2022年11月下旬の総括(好きな時間帯)|青山吉能『みずいろPlace』#60
皆さんこんにちは、元気ですか?
わたしは元気です。
青山吉能です。
月も見ずに過ごしたあの夜、世界の裏側に取り残されているような感覚がしました。
442年ぶりという数字の大きさは現実的に捉えられなかったし、部屋からきっと見えるだろうと思い込んでいたら、遮蔽物なのか東西南北が狂ったのか、全く見ることができませんでした。
わたしなりに覗こうとしたものの、部屋着から外着に着替えるまでもない情熱にほとほと呆れ気分になり、数々の人間があげるそれぞれの月で満足した気がします。
月というのは、愛を伝える手段であったり、狼の覚醒するタイミングであったり、その満ち欠けにも様々な意味合いを持ちます。
朝日に希望はもつけれど、夜闇には混沌が漂う。太陽を見て目を細めども、月を見ると何故だか涙が出る。
同じ一日という括りの中で、時間帯によってこんなにも持ち味が変わるのは、日本語の妙でもあるし、得てきた豊かな感受性がいかんなく発揮されます。
その中でも夜は格別に良い。闇は等しく外界と遮断してくれます。お惣菜は少しだけ安くなるし、友人と逃す終電は不思議と生き生きとするし、朝に比べて知らない世界が多く広がっていると思うのです。
そして、なんだかちょっと詩的になってしまうのですが、夜には終わりが来るということが明確で素敵だと思います。たまにメンタルをやられたときに悪魔から提示される「夜、無限説」は地球の自転が助けてくれます。
このコラムも基本的には深夜に書かれています。お昼の12時にあがるには深夜らしすぎる文字の羅列だなと毎回自覚はあります。
それでもやっぱり深夜の創作、やめられない止まらないです。お月様よ、わたしを豊かな人間に照らしてくれてありがとう。
ということで、わたしの好きな時間帯は、ざっくりと「深夜」でした。
自分の身体は一生もののビッグコンテンツ
今回のテーマはかぼちゃさんからいただいた『好きな時間帯』というお題でした。
なんて素晴らしい目線なんだろうと心惹かれ、そしてテーマと共に送られてきた文章もとても素敵だったので、魂の株分けをさせていただきます。
わたしに好きな時間帯がいつかを聞いてくれたあとの文です。
「僕の場合は『日が昇るか昇らないかの午前3時、4時台』です。」
「昨日と呼ぶにはうんと遠くて、明日と呼ぶには少し早いこの時間が、たまらなく『今』を実感させてくれます。」
「1日の中で動いている人が比較的少ない時間帯だからこそ、世界と自分を繋ぎ止めてくれる気さえしています。」
わたし、この文を見てハッとしました。
わたしにもそういった部分があった気がすると思って自分の午前3時あたりの記憶を掘り出してみたら、以前ある日の丑三つ時の出来事をこのコラムでも共有させていただいたことを思い出しました。
一年前の同じような時期、深夜の部屋でふと訪れる「なにもかもが休憩している時間」に勝るものなどない、そんなことを書いていました。(#34の前説をご覧ください)
きっとラジオでこのようなお便りが来たら、
「分かるな〜〜・・・いや〜分かるわ〜!(どんなオチをつければ?)(一笑いポイントはどうする?)(あっうわああ〜〜)」
なんてぐるぐる思考しながらオチどころも出せず一辺倒に答えていたでしょう。
ここでお答えすることができてよかったな。もちろんラジオも真剣かつ衝動的な面白さをはらんでいて最高ですが、ここは多少一般的な青山吉能から外れてもいい貴重な場なので、じっくりと取り組むことが出来てわたしにとっても実りあるテーマでした。
かぼちゃさんはきっと、わたしがそうしていることが愛おしいでしょうし、わたしも愛おしいと感じます。
ありがとうございました。
それではこの辺りで終わります。
最近、わたしの正直さという道具が前よりも活用されることが多く、そこまで明け透けにありのままでなくったって幸せで面白いことはたくさんあるし、わたしのつまらない真面目さでいつか自分で自分の首を絞めるターンがやってくる気がしてならない、と感じています。
自分の身体は一生もののビッグコンテンツだと先輩から教えていただきました。切り売りのしすぎで無くなってしまっては元も子もないですからね。
薄目でぼんやり過ごす日も大切にしていきます。
さようなら。
青山吉能
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編集担当:川野優希