11夜。鳴り響くふたりの赤ん坊の声で、ふたりは気づいたのです。「百年は、もう来ていたんだな」と。