映画『その声のあなたへ』公開記念 柴田秀勝さん × 浪川大輔さん × 三間雅文さん鼎談|同世代・後輩・音響監督から見た内海賢二さんの姿とはーー“声優”という言葉がなかった時代の逸話や『ハガレン』『北斗の拳』に関わるエピソードも
シンフォニックドラマ『火の鳥』の裏話
ーーまさか、青二プロダクションや俳協の始まりをお伺いすることができるなんて思ってもなかったので、すごい貴重なインタビューになりそうです。
浪川:いや、本当にすごいなぁ……歴史を聞いた感じがしました。
三間:すごく聞き入っちゃいました。
柴田:あとは二人に任せます(笑)。
一同:(笑)。
浪川:そういえば、内海さんのほうが年下なんですか?
柴田:それがよくわからないんだけど、たぶん同じ年だったと思うの。ところが、ケン坊は僕より3つ下って言ってたんだけど、よ~く考えたら3つ下のわけがないんだよね……。
三間:年下なら奢ってもらえるからじゃないですか?
浪川:確かに(笑)。
柴田:ケン坊はとにかく人見知りしないんですよね。だから、すごく人との接し方が上手だった。「突風」を手伝ってもらったとき、女性から本当にモテモテで、あまりにもモテすぎて苦情が僕のところに来ていたぐらいですから。
浪川:モテすぎて!?
三間:それはすごい!
柴田:だから、ケン坊は根っからの役者というよりは、自分を演じることがベテランでした。「内海賢二」を演じているからこそ、人見知りをしないんです。
浪川・三間:なるほど……!
柴田:あれほどディレクターやプロデューサーから好かれた男はいないと思います。そういう意味では“天才”。そして、あの声ですよ。
僕が辞めた後も、未来劇団にずっと残ってみんなをまとめていましたから。ケン坊は交友関係がすごく広かったです。
三間:ある意味、人たらしでしたよね。
柴田:そうそう。あと、日本で初めての朗読劇をやったことがあるんですけど……。
浪川:また「日本初」ですか! もうすごすぎる……!
柴田:青山に青二プロダクションの事務所を開いたとき、僕は常務取締役をやっていましたが、当時入り口に入りきれないほどのダンボールが積み上がっていたんです。
「どうしてダンボールがこんなに……」と思っていたら、そのダンボールの中には全部ファンレターが入っていて。当時の社長でもあり僕の日芸(日本大学芸術学部)の同期でもあった久保進が、「こんなにファンがいるんだったら、何かお礼をしたい」と言ったんです。
でもお礼って何をすればいいのかわからない、運動会はどうだ? と提案してきたんですけど、運動会を見せるのはおかしいんじゃないか? と。
じゃあ声優専門のプロダクションならではのことをやろうと、テアトルエコーからやってきた黒田さんが「朗読劇」を提案したので、やろう! と『火の鳥』をやりました。
浪川:そういう過程で『火の鳥』をやられたんですね! 確か、この間、三間さん『火の鳥』を演出されていましたよね。
三間:そうそう、ラジオドラマ(※2)の演出をやらせてもらいました。
(※2:青二プロダクション創立50周年を記念した朗読劇の連動企画として、ラジオドラマが文化放送の番組「青山二丁目劇場」でオンエアされた)
ーー『火の鳥』とのご縁がそこから繋がっていたのですね。
柴田:それで、シンフォニックドラマとして、初めてオーケストラで『火の鳥』をやりました。
浪川:いきなりオーケストラですか!?
柴田:そう。僕、生まれて1回だけでもいいからオーケストラの指揮をとってみたかったんです。子供時代はレコードをかけながら遊んでいたほどだから。
三間:あはははは。
柴田:しかし、主役の猿田彦を演じられる人が青二にはいなかったんです。それで、ケン坊に頼むことになりました。「「突風」にいさせれくれたご恩返しになれば」と引き受けてくれて。
三間:主役が内海さんだったんですか!
柴田:そうそう。それで、シンフォニードラマとして辻真先さんに共同執筆として脚本を書いてもらいました。
三間:その演出は柴田さんが?
柴田:そう。演出と指揮をやりました。実は、僕も朗読劇に出たかったから、最初は久松保夫さんに演出をお願いしたんです。
そしたら「君がやろうとしていることが僕には理解できない」と断られて。次に、永井一郎さんにお願いしてもまた断られてしまったんです。
今度は、北川国彦さん(北川米彦さんの旧芸名)にお願いしたらまた断られたので、それで結局自分がやることになりました。
(すごい方々の名前が次々と出てきて圧倒される現場)
柴田:作曲家のオーディションもやって、全曲作曲してもらいました。確か、全部で45曲かな……。
三間:……いくらかかるんですか。すごすぎる。
柴田:偶然、その朗読劇を名古屋の中日劇場の支配人が観に来てくださっていて。このシンフォニックドラマ『火の鳥』を中日劇場でやりたいとおっしゃってくれたんです。ケン坊を連れて、名古屋でもこのシンフォニックドラマをやりました。
浪川:そのとき、おいくつぐらいだったんですか?
柴田:いくつだったんだろうね……もう40を過ぎていたかも。
三間:40年以上も前のことですよね。
柴田:そうだね。それからテレビのアナウンサーの人たちが朗読劇をするようになって……。こんなに大掛かりな朗読劇をやったのは初めてのことだったんですよね。また、当時はいろいろなことがあったので、「青二は元気です!」ということを伝えたい気持ちもありました。