【内海賢二 彼が生きた時代:連載第4回】神谷明さんインタビュー|収録が始まるとそこにいるのは完全にラオウなんですよ
アニメや海外映画の吹き替えだけでなく、歌やラジオ、イベント出演に至るまで、活動の幅を広げている声優。今ではTV番組に“声優”という肩書きで出演される方も多く、声優という職業自体も世間一般に認知されるようになってきました。
しかし、その裏で声優業界を黎明期から作り上げてきた大先輩方が、訃報や引退といった形で徐々に一線を退いているのもまた事実です。
アニメイトタイムズは日々、たくさんの声優ニュースを取り上げていますが、声優業界に深く関わっているからこそ、メディアという立場であるからこそ、今というタイミングで何かできることがあるのではないか、と考えました。
そんな折、様々な取材を通して筆者が出会ったのは“内海賢二さん”という存在でした。
内海賢二さんといえば、2013年にご逝去されるまでの間、『北斗の拳』のラオウ役、『Dr.スランプ アラレちゃん』の則巻千兵衛役、『鋼の錬金術師』のアレックス・ルイ・アームストロング役など、数え切れないほどの人気キャラクターを演じた名役者です。
そして、それと同時に声優事務所「賢プロダクション」の創立、TV番組やTVCMの出演など、声優が広く認知されるきっかけを作った人物のひとりでもありました。
本企画【内海賢二 彼が生きた時代】では、そんな内海さんの姿を現在でも活躍されている声優さんたちのインタビューを通して追っていく特別企画です。
内海さんの功績は、現在の声優さんたちにどんな影響を与えているのでしょうか。また、内海さんに関する未だ語られていなかったエピソードは、現在を生きる我々にも何かメッセージを与えてくれるはずです。
連載第4回に登場するのは、後進の育成にも精力的に活動している神谷明さんです。神谷さんの取材はご本人の希望もあり、若手のライターである筆者が担当することに。さらに、声優業50周年という貴重なタイミングでの取材でした。
その意味を考えながらの取材でしたが、神谷さんから語られるお話を聞けばその答えがすぐに分かるはずです。
※本企画は映画『その声のあなたへ』とのタイアップ企画です。取材内容は事実を含みますが、取材者名は役名となります。
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100点の芝居をするのではなく100点に近づけるように今を楽しむ
ーー神谷さんはこれまで50年間演技を磨いてきたと思いますが、乗り越えるのが困難だったことなど印象に残ってるエピソードはありますか?
神谷:僕の場合だと、自分の芝居に納得がいかない時期が続いたのが辛かったですね。メインのキャラクターを任せてもらえるようになってからが特にそんな感じでした。そういう役っていうのは、それだけ要求されるものが多いってことでしたから。
初めのうちは両手をあげて喜んでいたんですけど、直後から責任感とプレッシャーがドーンとのしかかってきて大変でした。泣いたり笑ったりっていう演技がなかなか自然にできなかったんです。
監督やディレクターに言われていることは理解できるんだけど、それを表現しきれなかったんです。理想としてある100点にどうしても届かなくて、毎日毎日、辛くて辛くてプレッシャーに押しつぶされそうでした。
「なんでできないんだろう?」「どうしてなんだろう?」と自問自答しながら、100点に届かせようとひたすら頑張っていました。
ーーそういった辛い時期はどうやって乗り越えたんですか?
神谷:あるとき考え方を変えてみたんです。「ちょっと待てよ。僕の持ち点は何点ぐらいなんだろう」と。例えば50点だとしたら、それに1点でも積み重ねられる演技ができれば、自分を褒めてあげようと。具体的な目標ではないですけど、昨日の演技より上手に表現できたな、とか。綺麗に笑えたし、ぐっとくる万感こもった雰囲気を出せたな、とか。
そうやって自分を褒められるようになったら、俄然芝居をすることが楽しくなって。それまでは辛かったことも、「よし、明日も頑張るぞ!」と前向きに考えられるようになったんです。
ーー考え方を変えるきっかけとなった作品はなんだったんですか?
神谷:ターニングポイントだったのは『うる星やつら』の頃、それで『キン肉マン』や『めぞん一刻』で方向性が定まっていったと思います。考え方が変わったおかげで、余裕もできてきましたね。
とにかく私生活の中で自然に笑うことを意識したり、先輩や仲間の芝居を食い入るように見せてもらいながら、徐々に使える表現というのを積み重ねていきました。改めて聞いてもらえれば、その前後で芝居の質が変わっているのがわかってもらえるかもしれませんね。
ーーその頃の神谷さんだと、『うる星やつら』の面堂終太郎であったり、『キン肉マン』であったり、殻を破ったようなキャラクターが印象的ですよね。そういう演技って難しくはありませんでしたか?
神谷:それまでの僕は真面目な役を任されることが多かったので、もっと弾けた芝居をやりたいという思いが強かったんです。面堂の場合、本人は真面目なのに3枚目になってしまうというキャラクターだったので、僕の気持ちとしては崩しすぎることを戸惑っていたと言いますか、一線を越えてしまうのが怖くて、全力でやりきれていない部分があったんです。
ある日思い切ってそういう芝居をしてみたところ、監督やディレクターに「それ面白いね」といってもらえたのでほっとしましたね。でも、そのときはまだ、高橋留美子さんの作った面倒俊太郎というキャラクターの包容力に助けられたというほうが大きかったですけどね。
ーー面堂のような2.5枚目の芝居であるような、雰囲気をころころと変えるようなテクニックはどのように身につけていったんですか?
神谷:僕の芝居の土台は、劇団「テアトル・エコー」で培ったものがほとんどです。井上ひさしさんの『表裏源内蛙合戦』という作品をミュージカル仕立てのコメディでやっていたことがあるんですけど、それに出演されていた山田康雄さんがそれはそれはころころと雰囲気の変わる芝居をされていて、本当に印象的でした。
「いつかこういう芝居をやってみたい」と思っていたのを引っ張り出してきたのが面堂だったんです。同じ舞台に出演されていた熊倉一雄さんから『キン肉マン』に通じる3枚目の芝居を、納谷悟朗さんからは『名探偵コナン』の毛利小五郎の芝居を、という感じで。先輩方をリスペクトしたものが後年の自分に活かされているんです。
ーー『キン肉マン』の砕け具合も「テアトル・エコー」での経験からきていたんですね。
神谷:本当の意味で自分のやりたかったことを発散できたのが『キン肉マン』で、これは最高に楽しかったですね。転げ回ったり飛び上がったり、アドリブも含めたいろんな芝居を自然に表現できるようになったんです。
僕がまだ若手の頃、キートン山田さん、緒方賢一さん、八奈見乗児さんの3人がアドリブをガンガン入れる現場にいたことがあるんですけど、そのときは指を咥えていることしかできなくて悔しくて。『キン肉マン』でようやく追いつくことができたんじゃないかなと思っているんです。言葉を使った表現を増やすことができたのも嬉しかったですね。
ーーそんな『キン肉マン』の3枚目芝居から一変、ガラッと変わって『北斗の拳』でケンシロウを演じることになったわけですが。切り替えるという意味で大変だったということはなかったんでしょうか?
神谷:ケンシロウのような渋い2枚目の役というのも、弾けた芝居とはまた別に僕が仕事を始めた頃からどうしてもやりたかったものでしたから、思いっきり渋くやらせてもらったんです。ただ難しかったのは、ケンシロウは元々の声が低いので、芝居をするにしても表現に使える幅が狭かったんですよね。
だけどきちんと喜怒哀楽を表現しないといけないわけですから、それが凄く大変で。やり甲斐はあったんですけど、同時にストレスも溜まっていましたね。そういうのを、あの独特な掛け声で発散していたようなところもあるんですよ。
足りない芝居の部分は、共演していた小林清志さんや井上真樹夫さんといった先輩たち、それから古川登志夫さんや、塩沢兼人さんの演技から学んで自分に反映させていました。古川さんと塩沢さんは同年代でしたし、負けたくなかったんですよね。
そして、なによりもラオウ役の内海賢二さん。内海さんから学んだものは本当に大きかった。ラオウというのは揺るぎない大きな存在でしたけど、実際の内海さんは『Dr.スランプ アラレちゃん』の則巻千兵衛さんのような気さくな方で、『北斗の拳』以前の業界に入ってすぐの頃から、「明! 明!」と可愛がっていただいていました。
ーー少々芝居のお話からは離れてしまうのですが、スタジオでの内海さんはどんな様子の方だったのでしょうか?
内海さんがスタジオに入ってくるとすぐにわかるんです。あの明るい笑い声につられるようにして、スタジオの人たちが笑う声がどんどん近づいてくるので。「内海さんが来た!」という感じで。入ってくるとスタジオを和やかにしてくれて。喉の調子を確かめるのに、カラスの鳴き真似なんかやったりして。そうやってスタジオのみんなをリラックスさせてくれていたんです。
これはあとでわかったことですけど、カラスの鳴き真似って内海さんが自分自身を高めるためのルーティーンでもあったんですよね。
ーーいろんな方からお話を伺ってきましたが、内海さんは本当にスタジオの雰囲気を整えるのが上手な方だったんですね。
神谷:だけど、それはプライベートな内海さんの延長線上の部分であって、役者として仕事はきっちりわけている方なので、その切り替えも上手だったんです。『北斗の拳』の話に戻ると、直前まで面白い話をしてスタジオを和ませていたのに、収録が始まる途端、役に入り込んで緊張感が出てくる。
忘れられないのがラオウとケンシロウの最終決戦。本番に近づくにつれスタジオの空気がピリピリしてきて。収録が始まるとそこにいるのは完全にラオウなんです。手加減とか一切なし。先輩として僕の芝居を受け止めてくれるとかじゃなくて、本物として潰しにくるもんですから、僕も全力の芝居で必死に食らいついていきました。終わったあとはね、もう疲れきってへとへとですよ。
振り返ってみれば最高の思い出です。あのときの自分の全身全霊を受け止めてもらったわけですから。普段は優しい方ですが、ラオウのときだけは半端なかった。ほかの仕事でご一緒することもありましたが、あそこまでのプレッシャーを感じたことはなかったですね。
ーー流石と言いますか、やはりラオウは別格でしたか。
神谷:ケンシロウよりラオウのほうが格好いいから。ラストの「我が生涯に一片の悔い無し」に全部持っていかれるわけだし、あの素晴らしい芝居でぶつかってきてくれた内海さんには頭が上がらないですよ。本当に格好よかった。そういう意味でも、内海さんは憧れの先輩ですね。
ーーそして、そんなケンシロウを経て神谷さんが演じることになったのが。
神谷:冴羽獠です。『北斗の拳』のあとに『シティーハンター』のオーディションを受け、合格して演じさせていただくことになったんです。冴羽獠という男のなかには、それまでの自分が全部いたんです。2.5枚目な面堂くんもいるし、3枚目なキン肉マンもいるし、渋いケンシロウもいる。そう考えながらもう一度あの芝居を見ていただければ、いろんな発見をしてもらえるかなと思います。
やっぱり、声優として着実にステップを踏んでこられたからこそ集大成として彼がいてくれたんだなと思っています。
ーーそこまで言える存在と出会えたのは幸せなことですよね。
神谷:たぶん、僕は恵まれていたんですよね。
僕が若い頃、この業界というのは憧れの先輩だらけで、20代の頃からやってきたような方たちの芝居を間近で見るチャンスがあったんです。そういうのを見てしまうと「追いつけないな」と思ってしまったんです、正直に言うとね。
素晴らしい先輩たちがたくさんいて、みなさんうっとりするような芝居をされるんです。そんな時代に現場で学ぶことができたのは幸せなことでした。
そして、そういう先輩たちに言わせると、声優になるための勉強はないんですよ。「役者の勉強をしよう」「俳優になるための勉強をしよう」と言われてきましたから。もともと声優という言葉はなくて、あくまで俳優の声を使った表現のひとつでしかありませんでしたから。声優という仕事が独立したものとして、先輩たちの中にはなかったんでしょうね。
だからこそ、僕は「声優」として恵まれていた。僕の得られた幸運や、歩むことができた道筋というものは、後輩たちにも与えてあげたいんです。大変なことですよ。だけど振り返ってみれば、大変なことよりも楽しいことの方が多かったですからね。