映画
『劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』中村健治×鈴木清崇インタビュー

ミッションは変化と継承。全三章を通して、アニメ制作の“答え”を提示したいーー『劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』中村健治総監督×鈴木清崇監督インタビュー

3月14日(金)より『劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』が全国公開!

天子の寵愛を受けるフキと、御年寄として規律と均衡を重んじるボタンが対立する大奥で、今度は人が燃えて消し炭になる事件が発生。薬売りは大奥に渦巻く闇と陰謀を突き止め、モノノ怪を鎮めることができるのか!?

今回は、中村健治総監督と鈴木清崇監督の対談をお届け! 第二章のテーマや全三章を通したアニメーションの作り方についても語っていただきました。

 

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劇場版モノノ怪 第二章 火鼠
モノノ怪・唐傘との壮絶な戦いから程なくして、再び大奥に現れた薬売り(神谷浩史)。その大奥内では、先の事件の余波で変化が生じていた。総取締役だった歌山の後任となった名家の出身・大友ボタン(戸松遥)は、規律と均衡を重んじて厳格な采配を振るう。その結果、天子(入野自由)の寵愛を一身に受ける叩き上げの御中臈・フキ(日笠陽子)との間に亀裂が生じ、両者の溝は深まるばかり。天子の正室である御台所の幸子(種﨑敦美)が産んだ赤子の後見人選定が進む中、フキに訪れる状況を一変させる大きな事態。表を取り仕切る老中大友(堀内賢雄)にとって都合の悪い火種である“望まれぬ子”を身籠ったフキに、男たちの策謀が次々と迫る。錯綜する思惑、やがて暴走する“火消し”の策略……。時を同じくして、突如として人が燃え上がり、消し炭と化す人体発火事件が連続して発生。モノノ怪の仕業とにらんだ薬売りは事態を収めようとするが、群れで行動し、神出鬼没の怪異に手を焼く。この怪異の正体は「火鼠」の子供たちで、彼らはただ人を襲うだけではなく同時に母を探しているようだが、本体である火鼠の母親はなかなか姿を見せない。火鼠は何故、赤子を狙うものたちを襲うのか。自らを燃してもなお...

 

「第一章」の反響から感じたファンの愛憎

──『劇場版モノノ怪 唐傘』公開日に上映館の一つ、新宿バルト9では長い行列ができていて驚きました。シリーズの復活を待っていたファンも多かったと思いますが、お二人は反応や反響をどのように感じられましたか?

鈴木清崇監督(以下、鈴木):僕は「第一章」ではコンテと演出補佐で少しお手伝いしただけなのですが、「監督応援」という形でクレジットしていただけて大変光栄です。

個人的にもTVシリーズから17年ぶりにバージョンアップして、しかも劇場版になった時に「いったいどうなるのかな?」と思いましたが、実際にフィルムを観てみたらとてつもない情報量と映像美で、「これはもうアトラクションだな」と感じました。そして「中村さんが17年ぶりに作るとこうなるのか」と思わせるほどの強い意志に感動しました。

 

 
中村健治総監督(以下、中村):『モノノ怪』ファンの方々は愛情と愛憎がすごいんですよ。決してネガティブな意味ではなく、「この作品に対して、これだけこだわってくれるんだ」という嬉しい驚きでした。こだわってくれるからこそ、許せないこともあるでしょうし、その中でも受け入れて喜んでくれる人もいて。

たぶん劇場に足を運んでくれた方は、評価は一旦置いておいて、「確認してやろう」という気持ちの方が沢山いたと思うんです。公開初日はとんでもなく暑くて、外出したら熱中症になるんじゃないかと思うほどの熱波が襲っている中、映画館に行くだけでもヘトヘトになってしまうはずなのに、足を運んでくださったのは本当にありがたいなと。

17年前と違うのはSNSが成熟していることです。色々なところで感想や叱咤激励などをいただけたことがすごく嬉しくて。もちろん僕たちも褒められれば喜びますし、「いかがなものか」という意見をいただくと反省します。貴重な時間を使って、心の中に『モノノ怪』を気にする瞬間を作っていただけたことがとても嬉しいです。ですから感想や意見をしていただいた方は、賛否に関わらず大好きです。むしろ「どちらでもいいから、毎日つぶやいてくれないかな」と願っていたくらいでした(笑)。

 

 

──第二章からは制作体制が変わり、中村さんが総監督、鈴木さんが監督を担当されていますね。これにはどのような意図があったのでしょうか?

中村:会社に言われたからです(笑)。『モノノ怪』は1本作り終わったら次を作るという形ではなくて、「第一章」と「第二章」の制作スケジュールが重なっていました。「第二章」を待ってくれている皆さんからすれば、あまり間隔を開けずに観たいはず。ただ、それを実現するためには、新しい人材とチームでやっていくしかないと。

個人的には1本1本独立したチームとして考えているわけではなく、三章のチームまで含めてひとつの大きなファミリー。「第三章」までは同じ場所で作っていますから、どこかの部屋に何かあれば、全員に関係がある訳です。「第三章」までの情報や状況はプロジェクトに関わる全員が共有できるようになっています。

3本の映画を作りきれるように人材もシステムの規模が大きくなっていくと、僕が全てを見ていくのはどうしても難しいというか……会社の人が「絶対に無理ですよね」と(笑)。だからと言って誰でもいい訳ではないので、鈴木くんに白羽の矢が立ちました。決して妥協ではなく、合理的な判断です。

──鈴木さんは監督のお話をいただいた時にどう思われましたか?

鈴木:中村さんは僕のアニメ人生の大恩人ですし、『モノノ怪』のファンでもあるので、素直に嬉しかったです。

中村:『モノノ怪』をやるのは初めてだっけ?

鈴木:TVシリーズでは撮影を担当していました。『怪~ayakashi~』の「化猫」から関わっているので、思い入れのある作品です。当時コンテ撮を見て、まだ声も入っていないのに、「これは何だ!? すごく面白い!」と思った記憶があります。

 

 

──それぞれの役割分担についてもお伺いさせてください。

鈴木:僕は脚本の決定稿自体は上がった段階で入りました。コンテを作るにあたっては、脚本の選定作業というか。「尺に収まらないからカットしよう」などの作業を中村さんと一緒に確認しながらコンテを描いていきました。

コンテ自体は一稿目のラフ稿を僕と小嶋慶祐くんの二人で描いていて、それを中村さんにチェックしてもらって、描き直してを何度か繰り返して。ブラッシュアップしながら稿を重ねていく作り方ですね。それによって、内容をどんどん煮詰めていったんです。

その中でもセリフや内容の変更が出るので、「セリフの内容を見直したので、チェックしてもらえませんか?」というお話を脚本の新(あたらし)さんに都度お願いさせていただきました。コンテを詰めていく期間は結構長かった印象です。

「第一章」では(ツインエンジン内の)「EOTA(イオタ)」、「第二章」では「くるせる」と「EOTA」の合同制作の形式をとっていて、僕は「くるせる」に所属しています。「くるせる」はフルデジタルの会社で、割とシステマチックに作らせていただいていて。長い間、スタッフとして関わっていくために、アニメーターでもアニメーションの作画だけをしている訳ではないんです。例えば、コンテの清書をしてもらったり、ライカリールという最初のタイミング付けをやってもらったり。チームとしての制作を強く押し進めたことが「第一章」との作り方の違いであり、従来のアニメ制作のやり方とも若干異なっている部分です。

 

“合成の誤謬”を通して描く、フキとボタンの「変化」の物語

──「第一章」ではテーマについて、中村さんは「『合成の誤謬(ごびゅう)』という、ひとりひとり正しいとされることをしていても、個人の正解と集団における正解は必ずしも同じではないという考えを作品に落とし込んでいく」とお話されていました。それを踏まえたうえで、「第二章」のテーマについてお聞かせいただけますか?

中村:「合成の誤謬」については、「第三章」まで一貫して描き切ろうと思っているテーマなんです。「第一章」では大奥の新人たち、「第二章」では中堅の人たちにフォーカスを当てています。「第一章」には歌山さんという最高職位の「御年寄」が登場して、「いずれ高いところから見えるようになると景色が変わるんだ」と言っていますが、それと同じで劇場版を見てくださる皆さんの景色もどんどん変わっていくという構造になる……予定です(笑)。このテーマは1本では描き切れないと思っていて、様々な状況を複数の角度から映すことで浮かび上がらせる、みたいなイメージです。

その上で、単体でも楽しめるという点にもこだわっています。むしろ「第一章」をご覧になった方から「前作とはだいぶ変わったね」と言われたいんです。「変えること」「ベースラインを継承すること」という2つのミッションがありました。

鈴木:「合成の誤謬」を引き継ぎつつ、「第二章」ではフキとボタンの物語が中心になっています。苦難を乗り越えて、次のステージに上がる「変化」がテーマになっているのかなと。

 

 

──「第二章」を観ていると、会社での上司と部下、学校での先生と生徒などの関係性が頭に浮かんできました。部下や生徒だった時のやり場のない気持ちを思い出すというか。

中村:「合成の誤謬」とは、まさにそういう状態のことなんです。組織(の代弁者である人)と個人の気持ち。環境や社会において、それらの立場はコロコロ変わってくると思っています。ある場面で個人として発言していても、違う場面では個人として喋れなくなる。この世界には沢山の正解があって、特定の誰かが絶対的に正しいことはあり得ないというのは、『劇場版モノノ怪』を作る上で重要視していることです。

愛の形や誰かを大事にする方法はそれぞれ違いますし、大事にされる側も「こんな風に大事にされたい」と思いますよね。感情と理屈の間には凄まじい溝があって、理屈として正しいことも、感情的に正しいことも組み合わせは無限にある。何をしても不満は出るのに、何もしない訳にもいかない。それが僕らの生きている世界だと思うんです。

 

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