『キングダム』王賁(おうほん)とは? 「けっ、結婚してたのか!?」作中人物からも読者からも驚きの声。そして親子関係はどうなっている?
実在の王賁
さて、ここまで『キングダム』の蒙恬を見てきましたが、今度は史実の王賁を見ていきましょう。
『史記』の王賁
中国 戦国時代のことを知ろうと思ったら、頼るべきはやはり『史記』です。
『史記』は、前漢 武帝の時代に司馬遷が編纂した約53万字の紀伝体(年代順ではなく人物や国ごとに出来事をまとめた形式)ものです。武帝の時代というのは、前141年から前87年。つまり、秦が滅んでから100年ほどのちに書かれた歴史書ということになります。
王賁は「秦始皇本紀」「白起王翦列伝」に登場。父の王翦とともに、秦の中華統一に貢献した人物として、その名が残っています。
〈二十一年、王賁が薊(けい、燕の都。北京の東)を攻めた。ますます兵を出して王翦の軍に送り、ついに燕の太子の軍を破って薊城を取り、太子丹の首を得た。(中略)
二十二年、王賁は魏を攻め、黄河から水を引いて都の大梁にそそいだ。このため大梁城がこわれ、魏王(仮)は降伏して、ことごとく魏地を取った〉
引用元:司馬遷『史記1本紀』筑摩書房、1995
〈王翦の子王賁は、李信とともに燕・斉を破って、その地を平定した。こうして始皇の二十六年、秦は全天下を併呑した。これは王氏と蒙氏の功労によることが多く、その名が後世に伝わった〉
引用元:司馬遷『史記5列伝一』筑摩書房、1995
二十一年というのは始皇二十一年のことで、西暦でいうと前226年になります。王賁はこの年に、始皇帝の暗殺を企てた燕の太子の首をとり、翌年に魏の都を水攻めにしたということですね。そして、始皇二十六年(前221年)に、信とともに燕・斉を破った、となります。
『史記』には、王賁の性格や人間性がわかるような記述はありません。実際の親子関係はどうだったのでしょうか? つい、気になってしまいます。
『キングダム』と『史記』で、どこが同じで、どこが違うのか? 妄想のしがいがありますよね。