野上武志×むらかわみちお×吉田創によるガルパンコミック作家座談会【後編】! ガルパンコミックで『ガルパン』に挑んだ表現者たち!
2012年10月9日のTVアニメ放送開始から、今年で10周年を迎える『ガールズ&パンツァー』。10周年プロジェクトも始動し、期待も高まるところですが、アニメの動きがしばらく見えない間もファンを楽しませてきたガルパンコミックの人気作が、2021年から相次いで終了。ガルパンコミックというジャンルの今後も気になるところです。
今回は連載を終えたガルパンコミック作家の皆様にお集まりいただき、今だから話せることをたっぷりと語っていただきました。
画像左:野上武志(のがみ たけし)先生
『ガールズ&パンツァー リボンの武者』
画像中央:むらかわみちお先生
『ガールズ&パンツァー 樅の木と鉄の羽の魔女』
画像右:吉田創(よしだ はじめ)先生
『ガールズ&パンツァー プラウダ戦記』
スピンオフ作品同士で齟齬が発生しても、別に整合性なんて持たせなくていい(野上)
――2022年は『ガールズ&パンツァー』放送開始10周年という記念の年になりますが、2021年からガルパンコミックの人気作が相次いで終わってしまい、今後のガルパンコミック界がどうなってしまうのか心配です。
『ガールズ&パンツァー最終章』第3話も、大洗でのイベントができないなどコロナ禍の影響も大きく、従来ファンは注目していても新規ファンは入ってくるのだろうか等、ガルパンブームの先行きに不安を覚えるようなところがありました。
吉田創先生(以下、吉田):10周年を迎えるアニメのコミカライズがずっと続いていること自体がおかしいんですけどね(笑)。
野上武志先生(以下、野上):そもそも『リボンの武者』は、テレビ放送が終わった後の1年半から2年という、『劇場版』までのつなぎとして3、4巻で終わるはずだったものが、あそこまで続いただけの話で。むしろ、やれることは全部やり尽くして、灰になっているんですよね(笑)。
吉田:ガルパンの二次創作のネタはもう何も出ねぇと?
野上:出ねぇ(笑)。
――『リボンの武者』の終盤は、まさに前回の座談会で仰っていたスーパーガルパン大戦になっていましたね。ほかのガルパンコミックのオリジナルキャラが観覧席に次々とカメオ出演するという。
野上:そうですね。しかもほかの作家さんも、それこそ吉田先生とかも、こちらがやった後に打ち返してきてくれるというのがあったので、こちらとしては有り難かったなと思っています。
▲『プラウダ戦記』4巻吉田:ヤイカは『プラウダ戦記』というマンガで貫き通されている“武道としての戦車道とはこうである”“こうするのが正しい”という常識を、否定するキャラクターとして出したんですよ。
礼儀作法だとかお行儀だとか、そういったものは置いておいて、ものすごく勝ちに拘る、私は勝ちだけが欲しいんだというキャラクターを出したいんですけど、それにはカチューシャよりもキャラを強くしないといけないんですよ。
そうするとまた別の軸が出来てしまうので、ゲストキャラクターとしてヤイカにその役をやってもらったという感じなんですね。
▲『プラウダ戦記』4巻――あれを読むと、ヤイカが戦車道に見切りをつけて強襲戦車競技(タンカスロン)に奔った動機のようにも受け取れますよね。
吉田:野上さんにまったく相談していないので。事後承諾で許可は取りましたけど、野上さんの度量が大きかっただけです。
野上:例えば、スピンオフ作品同士で齟齬が発生したとしても、最初からそうしたことも前提にしてやらせていただいているわけですから。
別に整合性なんて持たせなくてもいいし、「もしかしたら整合性が取れているのかも?」と期待されるのもいいですし。そういう遊び方をさせていただきました。
吉田:ボンプル高校の先輩世代のキャラクターとか、ぼんやり考えてました?
野上:いや全然。元々あれは『リボンの武者』の作劇中における、主人公の対立軸としてのキャラクターでしかないから。
吉田:どこでもそうなんだね。
野上:基本的に物語を作るときって、まず主人公がいて、主人公の合わせ鏡になるキャラクターがいてという話になってくると思うので。しかも『リボンの武者』というのは西住みほに対するアンチテーゼというか、ルサンチマンの塊みたいなものですから(笑)。
そこから先にキャラクターが独り歩きしていくというのは、作っているこちら自身がライブ感を持ってやっているわけなので、入稿したときに「あ、こいつこんなこと言ってる! ビックリした!」みたいな。
吉田:ありますね(笑)。
野上:作っているほうが驚いたみたいな話になりますので。さらに吉田先生とかが描いてくれた瞬間に「また違うのが出てきた!」という、二次創作を読んでいるお客さん側としての楽しみ方みたいなものも生まれるわけです。
吉田:ヤイカっていうのは、しずかとはまた別のロックというか。芯はすごく一貫していて、現状に対して中指を立てるキャラクターじゃないですか。
野上:鬱屈した感情を持っている。
吉田:そうですね。
野上:難しいところですよね。正直、もう一度『リボンの武者』的なものを作れと言われても、すごい困る(笑)。
――面白いのが、まほやみほに関しては各先生方が共通して、アニメ以上に超人的に描かれていますよね。弾道を見切る程度は西住流ならば当然みたいな。もしかしたら、これもむらかわ先生が描く“魔女”なのかもしれませんが。
野上:むらかわ先生の“魔女”はまた違いますよね。あれは元々のむらかわみちおテイストにおける“魔女”からの話であって。
むらかわみちお先生(以下、むらかわ):アウトサイダーとして描いているからね。
吉田:風俗、歴史的なものが『樅の木』にはあるので。
むらかわ:ベースにちょっとそんなものを入れながら、結局は“魔女”といっても特別大したものではないんだけれど、「“魔女”ってなんなの?」というところを定義していかないといけないので。
吉田:ほかの作品がキャラクターに因っているのに対して、戦車道がある世界観を描こうとしている感じはありますよね。
野上:牛の代わりに戦車で葬列をやるという。
▲『樅の木と鉄の羽の魔女』上巻吉田:あれは良かったです。戦車が軽トラみたいに、そこら中に転がっている世界なんだっていうのが。
むらかわ:日本の戦車は軽トラっぽいなと思っていたので。そういう身近な距離感にあるけど“魔女”なんだよっていう。
だから『最終章』第3話に登場した継続高校の“魔女”がどういったものなのかは気になるんですよ。オフィシャルのガルパン世界の中で“魔女”定義がどう描かれるのか。
吉田:ヨウコの元ネタと思われる人が悪魔としか思えないような戦歴を出しているので、それをキャラクター化するなら“魔女”になるってことですよね。
むらかわ:西住みほが“魔女”であるかと言えば、おそらく共通する感覚だと思うんです。ただ自分が今やっている描き方は違っていて、畏怖するべき何かとてつもない能力、エネルギー、オーラといった存在感あるものを総じて“魔女”的なものと言っている感じですね。
吉田:俺が西住姉妹を超人的に描くのは、単に実体験なんですよ。小中学校の頃に剣道をやっていて、そこに道場主の娘で、小学3年生くらいのちっちゃい女の子がいたんですね。
俺はその時、小学校の高学年で、3才くらい年上だったんだけど、まったく歯が立たないんですよ。その子は力も弱いしリーチも短いし、使っている竹刀もちっちゃいんだけど、まったく歯が立たない。
密度の高い教育をちっちゃい頃から受けていると、身体がデカいだけの男なんか相手にならない。武道の家というのはそうなんだと思うから、西住も当然強いでしょうねっていう感じで描いているんです。野上さんの場合は?
野上:テレビ版だと西住みほから見た世界観でしかないから、実は歪んでいるんですよね。西住みほがやる数々のイリュージョン、色々な戦術的なものというのがあまりにも凄すぎて。
またそれに、それなりについて行っている大洗の面々もみんな凄い才能なんだけど、本人たちから見ればそれが普通なんですよ。
▲『リボンの武者』14巻『リボンの武者』でも「私たちがなぜ勝てたのかわからない」って言わせましたけど、外部から見た視点と、大洗の内部から見た視点だと、見えている世界がまったく違ってくるでしょうね。
このテーマに関しては『リボンの武者』で描いたつもりなので、ここで語るのは恥ずかしいです(笑)。
吉田:『リボンの武者』は途中で伸ばした影響もあるのかもしれないけれど、「ここを描く予定ではなかったのに、描いていったら筆が乗っていった」みたいな。
野上:最初は3巻で終わるくらいの話だったんだけど、編集部に「まだ続けていいんですかね?」みたいな話をしたら、「人気があるうちは、いつまででもやっていい」と。
アニメに対してケンカを売るようなことを描いて、お叱りをいただいたこともあるんですけど、それ以上に楽しんでくださっている方が多いようですから、「じゃあこれも描いちゃえ!」と(笑)。
――『プラウダ戦記』はアニメで描かれたエピソードが結末として決まっていて、そこにどう持っていくかという作り方じゃないですか。どんな感じでしたか?
吉田:『プラウダ戦記』はかなり理詰めですね。キャラクターで引っ張っているように見えるかもしれないですけど、話の展開にキャラクターのほうを後から当てはめていった感じです。こうきたらこうと、ストーリーは全部パズルみたいに理詰めで作ってあって、そのぶんキャラクターの感情表現は大げさに、爆発的に描こうとは思っていました。
結末が決まっていて、そこに行くまでの説得力をどう積み上げていくかっていう感じで、途中で思いついて入れたものはあんまりないですね。
プラウダ高校は何度も準優勝しているんだから強いはずなのに、強そうに描かれていない。『劇場版』でも集中的に狙われて撃破されただけなのが不満ではあったので、強さの裏付けを描いていこうっていうつもりだったんです。
でも今にして思うと、対象年齢が高くなり過ぎている描き方をしている気がします。成り上がり系のサラリーマンものみたいになっているんです。それこそ『サラリーマン金太郎』みたいなものですよ。
ガルパンおじさんたちは年齢層が高いので、組織論的なものも肌感覚でわかると思うんですけど、まだ働いたことのないような学生さんたちが見ると、「なんでこんなことに従わなきゃいけないの?」「なんで全体のことを考えて行動しなきゃいけないの?」ってのがピンと来ないかもしれない。
――プラウダメンバーのキャラクター性が、最初はアニメとはかなり違うのに、様々なことを経てだんだんアニメのイメージに収束していくのが面白かったです。
吉田:むしろ、最終的にこうなるってところから逆算して、そこからできるだけ離していくっていう作り方をしたんですよ。だから、だんだん元に戻していっただけなんです。
カチューシャがかわいい独裁者になるには、それなりに紆余曲折があるだろうと。一年生の頃からいきなりアレだったら、さすがに誰もついていかない。ああいう我儘な態度が許されるならば、過去にすごいことを色々やったんだろうと思うわけです。だからこそ、『劇場版』でもみんなカチューシャの盾になってやられていく。
野上:確かにアニメのほうでは語られていないですからね。なぜあのチビッコが司令塔になっているのか。独裁できるほどの信頼を集めているのか。
吉田:ぶっちゃけ水島監督も、最初は考えていなかったと思うんですよ。でもそこに裏付けをあえて見出して、材料として使ったという感じです。
――クラーラの振り方は凄かったですね。
▲『プラウダ戦記』4巻吉田:クラーラは迷ったんですよ。あそこまでやっちゃっていいのかなって。実際はどんなキャラクターなのかっていうのも、『劇場版』でも『最終章』でもあんまり描かれていない。いきなりやってきた留学生で、ノンナに比肩する腕利きってことくらいで。
むしろ中の人(クラーラ役声優・ジェーニャさん)から俺が想像してしまったキャラクターになってます。ジェーニャさんのパパ(特殊部隊『スペツナズ』に在籍していた元ロシア軍人)の話が物凄く魅力的だったので。
だから俺の中で、クラーラは軍人以外考えられなくなっちゃったんですよ。ジェーニャさんとパパの関係を見ると、クラーラがただ綺麗なだけの女性とは、俺の中では見れなくて。そこでこういうキャラクターにしたら、ノンナとぶつかったときに、あんな有様に(笑)。
▲『プラウダ戦記』4巻野上:「この作者、ヤバい何かを接種して描いてるに違いない」みたいな書き込みがありましたからね(笑)。
▲限界バトルを超えたふたりが、カチューシャの生足から祝福を受けながら同志となる名シーン(『プラウダ戦記』4巻)――確かにクラーラって情報がなさすぎて、ジェーニャさんとイコールで見てしまうところがありますよね。それで補完している気がします。
むらかわ:キャラクター作りがアテ書きなんじゃないかって気もするけど。
野上:アテ書きですよ。ジェーニャさんを出すためのキャラですから。
吉田:最初はクラーラにもファンがいるから、あんな暴力的なキャラにしていいんだろうかという悩みはありました。ただ、どうにも止まらなくなって(笑)。怒られたら止めようってタイプなんですよ。
むらかわ:あっはっはっ! やるなぁ。
吉田:とりあえずぶつけてみて、怒られたら引っ込めるという。
野上:暴走機関車(笑)。
吉田:怒られたら止めるんですから、ちゃんとブレーキは付いてますよ!
野上:さすが俺たちの吉田先生!
――前回の座談会でも「俺が守護りたいやり方で守護る」って仰ってましたよね。板垣恵介タッチも多いですし。
▲『プラウダ戦記』4巻吉田:う~ん……(笑)。
野上:板垣恵介先生のやつは、使い勝手が良すぎるんですよ。
吉田:そうなんですよ!
野上:ただ、放っておくと板垣恵介時空に行って、スピンオフを描くはめになるから、注意したほうがいいですよ。
吉田:そうですね……。ネットミームとして、使い勝手が良すぎるんですよね。それだけ台詞回しが巧いってことなんですけど。いかんいかん。