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- わたなべみきこ
- 出産を機にライターになる。『シャーマンキング』『鋼の錬金術師』『アイドリッシュセブン』と好きなジャンルは様々。
まもなく最終回を迎えるTVアニメ『SHAMAN KING』。霊能力(シャーマン能力)を持った主人公の少年・麻倉葉が全知全能の力を持つシャーマンキングを目指して「シャーマンファイト」に参加し、戦う姿を描いた物語です。
原作は武井宏之先生によって1998年より連載がスタートした『シャーマンキング』で、2004年に連載は終了したものの、その後完全版が刊行されました。2001年に一度オリジナルストーリーでアニメ化されていますが、2021年4月より満を持して完全版ストーリーがアニメ化されています。
連載終了から18年経った今も根強いファンから支持されている本作。かく言う私も、小学生の頃、アニメをきっかけに本作と出会い、初めて“沼落ち”を経験しました。幼い私に何がそんなにハマったのか、今となっては覚えていないのですが、寝ても覚めても『シャーマンキング』のことを考えており、“声優”という職業を知ったのもこの作品がきっかけでした。
つまり、『シャーマンキング』は私を立派なオタクにした(してくれた)そんな思い入れのある作品なのです。
そんな『シャーマンキング』の完全版が初のアニメ化ということで、毎話本当に楽しみに視聴していたのですが、大人になってから改めて物語に触れたことで10代の頃には見えなかった物語の側面が見え、こんなに深い物語だったのかと深く感銘を受けました。
そこで、『シャーマンキング』という物語について本気で考えてみました。今でも多くのファンを持つ『シャーマンキング』は、“1000年にわたる心を巡る物語”だったのです。
※この記事にはネタバレが含まれています。ぜひ、作品をご覧になった上でお読みください。
シャーマンキングにおけるキーパーソンとなるのは、葉の兄・ハオ。麻倉家の1000年前の祖先である大陰陽師・麻倉葉王が、輪廻転生を操れるまで陰陽道を究め、転生を繰り返している本作最強のシャーマンです。
はっきり言います。私の初恋はハオ様でした。圧倒的な強さと達観した余裕たっぷりのオーラ。その絶対的な存在感に幼い私は憧れたものです。
しかし、大人になってから、その強さの裏側に1000年前から孤独に苦しみ続けている姿があることに気がつきました。
その孤独は、最初に生を受けた1000年前の幼少期、鬼を見る力のあった母が周囲の人間から迫害を受けた末、殺されてしまうところから始まります。孤児となってから、小鬼の乙破千代(オハチヨ)と親しくなり、鬼の力を分けてもらい霊視能力を得て母の死の真相を知ったハオは復讐を果たすも、そのことで乙破千代とも別れることに。
その後陰陽師に弟子入りしますが、霊視能力で人の裏表、汚い本音、醜い欲望、霊視能力を持った自分への恐れなどを目の当たりにし続けることで、ハオは心を閉ざし孤独を極めてしまうのです。
口ではいくら良いことを言っていても、態度では慕っているようにしていても、心の中では全く反対のことを考えている、そんなことが数え切れないくらいあったのでしょう。その度にハオが傷つき続けたであろうことは想像に難くありません。
現世においても人に対する失望の念が変わることはなく、ハオは自分に仕える仲間たちですら手駒としてしか考えておらず、心が安らぐ相手も時間もありません。当然友達と呼べる相手などいるはずもなく、1000年間常に孤独に苦しめられているのです。
1000年間ずっと誰にも心を開けず孤独であり続ける……どのくらいの苦しみなのか、想像することも難しいですが、そんな状態で心を守るには強くなるしかなかったのでしょう。
葉たちとの最後の戦いの末、1000年前に悲しい別れをした乙破千代、そして求め続けた母と再会することでハオの硬く凍った心はようやく雪解けを迎え、孤独の苦しみから解放されたのです。
最強のシャーマンであったハオですが、その心には冷たい孤独が根深く居座り、彼を苦しませ続けていました。『シャーマンキング』はそんなハオの心を救う物語だったのです。
ハオと同じ霊視能力を持っていた過去のある、葉の許嫁・恐山アンナ。以前は、強く凛々しい女性くらいに思っていた彼女についても、大人になって作品に触れて気づいたことがあります。それは、彼女がハオのifの姿として描かれているのではないか、ということです。
読心の力を持っていることで周囲から気味悪がられ、恐山に捨てられたアンナは、イタコである葉の祖母・木乃に拾われ、イタコとして育てられることに。その後、葉と出会い、その穏やかな心によって救われ、霊視能力も消えていきます。
葉とアンナの出会いが描かれた「恐山・ル・ヴォワール編」で登場する幼いアンナは、1000年前のハオ同様、他人の汚い内面にたくさん晒されたのでしょう、人を憎み、他人に対して心を閉ざし、寂しさを抱えています。それは1000年前のハオの姿と重なる部分があると私は考えます。
もし、木乃に拾われなかったら? もし葉と出会わなかったら? おそらくアンナはさらに強く心を閉ざし、果てない孤独の末、ハオと同じような道を歩んでいたかもしれません。
ハオも1000年前に、葉のような人物との出会いがあれば、凶悪な存在にならなかったのかもしれない、アンナの存在はそう思わせてくれます。
1000年間孤独に苛まれ続けたハオが唯一心許せる相手だったのが、愛猫・マタムネです。野良猫ながら霊力を持っていたマタムネは大陰陽師だったハオ(当時の名前は葉王)に拾われて共に暮らすこととなり、死後もハオの手で霊(猫又)として蘇り、その後も麻倉家に仕えます。
そのためハオに対する感謝と尊敬の念の強いマタムネですが、500年前に人間を滅ぼすため転生したハオを、葉の先祖・葉賢とともに討ちます。以後、そのことを後悔し続けているのです。
「進むべき道はいつも心で決めなさい」マタムネは、葉にそう説きます。小学生だった私は、この言葉を「そんなの当然じゃないか」と思っていました。自分のやりたいこと、したいことを心に従って選ぶなんて幼い私にとっては至極当たり前のことだったのです。
しかし、大人になり、そうもいかないことが世の中にはたくさんあるということを知りました。自分のやりたいこと、進みたい道があっても、損得、環境、周囲からの目など様々な要因に阻まれ、自分の心に素直になれないことも少なくありません。
500年前にかつての主を討ったマタムネは、本当はハオに刃を向けることなどしたくなかったのでしょう。しかし、麻倉家に仕える霊として、人類を滅ぼそうとするハオを看過することはできず、自分の心に背いてハオを倒したと考えられます。
感謝していたはずの相手、尊敬していたはずの相手なのに、信じることができず、討伐という形を取ってしまった。もっと他のやり方があったのではないか、なぜ大切な人を選べなかったのか、それによって大切な人の心を傷つけてしまった。マタムネは心に従わなかった後悔を抱えて苦しんでいたのです。
作中では「シャーマンの強さは心の強さ」というフレーズがよく登場しますが、「心の強さ」とは一体何なのでしょうか。これは私が最初に作品に触れた子供の頃から疑問だったことです。
子供だったからということも理由のひとつですが、作中で明確にそのことについて言及されることがないのも事実。ということで、大人になった今、「心の強さ」についても考えてみました。
結論から言うと、「心の強さ」=「絶対に揺るがない心の軸」です。
多くの人間が、“絶対”と思っていることでも、少しの出来事でその決心が揺らいでしまいます。例えば、恋人が浮気をしているという噂を耳にした、とか、仲の良い友人が自分に嘘をついていた、とか。
その揺らぎや迷いが人間の心の弱さであり、裏を返せば、どんなことが起きようとも揺るがされることのない“心の軸”を持っていること、そしてそれが強ければ強いほど「心が強い」ということになるのです。
しかし、“心の軸”は人(シャーマン?)それぞれ。ハオは“人への深い憎しみと悲しみ”、アンナは“葉への愛と信頼”、そして葉は“何が起きても動じない心”などその形は千差万別で、まさに人の数だけあります。
それゆえに人から教えられることは難しく、シャーマン達はオリジナルの“心の軸”を形成するためたくさんの修行や経験を積む必要があるのでしょう。
葉はシャーマンキングを志す際に願った「楽に生きられる世界」。子供の頃はこの点について深く考えることはなく、「葉らしいなあ」くらいにしか思っていませんでした。
しかし、大人になって本作のテーマが“心”だと気づいたことで、彼の望む世界がどういうものかも想像できるようになりました。葉は「不労所得を得て遊んで暮らせる世界」を欲しているわけではないのです。(そうなったらいいな、くらいには思っているかもしれませんが。)
「楽に生きられる世界」とは「常に心穏やかでいられる世界」のことではないでしょうか。
生きていると嬉しいことだけが起きるということはなく、辛いこと、嫌なことは大なり小なり常に降りかかってきます。その度に悲しくなったり、怒りを覚えたりと心が乱れることもしばしば。
つまり、現代社会でいう“ストレス”です。病は気から、とも言うように精神の不調は身体にも悪影響を及ぼしますし、病とまでいかずとも心が乱れると身体にも疲労を感じるという経験は誰しもあるのではないでしょうか。
葉はそんな心の乱れがなく、人々が常に心穏やかに生きられる世界を望んでいたのです。そんな世界が実現できるのであれば、何としてでも葉にシャーマンキングになってほしいものですね。
子供の頃は、憑依合体やオーバーソウルなど中二心を射止める要素たっぷりでその部分にばかり注目していましたが、大人になってからアニメという形で改めて作品に触れ、『シャーマンキング』は“心”をテーマにした深い作品だったんだと認識を改めることになりました。
今回触れなかったキャラクター達も、それぞれ自分の“心”と向き合い、成長していく姿が描かれています。生まれた時からの付き合いなのに、なかなか完全にコントロールしきれない“心”。そんな“心”と向き合うためのヒントが『シャーマンキング』の物語には散りばめられているのです。
[文:わたなべみきこ]
1990年生まれ、福岡県出身。小学生の頃『シャーマンキング』でオタクになり、以降『鋼の錬金術師』『今日からマ王!』『おおきく振りかぶって』などの作品と共に青春時代を過ごす。結婚・出産を機にライターとなり、現在はアプリゲーム『アイドリッシュセブン』を中心に様々な作品を楽しみつつ、面白い記事とは……?を考える日々。BUMP OF CHICKENとUNISON SQUARE GARDENの熱烈なファン。