『明日ちゃんのセーラー服』がなぜおもしろいのかを真面目に考えてみた|女子中学生という一瞬のファンタジーを刹那のリアルが永遠にする
2022年1月より放送中のTVアニメ『明日ちゃんのセーラー服』、みなさんはもうご覧になったでしょうか? 第1話「あこがれのセーラー服」の美麗な描写と元気ハツラツな明日小路(あけびこみち)ちゃんの姿は、ネット上でも大いに賑わっているように思いました。
何を隠そう私は「となりのヤングジャンプ」で連載中の博先生の原作漫画の大ファンでして、ステッカーを買って自分のスマホに貼ったり、先生のツイートは毎回いいねしたり、アニメを見終わるまでは死ねないと思っているくらい楽しみにしていました。
しかし、それと同時に一抹の不安があったのも正直なところです。
『明日ちゃんのセーラー服』は絵のタッチが独特だし(個人的にはここが好み)、周りに読んでいる人があまりいなかったし、なにより自分が好きなものが他人に受け入れられるのかが不安だったのです。
そのしょうもない感情は第1話放送後に払拭されたのでなにより……。というか、ここまで受け入れてもらえるなんて、自分の作品でもないのに嬉しくてしょうがありませんでした。
浮かれて小躍りしちゃったくらいなのですが、その後に心の奥で腕組をしていた冷静なもうひとりの私が自分の胸ぐらをつかんできたのです。
「お前、メディアの人間ならなんで人気になっているのか考えてみんかい!」
私の心の中の塾長が叫びました。自分が愛してやまない作品です。一世一代の考察をしないことがあるだろうか、いやない。
ということでわりと真面目に『明日ちゃんのセーラー服』の何が良いのかを考えていこうかと思います。
アニメと漫画のどちらにもそれぞれの魅力があるのが『明日ちゃんのセーラー服』です。今回はどちらの魅力にもクロスオーバーしつつ、なぜ私達が魅了されてしまうのかを考察します。
少女が大人になっていくその一瞬
突然ですが、女子中学生や女子高生って日本社会の中でも最強の存在だと思いませんか?
もちろん、大人も子供もみんな平等なのであくまでも概念のお話。
彼女達は、若さゆえの思い切りがあるし、怖いもの知らず。道端に座り込んで大声で話したり、電車の中で友達と笑い合ったり。少し行儀が悪いこともあるけれど、女子中学生や女子高生は少し許されちゃう。
多くの大人は彼女達を見て、「私にもそんな時代があったな……」なんて思うのです。同じ道をたどってきたはずなのに、大人になれば二度と手に入れることができない貴重で輝かしい一瞬。
『明日ちゃんのセーラー服』では、そんな少女たちが子供っぽさを残しながら、少しずつ大人になっていく姿が描かれています。
中学生って急に成長を見せますよね。それは体の仕組み上の理由もありますが、それに比例して心もたくましく成長していきます。
『明日ちゃんのセーラー服』の美しさを際立たせているのは、そういった少女達の成長が見せる一瞬の輝きなのです。
例えば、小路がはじめてセーラー服に袖を通した時。憧れのアイドル・福元幹と同じセーラー服が着たいという一心で勉強や家事を頑張り、母のお手製の一張羅に苦戦しながらも袖を通します。そして、その姿を母と妹に見せるその瞬間。
少し照れくささもあるけれど、どこかほこらしげで、楽しげで、期待に満ち溢れています。
例えば、はじめての教室で、クラスメイトに挨拶をする時。どんな人がいるのかわからない、でも元気に挨拶して友達を作ろう! と緊張しながらも意気込む小路。実は隣の席の子も同じ気持ちだったことを知って、ほっとひといき。
新しい環境をめいいっぱい楽しもうとするその一瞬は希望に満ち溢れています。
『明日ちゃんのセーラー服』には、そんな一瞬が詰め込まれているのです。
さらに追加でお話すると、アニメ第1話で小路がセーラー服を着たときに少し絵のタッチが変わったのをみなさんは気づいたでしょうか?
実はあのシーン、漫画ではカラーで1ページを使い描かれているシーンなのです。
漫画で登場した1ページで大胆に描かれるシーンや、カラーで描かれるシーンというのは、そういった輝きの最高潮のひとつを切り取った瞬間なのかなと私は考えています。
アニメでもあのように丁寧に表現されているので、原作ファンもニッコリなシーンなのでした。
一瞬が1シーンになる
『明日ちゃんのセーラー服』の漫画をご覧になったことがある方はご存知のことかと思いますが、コマ割りのこだわりが尋常ではありません。
アニメの冒頭で小路が華麗な前方宙返り&バク転宙返りをするシーン。アニメではものの数秒でしたが、漫画で助走から着地(正確には着水)するまでになんと驚異の16ページも要しています。まるでコマ送りしたかのようなその正確な描写は、臨場感が半端ないですよ……!
『明日ちゃんのセーラー服』にはこのように“とある一瞬”を細かく丁寧に描写するシーンがいくつも存在しており、作品の特徴にもなっています。
他にもアニメの後半に出てきた小路が通学路でポニーテールを結ぶシーンは、同じ画角から9コマにもかけて描写されています。
一体どうやって描いているんだろうと思わせるほどの精密で繊細なカットばかりで、セリフ量はそんなにないはずなのに、事細かく読んでしまい、いつの間にか時間が過ぎていることもしばしば……。
こんな細かいのアニメじゃ無理だよ……と私は思っていたのですが、そんなものは杞憂に終わりました。先程、“コマ送りしたかのようなその正確な描写”と書かせていただきましたが、実は『明日ちゃんのセーラー服』の細かい描写はすごくアニメらしい表現だったのです。
アニメはいくつもの絵を連続で見せて動画にしている表現方法であるため、『明日ちゃんのセーラー服』のように細かく描かれている作品はぴったりなのです。
これは原作を読んでいる人が感じることなのかもしれませんが、表現方法がぴったりというだけでなく、今までコマ送りで見ていたものが、動画になって見れるというのはものすごい感動があることに気づきました。
漫画の絵画的&写真的なその瞬間を切り取ったものを眺めるのは、まるで思い出のアルバムを見ているような趣がありました。対するアニメでは、ホームビデオのような動くシーンとしての切り取られ方をしています。
私達の記憶も、写真のような静止した一瞬であるものと、ショート動画のようにほんの数秒を切り取ったものがあるように思います。
アニメで『明日ちゃんのセーラー服』を気に入った方はぜひ原作漫画も手にとってみてくださいね。