『キングダム』呂不韋の最後はどうなった? ファンの間でも意見が分かれる「生存しているのか?」について史実も参考に呂不韋の謎に迫りました
政と呂不韋は親子なのか?
始皇帝のほんとうの父親が呂不韋だったという話は、『史記』の一部にもそういった記述があることから、かつては有名な辞書にも記載があるほど一般に通っていた説でした。しかし、最近では、始皇帝の父は系統どおり子楚だという説が有力となっているようです。
『キングダム』でも、政は子楚の子という前提で話を進めているのかと思いきや、この前提をひっくり返すような場面もあるので、読者の頭は「???」となるわけです。
「さすが私の息子です」
まずは何といってもこの場面。「嫪毐(ろうあい)の乱」後、監視つきの軟禁にとどめられている呂不韋と、蔡沢(さいたく)のやりとりです。
蔡沢「さてさて 相国 生まれ変わった秦国はこれからどうなると思う?」
呂不韋「正直… それが分かる人間は唯一人としていない なぜならこの五百年誰も踏み入れなかった領域に大王が焦点をあてているからです ハッハ 昭王・六将も真っ青の苛烈な時代を迎えることに間違いないでしょうな しかし不思議と…心の隅でどこか高揚しているのも事実です ハッハこの私が…」
蔡沢「……… ……… ほう あの呂不韋をも感化させるとは ヒョッヒョッやはり傑物であるな大王様は」
呂不韋「……フッ さすが私の息子です」
蔡沢「なっ… 何ィ!?」
(中略)
呂不韋「しかし蓋を開けてみれば出産した日がどうやっても計算が合わなかった」
(中略)
呂不韋「――いやだから冗談ですよ 息子というのは ハッハッハ」
蔡沢「恐ろしい冗談を言うな 寿命が縮んだわ」
呂不韋「…今のは 本当にそうであったならばと 実はごくたまに思う時もあったという話です まーそれほどに 大王と太后そして私の三人の関係は解(ほど)き目がない程からみ合っていて それを今回三者が同時に力ずくでケリをつけた」
この会話によると、政と呂不韋が親子であったことに触れつつも、結論としては否定されていることになります。
大王と太后と呂不韋の関係が「解き目がない程からみ合っていて」というのは、かつて、呂不韋が恋仲であった太后(当時は趙姫・美姫)を子楚に献上したことに端を発しています。
献上したにもかかわらず太后を思い続けていた呂不韋。呂不韋に捨てられ道具にされたと彼を恨む太后。そして、太后が子楚にゆずられてから生まれた政。
また、『史記』「呂不韋列伝」には次のような記述があります。
〈呂不韋は、邯鄲の女で容姿のすぐれて美しい、舞踊に堪能な者と同棲していたが、やがて、その女がみごもった。たまたま子楚が不韋に招かれて酒を飲んだ折、その女を見染め、起ち上がって不韋の健康を祝し、彼女を申し受けたいと請うた。呂不韋ははじめ心中で怒ったが、やがて家産を傾けてまで子楚のために尽したのも、それで大利を釣るためであったと思い直し、ついに彼女を子楚に献じた。彼女は妊娠をひたかくし、十二カ月で政という男の子を生み、子楚は、ついに彼女を立てて夫人とした。〉
『キングダム』ではこれを生かし、呂不韋の「出産した日がどうやっても計算が合わなかった」という言葉へ、そして「冗談ですよ」につなげたのだと思われます。
抱きしめる
政が呂不韋のもとを訪れたシーンにも注目です。
順調だった呂不韋のキャリアですが、政との政争に敗れ河南に追放されるという事態に。そして、この河南に呂不韋を慕う者や中央に反対する者などが集まったため、中央は呂不韋が反乱分子を抱え込んでいると見たのです。呂不韋に死を!という臣下たちの進言をうけた政は、自ら呂不韋のもとを訪れます。河南の鎮圧を命じ、二人きりで話をするのです。
中華統一の難しさを述べ、政の弱点を穏やかに告げた呂不韋。彼は、人の本質について政の信じるところを確認した後、政を包み込むように抱きしめるのです。
ここだけを読むと、これはもしや? と思ってしまうのですが、作品中にその真相ははっきりとは描かれていません。
血のつながりの有無はともかく、この時二人の間に王と臣下以上の情が存在していたということだけは言えるのではないでしょうか。
整理・まとめ
二人の関係性を合わせた上で、呂不韋の最後を推測し整理し直した結果が、次のとおりです。
説① 臣下(他人)だが見守りたい! 説
呂不韋と政に血のつながりはないが、王として成長していく政を見てきた呂不韋は、政のことを“政敵”から“この先を見守りたい存在”と感じるようになった。そこで、呂不韋はその欲望に従って、生きて河南を脱出。今後は政の目に触れないどこか遠くで天下統一を見届ける。
説② 実は親子だからこそ?? 説
呂不韋と政は親子だからこそ、政敵としてしつこく争い続けた。しかし最後は呂不韋が政の未来を切り開く力を認め、自らは身をひいて国を託した。この場合、死して身をひいても、距離を置くことで身をひいても、どちらもあり?
説③ 本人たちの中にも疑いが… 説
呂不韋と政に血のつながりはないが、呂不韋と太后の再会あたりから、2人の心中で親子である可能性を疑う気持ちがふくらみだす。しかし、確かめるすべもないので表に出すことはなく、最後まで王とキングメーカーであった臣下としての立場のまま別れる。呂不韋が死んだかどうかはわからないが、二人が会うことはもうない。
以上が筆者の推測していることですが、みなさんははどうお考えですか? 色々な意見を聞いてみたいところです。