【ネタバレあり】あなたの『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』はどうだった? 編集者&ライターが赤裸々に性癖と感想を語るだけの座談会で再燃した『エヴァ』への感謝と愛
旧劇の最後っぽい場所で“好きだった”と伝えるシンジ
石橋:じゃあ本題に入ろうか。まずは胃の上くんの「旧劇の最後っぽい場所で“好きだった”と伝えるシンジ」のシーンについて。
胃の上:やっぱりシチュエーション的に旧劇を思い出さざるを得ないので、みなさんに聞いておきたいと思ってチョイスしました。
石橋:ここを見て俺はシンジくんが本当に大人になったなと思った。俺らは拗らせた陰のオタクだから、女の子に好きだと素直に伝える機会なんて無い訳じゃん?
米澤:確かになぁ(笑)。
石橋:シンジくんがそんなことを言えるようになったと考えると、感慨深くならざるを得なかったなぁ。
米澤:あのシーンは惣流と式波が混ざっているっていう解釈もあるみたいだけど、みんなはそのあたりをどう考えてる?
石橋:確かにその線はあるかな。オリジナルと混ざってるっていう考え方はあるね。見ている人が救われるし、惣流の方も救われるかなって。
米澤:俺はどちらかというとふたりのキャラクターは別だと考えているかな。宮村さんへのインタビューの記事は、俺が担当させてもらったんだけど、そこで宮村さんは惣流と式波は完全に別のキャラクターだってずっと語られてたのが印象的で。
あそこで統合されたアスカは、あくまで式波のオリジナルであって、惣流じゃないっていうのが俺の解釈かな。まぁ、これに関しては俺が惣流をめちゃくちゃ好きだっていうのもあるんだけど……(笑)。
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太田:自分も米澤さんと同じです。あそこでシンジの見た目が大人になっていないのに、アスカは大人になっていて。あのシーンが別れといいますか、別々の人生を歩み始める分岐点だったのかなって。
胃の上:僕は見る人の解釈次第、それぞれの見方があっていいと思っています。個人的な意見としては、あえてあの形でシンジとアスカの決着を描いたことで、新劇場版シリーズだけでなく、旧劇場版も意識せざるを得なくなったのかなと。
これをやったことで、すべての『エヴァ』の物語に決着を着ける一助になったとも思えるところもあります。
旧劇場版の「首絞めからの気持ち悪い」は未だにわからないところもあるんですが、だからこそひたすら惹きつけられた部分があって、そこにも決着を着けてくれたんじゃないかなって感じたんです。
米澤:俺の中では、あの旧劇場版のエンディングって結構納得しているところがあって。もちろん、最初に見た時は唖然としたのも間違いないんだけど、そのあとに色々な人の解釈とかを読んだりすると、腑に落ちるというか。
ATフィールドで他人を拒絶することが、他人と自分の存在を認めることであって、その拒絶の証が「気持ち悪い」なのかなって。人類補完計画が発動しちゃうと、その「気持ち悪い」という言葉すらぶつけられなくなっちゃうしね。
太田:今の話を聞いて思ったのが、旧劇場版は「気持ち悪い」という負の感情で他人との壁を作っていますけど、新劇場版では感謝の気持ちというか、プラスの気持ちで他人の存在が表現されたのかな、と思います。
米澤:その通りだと思う。ただ、おそらく普通の人は正の感情の方に感情移入すると思うんだけど、俺は陰のオタクだから、負の感情の方が感情移入しやすいんだよね(笑)。だから旧劇場版がスッと入ってきたのかもしれない。
石橋:なるほど、それは面白いね。否定するのも許容するのも相手がいるからこそできることで、その描かれ方の違いがここに出ているみたいな感じだね。
太田:相手を拒絶するんじゃなくて、相手を想うばかりに他者を怖がってATフィールドが出てくるような描写もありましたし、当時とは庵野監督の考え方が変わったんだなって思いましたね。
石橋:まさにそういうことなんだろうね。最初からみんないい話するなぁ。
最後のシンジとマリのシーンについて
石橋:米澤チョイスの「最後のシンジとマリのシーンについて」行ってみようか。
米澤:このシーンは本当に色々な解釈があると思うんだよね。最後のシーンのシンジは声が神木隆之介くんに変わっていて、それでシンジが大人になったと見ることもできるけど、あれはシンジであってシンジじゃないというか、『エヴァ』を見てきたファンのメタファーみたいなものなのかなと。だから作中のシンジと、意図的に別人のように演出したんじゃないかと思った。
あとは、線路って要素も結構意味があるんじゃないかと思っていて。シンジやマリがいる側と、アスカやレイのいる側とでホームが分かれていたけど、俺はそこが現実と『エヴァ』の世界の境目みたいにも思えたんだよね。
キービジュアルに線路が描かれたし、実際に作中でも電車と線路は印象的に使われていたりもする。電車って同じ線路の中をぐるぐる回る乗り物だけど、それがループ構造を表現しているんじゃないかなって思ってる。だから、あのラストシーンで「駅から出た」シンジ、つまりは『エヴァ』のファンは、そのループ世界から卒業した……という意図があったんじゃないかなって。
石橋:だから「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」だと。
米澤:そう。あと面白いのは『シン・エヴァ』ってタイトルに音楽のリピート記号(:||)がついているところ。これはループの終わりでもあり始まりでもあるから、『エヴァ』の物語はまだ続いている証にも思える。だからシンジがいなくなった後も、『エヴァ』の世界はどこかに存在し続けている……という風にも解釈できるんじゃないかな。
石橋:確かに作品の構造上、腑に落ちるところはあるね。作品を世に出したら自分のものではないとよく言うけど、見ている人がいる限りは作品は生きている。作品から離れてしまってもどこかしらで生きている、そういう部分を見せたかったんだろうね。
あと個人的にあのシーンは、庵野監督がようやく『エヴァ』から抜け出せたのかなっていう部分があるのかなって。終わったことによって始まりに戻って来たから、監督の地元である宇部新川駅に戻ってきたのかもしれない。全部終わったからこそ、監督にとってのスタート地点に戻ってきたのかな。
米澤:確かに、そこにも繋がってくる。
石橋:色々な意味でスタート地点だったろうから、全部終わって戻ってきたみたいな。
太田:僕は割と素直に受け取りました。あの世界になる前にシンジが「エヴァがなくても大丈夫にするだけ」と発言するじゃないですか。現実の世界とアニメの世界の違いはそれだけなんだと伝えているように思えて。
シンジとマリも幸せそうに見えましたし、エヴァという大きな存在が無くてもあなたのそばには幸せがあるんだよといっているように感じました。『エヴァ』が無くても大丈夫っていうのは、そういうことなのかなって。
石橋:なるほど……やっぱり彼女持ちは言うことが違うね!
一同:(爆笑)。
胃の上:自分はもう素直にといいますか、みなさんみたいにそこまで深いことを考えられなかったですね。これですべてが終わったんだと言いますか、清々しい気持ちになりました。新劇場版シリーズだけでなく、これまでのすべての『エヴァ』を総括した結末になっているように思えたので、あの結末に不満はないです。
わからないこそ惹きつけられると言いましたが、今回でああいう結末が提示されたことで、それを踏まえて「あそこはよかった」とか、「あそこは自分はこう思った」みたいに、昔から『エヴァ』を知っている人だけじゃなくて、多くの人がそういうことを語れる物語になったんじゃないかなと感じました。
それを陳腐になったと取るか普遍的になったと取るかは見る人次第だとは思いますが、僕はとても好意的に解釈していますね。
石橋:一時期、『エヴァ』は永遠に終わらないみたいな風潮もあったよねぇ。なんか一番へこんでると思っていた胃の上君が、一番素直に受け取れているのは羨ましいなぁ。俺のほうが病んじゃってるよ……。
一同:(爆笑)。
米澤:でも完璧に終わらせたなって印象は、俺の中にもあるな。『シン・エヴァ』が凄いのって、いままでの『エヴァ』をすべて総括しているようなところなんだよね。ガンダムシリーズにおける『∀ガンダム』に近いというと、『ガンダム』好きな人にはわかってもらえるんじゃないかと思うんだけど(笑)。
胃の上:何となくですがわかります。最終話の「黄金の秋」を初めて見終わった時の感覚に近かったかも。
米澤:『∀ガンダム』が凄いところって、“黒歴史”という要素を使って、過去に作られたガンダムだけじゃなく、未来に作られるガンダムも内包してガンダムシリーズの終着点を作ったところにあって。『シン・エヴァ』の構造もそれに近くて、いろいろな『エヴァ』の周囲の派生作品も含めて、最後に『シン・エヴァ』に行き着くような形になっているんだよね。
『∀ガンダム』も、ロランとソシエとの恋の終わりが描かれたあと、ラストのディアナとのシーンへ繋がるから、シンジとアスカの恋の終わりを描いたところも共通していて。庵野監督が『∀ガンダム』を見たかどうかはわからないけど、『逆襲のシャア』の同人誌を出したことがあるくらいだし、意識した部分も少しはあるんじゃないかなって。