『キングダム』王賁(おうほん)とは? 「けっ、結婚してたのか!?」作中人物からも読者からも驚きの声。そして親子関係はどうなっている?
『キングダム』は、中国 戦国時代末期(紀元前245年頃から)を舞台にした、週刊ヤングジャンプ連載中の原泰久先生の漫画作品です。主人公は、中華統一をめざす秦(しん)王 嬴 政(えいせい、後の始皇帝)と、大将軍を目指す信(しん、後に李信)の二人。
彼らを取り巻くたくさんのキャラクターたちも魅力的です。
ここでは、人気の登場人物 王賁(おうほん)を取り上げます。
また、史実の王賁についても学んでいこうと思います。
※この記事の書き手は、2024年末での最新刊である、コミックス『キングダム 74巻』まで読んだ者です。ネタバレが困る方は、ブラウザバックをお願いします。
目次
『キングダム』王賁とは
王賁は『キングダム』の、主人公 信の友人であり同年代のライバルです。同年代のライバルにはもうひとり、蒙恬(もうてん)がいます。
作品の軸のひとつが、「信が王賁と蒙恬、この若手3人で共に大将軍を目指すこと」なので、彼らの動向には注目が集まるところです。
なかでも王賁は、戦闘シーン以外の私的エピソードが、作品中の他の登場人物と読者の両方に、突然紹介されることが多いキャラクターです。
このため、エピソードが描かれるたびに、王賁以外の登場人物(エピソードを明かされた人物)と私たち読者の気持ちが、シンクロすることに。私たち読者が登場人物の誰かに共感しながら、王賁を見つめることになるのです。
こうした特徴は、王賁の口数の少なさゆえなのでしょうが、作中人物と気持ちが重なるという体験は、私たち読者にとっては愉悦の瞬間ではないでしょうか。
特徴と性格
作品初登場は、王賁が「三百人将」のとき。信も蒙恬も、同じく「三百人将」です。
王賁は、玉鳳隊(ぎょくほうたい)を率いる、優れた槍(やり)の使い手として登場し、堅物で真面目。冗談を言ったりすることはなく、笑顔を見せることもありません。
この真面目な性格は、名家の長男だからでしょうか。王賁は、将来、秦国の名家 王家を背負って立つ身なのです。王賁は最初の頃、名家ゆえのプライドからか、信を見下すような態度も見せています。
ちなみに、名家の長男というと蒙恬もそうなのですが、この二人の性格は対照的です。蒙恬が周囲に与える印象は、家を背負うプレッシャーはどこへやらという軽やかなもの。信に対しても近しい態度です。
一方、王賁は信に対して、への字口で要件以外は口をきかないような距離をとります。この距離感は物語が進むにつれ、心の面では近づきますが、会話の機会は今でもそう多くないと思います。
口数少ない王賁ですが、隊の統率力申し分なく信頼も充分。側近には、幼い頃から王賁を見守ってきた老将 番陽(ばんよう)をおきます。番陽は王賁の教育係で、戦場で王賁が活躍するたびに「賁(ほん)さま〜」と感涙を流す、優しい父親のような存在です。
番陽が、王賁に父親的まなざしを向けるのには、王賁とその父 王翦(おうせん)との関係が難しいことが起因しているのかもしれません。
出生の疑惑と父母
王賁の父は、高名な武将である王翦。この王翦、王賁に対して父親らしい態度を見せたことがありません。彼の冷たい態度は、番陽をはじめとした一門出身者の多い玉鳳隊ではよく知られたことのようです。
王賁の母は、王家にならぶほどの大貴族、関家の令嬢、朱景(しゅけい)です。美しく才女でもあった朱景ですが、残念ながら王賁出産後すぐに亡くなっています。
この出産には、ある疑念がささやかれています。それは、“朱景には王翦より前に好きな男性がいて、その人との子を宿した状態で王翦に嫁いだ”というもの。つまり、王賁は王翦と血の繋がりがないのではないか、という疑いです。
真相については、今(2024年末現在)のところ、明らかになっておらず、“王翦はこの疑いゆえに、王賁に対して父親らしい愛情を示さないのでは?”と憶測されています。
こちらの憶測、作中の王賁に近しい者たちと、私たち読者たちの、両方から出ているところがおもしろいですよね。
加えて読者からは、“王翦は息子への愛はあるが、愛情の示し方が下手なだけなのでは?”という考察も出ています。
二人の関係のぎくしゃくが、何に由来するものなのか? 今後の展開が気になります。
父からの言葉
王翦が王賁に、唯一親らしい言葉が掛けたのは、王賁の幼少時、槍の稽古に対してです。王賁がひとりで槍を振るっているとき、通りかかった王翦が基本の型を教えたのです。
父の言葉はひと言でしたが、この言葉がきっかけで、非常な努力での槍の修練を重ねたのが今の王賁です。
父の愛情を欲したからでしょうか? 期待をかけてくれたことが嬉しかったからでしょうか? 心の内にしまわれた動機は、ひと言で説明できるものではないでしょう。
でもやはり、子どもの親の関心を得たいという気持ちは、自然に起こるものだと思いますので、悲しい痛みを感じてしまいます。
このエピソードは、著雍(ちょよう)での戦闘時、突然、読者に紹介されます。王賁が魏(ぎ)の槍の名手 紫伯(しはく)と一騎打ちの際、番陽の回想として、挿入されるのです。
読者の私たちも、つい、番陽と一緒になって「王賁、そうだったのか(涙)」となるシーンではないでしょうか。
優しくてかわいい妻あり、子どももできました!?
王賁は幼いときから許嫁がいます。
この許婚といつの間にか結婚していたこと、加えて子どもができたことが、唐突に、信と私たち読者に明かされます。趙との戦いに向けて進軍している最中、蒙恬によってです。
戦場へ向かう緊張がどっと吹き飛ぶおもしろいシーンになっていますので、ちょっと抜き出してみましょう。信率いる飛信隊が指示を待ちつつ歩を進めている道中、蒙恬と出会ったシーンです。
蒙恬:あ そうだ! 王賁と言えば 聞いたか 王賁の大事件
信:大事件!? 何だ!?
蒙恬:あ いや事件ではないけど‥ 先日 子供が生まれたって
信:ぶー(盛大に吹き出す)
なっ なっ なっ 何イー何であいつに子供がっ‥
つか‥ はァ!? あいつ
けっ けっ けけ 結婚してたのかー!?
笑顔で話すゆるい口調の蒙恬に、信の驚くさまがおもしろいシーンです。私たち読者の驚く気持ちを信が代表していますよね。
ちなみに、王賁の奥さんの名前は彩華(さいか)。蒙恬いわく「柔軟で明るくてやさしくて、おまけにすっごいかわいいひとだよ」とのこと。
結婚の時期は、二度目の鄴(ぎょう)攻めの直前だそうなので、王賁が将軍に昇格したことを、親族がひとつの区切りと考えたのかもしれません。
戦歴と出世
ここで、王賁の出世歴をまとめておきましょう。
出世歴まとめ
前243年 初登場時「三百人将」
前242年 山陽攻略戦(秦vs.魏)
「臨時千人将」となる。信・蒙恬と共同作戦をとる。戦後に正式な「千人将」に
前241年 函谷関の戦い(秦vs.五国合従軍)
「二千人将」として騰(とう)軍に所属し、「臨時五千人将」となる。戦後「三千人将」に
前240年 鄴攻め1(秦趙連合軍vs.魏)
「四千人将」に。魏の“魏火龍七師”のひとり紫伯(しはく)を討ち「五千人将」に
鄴攻め2・朱海平原戦(秦vs.趙)
秦軍右翼の一角を担う。負傷し一時意識不明となるも、最終日には趙の名将 尭雲(ぎょううん)を討つ。
秦に凱旋
・論功行賞で「将軍」に
・彩華と結婚
前232年 番吾(はんご)の戦い(秦vs.趙)
・桓騎(かんき、新六大将軍のひとり)の指揮下に入る。命じられた難所攻めで奮戦するも負傷して昏倒。駆けつけた飛信隊に救い出される
・信が李牧を追いかけ、飛信隊が指揮官不在になったため、玉鳳隊が一時、飛信隊の指揮をとる
・王翦が敗走し追われていることを知り、隊から百騎を引き抜いて助けに向かう
こう見ると、信含む飛信隊とかなり縁があるように見えるのですが、王賁と信は一般的な友人というには会話数が足りず、敵対視するライバルというには信頼しあっている、といったところ。その信頼の度合いは、初めて出会ったときには想像できないほど、強固になっています。
謎の王翦
前232年の番吾の戦いにおいて、王賁は王翦を助けに向かっています。この行動でわかるように、王賁から王翦への愛情は、明確に存在します。ですが、逆方向、“父から子への愛情”が謎なのです。
王翦は秦の優秀な将軍でありながら、謎に満ちた人物です。いつも仮面を着けており、秦国内でも危険人物と見られています。王翦に、「自分の国を持ちたい」という野望があるからです。
実際、王翦は、「自軍に加わらないか」と、有能な敵将をたびたびスカウト。そしてその心は、「秦のために自軍を強くしたい」ようには見えず、「自軍を中華のどこよりも強くしたいがため」としか読めません。
王翦は、秦国内でもスカウトをしているようで、蒙恬に「我が側近として幕僚に加えてやってもよいぞ」と声を掛けたことも。この時は、蒙恬が「笑えないな、俺を入れるくらいなら、その前に入れるべき男がいるのではありませんか?」と返して、その誘いを一蹴していますが、蒙恬に声を掛けたということは、他にも声を掛けたことがあるのだろうと推察されるところです。
ちなみに蒙恬は、王賁と王翦の関係をとても心配しており、王翦に対して「(王賁を)心配してやれって言ってるんだ、家族だろ」と声を荒らげたこともあります。