【内海賢二 彼が生きた時代:連載第3回】水樹奈々さんインタビュー|内海さんは尊敬する先輩であり、お父さんのような存在です
アニメや海外映画の吹き替えだけでなく、歌やラジオ、イベント出演に至るまで、活動の幅を広げている声優。今ではTV番組に“声優”という肩書きで出演される方も多く、声優という職業自体も世間一般に認知されるようになってきました。
しかし、その裏で声優業界を黎明期から作り上げてきた大先輩方が、訃報や引退といった形で徐々に一線を退いているのもまた事実です。
アニメイトタイムズは日々、たくさんの声優ニュースを取り上げていますが、声優業界に深く関わっているからこそ、メディアという立場であるからこそ、今というタイミングで何かできることがあるのではないか、と考えました。
そんな折、様々な取材を通して筆者が出会ったのは“内海賢二さん”という存在でした。
内海賢二さんといえば、2013年にご逝去されるまでの間、『北斗の拳』のラオウ役、『Dr.スランプ アラレちゃん』の則巻千兵衛役、『鋼の錬金術師』のアレックス・ルイ・アームストロング役など、数え切れないほどの人気キャラクターを演じた名役者です。
そして、それと同時に声優事務所「賢プロダクション」の創立、TV番組やTVCMの出演など、声優が広く認知されるきっかけを作った人物のひとりでもありました。
本企画【内海賢二 彼が生きた時代】では、そんな内海さんの姿を現在活躍されている声優さんたちのインタビューを通して追っていく特別企画です。
内海さんの功績は、現在の声優さんたちにどんな影響を与えているのでしょうか。また、内海さんに関する未だ語られていなかったエピソードは、現在を生きる我々にも何かメッセージを与えてくれるはずです。
連載第3回に登場するのは、声優・アーティストとして日本でもトップレベルの人気を誇る水樹奈々さんです。
『鋼の錬金術師』で共演して以来、内海さんに可愛がっていただいていたと語る水樹さん。誰にでも平等に接する内海さんの姿は、今でも多くの声優さんに影響を与えています。
※本企画は映画『その声のあなたへ』とのタイアップ企画です。取材内容は事実を含みますが、取材者名は役名となります。
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内海さんは「お父さん」のような安心できる存在
ーー本日の取材では、内海賢二さんについてのお話と、水樹さんご自身の活動についてお聞きしていきたいと思います。早速ですが、水樹さんが内海さんと初めてお会いになったのはいつ頃だったのでしょうか?
水樹: 2003年頃、『鋼の錬金術師(以下、ハガレン)』のアフレコでご一緒したのが最初です。
ーーアフレコ現場ではどういった印象を受けましたか?
水樹:ものすごくパワフルで、内海さんがいらっしゃるだけで現場にパーっと光が差すというか、空気が明るくなるんです。
『ハガレン』は大先輩ばかりの現場で、私たち新人は緊張して端っこで小さくなっていて。内海さんはそんな様子を察してくださったようで、「奈々、元気か?」とフランクに話しかけてくださいました。
みんなで素敵な作品を作れるように現場の空気を率先して作ってくださる方でした。
ーー内海さんからは「奈々」と呼ばれていたんですか?
水樹:最初は「水樹」と苗字で呼ばれていたのですが、『バジリスク甲賀忍法帖(以下、バジリスク)』はじめ様々な作品で内海さんと共演させていただくなかで、自然と距離が縮まり、次第に「奈々」と呼ばれるようになっていきました。
『ハガレン』はキャストが多かったので、『バジリスク』の現場が個人的にお話させていただく機会は多かったです。時代劇の作品は初めてだったので、現代劇とは違う呼吸や間合い、台詞の言い回しなどで悩んでいた時に、内海さんから「時代劇は粘っこくやるんだよ。例えばこんな感じで」と的確なアドバイスをしてくださって。役者の悩みも敏感に察知してくださる方でした。
ーー水樹さんにとって、内海さんはどんな存在でしたか?
水樹:勝手にお父さんのように思っていました。現場でお会いする機会があると凄く嬉しかったです。常に後ろで見守ってくださる父のような存在であり、尊敬する大好きな先輩です。
ーー内海さんからは娘のように可愛がられていたという噂を聞いたのですが、内海さんとの印象的なエピソードはありますか?
水樹:2009年に初めて西武ドーム(現:ベルーナドーム)でライブをやらせていただいた時のことです。おいそがしい中時間を作って観に来てくださって!物凄く緊張する大舞台でのライブでしたが、思い切ってお声掛けしたんです。すると「応援団を引き連れて行くよ!」とおっしゃって、バスを貸し切って声優仲間、約40名のみなさんと駆け付けてくださいました。
関係者席はバックネットの辺りにあったのですが、その付近、アリーナ花道後方に歌いながら移動した瞬間、「奈々ーっ!」という誰にも負けない内海さんの力強い声が聞こえてきて!すぐに姿を見つけることができました。ペンライトも振ってくださっていて感激しました。
スペシャルなパワーをいただき、最後まで爆走することができました。あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
ーー内海さんはそのライブを見て、感想などなんと言ってらっしゃいましたか?
水樹:後日アフレコ現場でお会いしたときに「楽しかった!!」と言っていただけて、めちゃくちゃ嬉しかったです。当時、私が父を亡くした直後で、父を思って歌った曲があるのですが、それが一番心に響いたと言ってくださいました。
実はそのときに、ワンちゃんの写真が入ったフォトスタンドもいただいて。私が犬を飼っていることを内海さんはご存知だったので、「ライブお疲れさま」とプレゼントしてくださって感激でした。今でもとても大切にしています。